恩恵に与る立場・其の四──闖入
移民政策には不可欠な要素がある。
ひとつは、供給側と受諾側を問わず、行政需要に少なからずの機能不全を抱えていることだ。供給側だと情勢不安による強制避難や、貧困による生活危機からの脱却を期待する移住。受諾側なら出生率の低下による労働需要の不足解消、国内総生産の低迷に対応する労働供給の拡大といったところか。
そしてもうひとつは、そんな互いが抱える問題の解消に、信頼に足る協力的な国交関係である。国家間が緊張状態にあれば国際協力はおろか人的流入流出など論外だろう。ともない、通過国にも円満な交流が求められる。
つまりは、出入国審査と在留管理を円滑に行なえる関係が大前提ということだ。
そういった背景の持ち合わせが転移者には一切合切、無い。
交渉可能な国家が存在しないから、移民として対応はできない。対策が流用可能だからと難民として扱われるが、逃れてきたわけではないから実態は異なる。
転移者は、いわば保護を求める孤児でしかないのだ。そもそもエールデ世界の労働供給は満たされており、移民を求めるような状況に無い。ゆえに就労環境の新規開拓を図らなければならなかったのは前述の通りである。
なれば受け入れにあたり思想や良識の矯正などは施されない。生活に支障がないよう常識や倫理を学ばせはするが、あくまでも理解を求めるにとどまるのだ。
一方で転移者の中には、エールデ世界の文化や文明を、見下すとまでは言わずとも劣るものとして眺める者が少なくない。すると、良識の衝突などがあれば、正当性が自身にあると頑なに信じて疑わないのだ。行き過ぎると、土地に馴染もうともせず同郷同士で馴れ合い、支援や扶助を当然のものとして内容に苦情を放ち、街中で傍若無人に振る舞うようにもなる。
エールデの住民としては、たまったものではない。転移者に阿り、へつらい、追従しなければならない謂れなど全くもってありえないからだ。ともない法の元で平等であれば逆に不平等との感情を抱くのも自然である。
そうしてエールデは、現地民と転移者との線引きを法により厳格化した。転移者は被保護下にあるが、罪に向けてはエールデ住民と比較するまでもなく重い処罰が課せられるなど。同様と扱われたくば国民の責任を負えば良く、つまり転移者は帰化が前提だ、としたのだ。
国民の一員となり責務を果たそうとする者への偏見や差別は厳しい取り締りを受けるが、責務を果たそうとしない転移者を人として扱う必要もない。
これが転移者を受容するにあたってのエールデ住民の落とし所であった。
それは理解していたはずの、この世界の常識だった。
鮮血が滴る両方の拳を引き戸に押し当て、ユキヒトは膝から崩れ落ち、項垂れる。
向こう側から聞こえてくる、くぐもる絶叫には、もはやなんの感情も抱けなかった。
「──落ち着いたか」優しげな口調は、やや離れた場所に待機する二人の騎士のうち片方のものだ。「同郷が痛めつけられるのは、まあ面白くは無いだろう。もう離れたらどうだ」
ゆらりと顔を上げれば、騎士の顔には同情の色があった。本心からの助言なのだろうと、疑いようも無い表情だ。だから言いたくなった。「俺は、あいつらのようにならなかった、それだけなんだよ」なのに、なぜアンタは、俺には憐れみを向けられるんだ。
「それだけができているかどうか、には随分な差があるぞ。お前は働いていて、俺たちの国で自活できているじゃないか」騎士が言うと、もう一人から「やめてやれ」と諌める声がとぶ。だが彼は肩をすくめるだけで言葉を続けた。「転移者は困った連中で、中でも日本人は救い難い。出身地による区別はやはり必須だ──なんて言い出す連中の理解を得るのに俺たちが、どれだけ努力しているのだか、少しは配慮して欲しいな」
ああ、そうだ。ユキヒトは顔を、笑みのように歪めた。
なにかしらの異変があった際に、もし日本人が居合わせたのなら、真っ先に行なわれるのは情報封鎖である。最優先は、企業に在籍する日本人の無実証明。確認が取れ次第ようやく、状況処理が開始されるという徹底ぶりだ。事実、今回の洞窟上の騒動にコウイチがいたことで、領主たちは彼が外部要因で巻き込まれたと明らかにすることを優先しているのだ。
「供養くらいは……させてもらえるかな」
「そのくらいなら、まあ、口添えするが──」
言葉の途中で騎士は、もう一人と共に身構える。何者かが近づいてきていた。その足音は聞き慣れない、カサ、カツ、といった静かなものだ。ユキヒトをはじめエールデの住民の靴底は木か金物である。必要とあれば消音に革を巻きつけたりもするが、そうしたところで石造の建造物内移動では騒がしいものとなる。
普通ではない足音を奏でて近づいてくるのだから、騎士二人が剣の柄に手を置くのは自然なことだ。そして現れたその姿に、ユキヒトも息を呑んだ。
つかつかと近づいてくるのは、長着に袴、羽織を肩に引っ掛けて、足元は地下足袋に草鞋、二本の刀を腰に刺した、黒い長髪の上背のある男性だった。
「そこで止まれ」騎士が、通路の中央に立ち塞がる。「この奥は投獄か取調室しかない」
すると男性は、歩を緩めることはなく呵呵と笑った。
「それは知らんが、用があるのはそこだ。どいてくれるか」




