恩恵に与る立場・其の五──偽神
ユキヒトを気にかけていた騎士が「よせ」と声を挙げる。同僚が剣の柄に手をかけるのを見たからだ。
「なぜ──」それは疑問となって同僚の眉を顰めさせる。だが、男性が構わず歩み寄ってくることに、意識は外された。「止まるんだ。拘束されたいか」
「融通の効かない奴だな」ところが男性は、嬉々と胸の前で手を打ち鳴らし、両腕を広げ満面の笑みを浮かべる。「申し訳ないが推し通るぞ」
──まずい。
俺など相手にならない。そう気づいたところで、こちらの間合いにあと一歩で入られてしまうとなれば、受けるにせよなんにせよ、先手を取られてなにもできなくなる。だから意識して体を弛緩させ鞘を引き、剣を抜こうとする。
直後、同僚の視界から男性の姿が消えた。剣はまだ鞘から抜けきれていない。あと拳半分、鞘を後ろに引けば刃を振るうことができただろう。だが、柄を握る側の右腕の肘が上方向に持ち上げられてしまった。ぎょっと、そちらを見れば真横に男性が立ち、突き上げた右腕でこちらの右の二の腕を担いでいる。気づくと同時に、右足が後ろから掬い上げられた。男性の頭の位置が変わらず背景だけが前方に回転する。男性の、跳ね上げた右足が視界の下方にちらと見えてようやく、投げられた、そう気付いた。
すると男性から「はぁ?」と失望の吐息が漏れた。床に叩きつけられる寸前の同僚の、剣を握る手首を掴んで引き上げ、勢いを殺して転がるに任せる。
「受け身も取れんのか」
その口調からは、心底からの呆れが聞いてとれた。いつの間に、だろう。同僚の手首を掴むのと逆の手には、剣の柄の先が摘まれてぶら下がっている。
「お前らの剣術は体術だろう。簡単に転がされるな」
「そこまでに、お願いします」もう一人の騎士は、両手の平を見せて敵意のないことを示しながら、しかし緊張は解かずにゆっくりと近づきつつ言った。「誰もから知られているとは、お考えにならないよう。それは自惚れというものです」
随分と失礼な言いようであっただろう。だが男性は気にする素振りもなく、にこやかに歯を見せて笑った。「これは済まなかった。名乗るべきだったな、トヨフツだ」
名乗る男性は、彼を放し、そちらも見ずに剣を差し出す。寝転んだままの同僚が、愕然としたまま受け取る間も、もはや相手にするつもりもないのか視界にも入れない。
眺める先は、膝をついたままのユキヒトだ。「どうした、その傷、随分と痛々しいな」
ユキヒトは、問われているのが自分だと、咄嗟にわからなかった。彼の言葉は耳に入ってはくるのだが、どこの方言なのだろう、とにかく聞き取ることが困難だ。なのに頭には文章として残り、意味を理解できてしまう。それは、若干ならず不快な現象だった。
大股で近づいてくるトヨフツに、眉を顰めたまま視線を向け続けていると、彼の腰がすぐ目の前で落とされる。そしてユキヒトの両方の手首を掴むや、自分へと引き寄せた。
避けた皮膚から線を引いて落ちる血液に、トヨフツは顔を顰めて、ふっと息を吹きかける。
痛みが、すうと消え失せた。
「もう大丈夫だろう。さて離れてくれるか」
そのまま引き起こされ、とんと肩を押されて、対面の壁に向かうよう促される。手の甲を見れば、汚れはそのままに傷がなくなっていた。
「……神に類する、存在?」
「ああ、君が想像する通り」ユキヒトの呟きに騎士が、同僚を助け起こしつつ応える。「日本からいらした、君の知る神の系譜に連なるのだろうお方だ」
さすがに聞き捨てならず、ユキヒトは血相を変え、騎士を見た。「あの連中は、日本の神を崇めてあんな馬鹿なことをしでかしているのか?」
「──他は知らないがトヨフツ殿は違う。ロクホウは、超常の相手であればなんでも構わないらしく、自分達の神だろうと、こちらの神だろうと節操がない。トヨフツ殿は、こう言ってはなんだが、中でも人気はそれほどもない。だが、こちらの世界の神よりずっと話は通じる」
「まったく」聞いていたのだろうトヨフツは、鼻で笑った。「あいつら偉そうなことばかり言うわりには、ちょっと説教しただけで姿を消す」
腰の刀の柄に左腕を引っ掛けたままトヨフツは、右手を引き戸へと伸ばす。「まったく面白くない」
ぱん、と軽い物音が、引き戸全体と天井そして床、壁をも巻き込んで一瞬に、結晶への転化現象を発生させる。周囲をぼんやりと照らすのは魔力の淡い光だ。だがそれはすぐに色褪せ、輝きを失いただの土塊に変わってゆく。勢いよく錆びてゆくようにも見えた。
自重に耐えきれず、ぼそ、とひび割れが大きく広がる。それを待たずにトヨフツは、つま先で床を軽く叩いた。
途端、ざざざ、と土塊が崩れ落ちる。同時に、ひどい汚臭が通路になだれ出てきた。ユキヒトと騎士二人は思わず口と鼻を塞ぐ。騎士の一人は間に合わずに、耐えきれず嘔吐した。
さすがのトヨフツも顔を顰めたが、無遠慮にずかずかと部屋に足を踏み入れる。そして、中の光景に呆れ果て、若干の不快感をそのままに言った。
「お前らむきになりおって、散らかすにも程がある」
室内で解体作業に勤しんでいた二人は、身構えながらしかし、戸惑いに顔を見合わせた。




