恩恵に与る立場・其の三──尋問
重々しくも分厚い一枚板の引き戸が背後で閉ざされたことで、ユキヒトは覚悟を決めた。
広さは十二畳程度。切り出したそのままを敷き詰めたような石畳。天井は高いが採光用の窓もその付近にあるから屋内は全体的に薄暗く、四方を取り囲む石壁と鉄板が圧迫感を醸し出す。
中央には床に固定された無骨な、木材を組み合わせただけのテーブルがある。天板にはアイボルト──リングにボルトを生やした保安部品である──が植えられていて、被疑者を拘束する枷を固定している。手枷は一対の腕輪を短い棒で繋ぐ代物だ。鎖などという自由度のある部材は使用されない。だから手枷が固定されてしまうと、被疑者は顔を掻くことすらままならない。
そんな、ままならない状況に置かれている青年が、こちらに威嚇の視線を向けていた。
げっそりと痩けた頬、眉間や目元に刻まれる小皺、浮かぶ隈に一見して老けて見えるが、そこまで年嵩でもないだろう。三〇代に届かないくらいか。椅子の背もたれに胸を固定されて、身じろぎひとつも難儀しそうにもかかわらず、よくも虚勢を張っていられるものだ。
「お前、日本人だろ。ギルドで見たことあんぞ、そのツラ」
問いかけではなく、単に先手を打ってきただけなのだろう。答える必要はないと判断したユキヒトは、彼の正面の席に腰を下ろし、傍らの騎士から差し出される書面を受け取った。
目を通すと、商店に侵入して商品を物色しているところを取り押さえられたとある。盗難の現行犯ではないらしく、破壊や暴行も認められていない。任意同行を求められた際にも抵抗らしい挙動はなく、大人しく出頭している。真相はどうあれ、暴動を避けるための緊急回避に建造物侵入との理由はつけられるわけだ。
「なあ、お前の顔立ててやっから、これ外せって言ってくれんだろ。いいかげん、肘やらどこやら痛くて仕方ねぇんだわ」
なのに口調が喧嘩腰なのはどういう了見なのだろう。椅子とテーブルにその身を固定されていてこれであるから、拷問や虐待も覚悟の上ということか。だとしたらむしろ感嘆に値する。
ただ、拘束状況と理由を見れば、確かに彼の言う通り受忍義務などあろうはずもない。状況が平時でないから拘禁されている、それだけのことなのだ。
「──この二年で複数回の逮捕、盗品の押収履歴」ゆっくりと書面をめくり、文面を丁寧に読み解いてゆく。態度と口調は正直、関わり合いになりたくない手合いだと思わせる。だが、どうにもちぐはぐに感じるのは、なぜなのだろう。「住居侵入に窃盗、不法領得の意志に欠けるとされた器物損壊──」
「あのなぁ、こら」彼を縛る椅子が軋んだのは、身を乗り出そうとしたからだろう。そちらを見ていなかったからわからないが。「お頭のよろしいお前とは違うんだわ。小難しく喋ってんじゃあねぇぞ」
「喧嘩っ早いのは理解したよ」罪にも問えない不当逮捕で、逆に訴え出ることも可能であるのに、手当たり次第にくってかかるのは確かに頭が悪い。「ただ、君の前歴に過失傷害……まあ、相手の持ち物の破損も傷害に問われるんだが、それはさておき、相手に直接の暴力を振るう案件が見当たらない。いずれも暴行止まりだ」
「なんだお前、舐めんのもいかげんにしろや、なぁ」
「この二年で押収された盗品は、小物が数点に衣類、あとは飲食物。不労期間を考えるとむしろ少なく見えるな。金銭は盗まないのか?」
「馬鹿か。盗んだ金でお利口に会計通せってか。欲しいもん掻っ払うのが早いだろが」
「それもそうか」思い至らなかったユキヒトは、素直に感心する。「過去の犯罪は、この際どうでもいい。騒動に参加していた証拠もないし、現状の君に罪状は無い」
「待った」彼はにやりと笑い、顎を突き出すようにしてユキヒトを睨め付ける。「読めたぞ。俺はなにも話すつもりは無いからな。御愁傷様ってやつだ」
「察しがいいじゃないか。これはお願いだよ。情報を、ひとつでいい。貰えたなら俺は君の助命に口添えできるんだが」
「いやだね。ごめんだ。黙ってりゃ放免とわかっていて誰がお前なんぞのいうこと聞くかよ」
ユキヒトは眉根を寄せ首を傾げた。
「なにを言って──」言いかけて、はたと思い至ったユキヒトは頭を抱えてしまった。「あー……転移者の優遇措置のことを言っているのか。ちぐはぐな理由がやっとわかったよ」
転移者への就労支援は、たとえ浮浪者に落ちた者であろうと、公的扶助制度と名を変えて提供され続ける。そこには建造物侵入や盗難などの罪状に向けても、困窮の末という温情軽減が含まれるのだ。職業訓練などへの参加及び被害者への補填完了で放免されるのだから、一概に彼が勘違いしているとも言えない。だが──
「本当に馬鹿をやってくれたな」
「んだぁ? むかつくわテメェ、一発殴らせろや」
「いいか、よく聞け」気を使うのは、もうやめだ。単なる悪党か犯罪者が相手ならと言葉を選び続けていたが、目の前にいるのは馬鹿をやらかしたお調子者でしかないとわかってしまった。「イアンタの暴動に参加した転移者の拘束人数は四三〇名、重軽傷者は記録を要しないものとして数えられていない。うち無職が確認されて殺処分されたのが七〇名だ」
きょとんと目を丸くする男性に、ユキヒトは大きく息を吐いた。彼の態度は居直ったものではない。立場を理解していないのだ。
「温情は、もう無い。暴動に参加した転移者への支援は打ち切られたんだ。見ていないのだろうから教えてやる。抵抗を見せただけで切り伏せられた女性、雑談の片手間に首を落とされる男性、遺体が転がる路上を子供と一緒に眺めて安堵の笑顔を浮かべる親子。ここに生まれ育った人々は、俺たちが殺されるさまを見ても意に介すことはない。ここは日本と違うんだぞ」
ようやく、男性は顔を青ざめさせて沈黙した。視線を彷徨わせる彼にユキヒトは詰め寄る。
「頼む。今の君を助けることは可能なんだ。些細な情報でも構わない。提供してくれ」
「ど、どうせ殺されるってんならなおのこと話すことなんざ──」
「君は離職していない! 在職扱いだ!」
テーブルの上に叩きつけた彼の調書には、青の印鑑で「在職」と大きく記されている。
「君が四ヶ月働いていた職場は、無断欠勤にもかかわらず長期休暇扱いとして未だ解雇していない。離職していない以上はギルド預かりだ。この場を乗り切れば助けられるんだよ!」
驚愕の面持ちで書面に目を落とす青年は「そんなはずはない」「迷惑を」「なぜ俺みたいなやつなんかを」と呟きながら首を横に振る。
「お願いだ」ユキヒトは身を乗り出し、テーブルの上の彼の手を掴んだ。「助けさせてくれ」
「……アルヴォだ」
「──なに?」
「レッシナに……ロクホウの密偵がいる。名はアルヴォだ。それ以上はわからない」
ユキヒトは、歓喜した。立ち上がり、憔悴した顔で俯く彼の横に回り込んで肩を叩くと「充分だ。ありがとう。待ってろ」と扉に向かう。「すぐに解放してもらうよう手続きをとる」
その時だった。
扉が開かれ、騎士三名を引き連れたエーデルトラウトが、ゆっくりと入ってきたのだ。
《外で聞かせてもらっていたが、いやはやユキヒト、本当に君は向いていないな》
《彼の拘束を解いてください。情報を明かしてくれた彼は、ギルドで預かります》
嬉々と報告するユキヒトだったが、違和感に首を傾げてしまう。エーデルトラウトはなぜ、立ち塞がるように前にあるのか。
《エーデルトラウト様、なにか》
《ふむ……いや、妙なことを言うものだと思ったのだよ。まあ、及第点だ。だからこれまで通りの付き合いを、こちらからお願いしたい》
《ええ、ありがとうございます。それで、彼の解放を》
《──情報を吐いたからと、犯罪者を解放する理由などなかろう》
エーデルトラウトが片手を上げると、騎士三名が青年の元へと向かい、背もたれから伸びる鉄の棒に彼の頭を、革ベルトで固定する。箇所は額と喉だ。
《な、なんですか!》青年の口から漏れるエールデ語が、室内に響いた。《なにをするつもりなのですか、やめてください!》
《ああ、そうか、そうか》エーデルトラウトは堪えきれずに笑った。《ユキヒトやタカシが日常会話をあんまりにも流暢に使い分けるものだから、すっかり失念していたよ。そうだな。君にとっては外国語だ。語彙が丁寧になるのも納得だよ》
《彼は、この場ではなんら罪を犯していません。暴動からの緊急避難による住居侵入、それだけなんです。なにより企業に雇用されています。ギルドに引き渡しを要求します!》
《勤怠に難あり、ロクホウに加担、加えて騒乱に参加していてはな》屋内に待機していた騎士がユキヒトを取り押さえるのを満足げに眺め、エーデルトラウトは青年の正面、ユキヒトが座っていた席に腰を下ろす。「さて、言葉を君に合わせてあげよう。私はエーデルトラウトだ。まず説明が必要かな。君たち転移者は特別扱いの権利がある。それは間違ってはいない」
片口ハンマーを取り出す騎士に頷いてみせる。尖った側の頭が振り下ろされ、青年の腕をテーブルに縫い付けた。絶叫する青年の口が手ぬぐいで頭ごと縛られ、塞がれる。
「では犯罪に手を染めたものは、果たして在住者と同様の罪状となるだろうか。答えは、否だ。税金を費やして与えた補償を食い潰し、そればかりか突っぱねて、公的扶助制度でかろうじて生きながらえる立場に甘んじておきながら協調する態度を見せない。そんな輩をなぜ我が国民と同じ扱いとせねばならん。おかしいだろう」
ユキヒトは騎士を振り解こうと、もがく。《お願いします、彼の解放を!》
《いやいや、この場で殊勝な態度を見せたところで、同様の状況に置かれたなら再び徒党を組んで暴れるだろう連中だよ。これが初参加であるなら──まあ、残念だったなと》
《初めからあなたは、俺を騙していたのか!》
《騙すとは人聞きの悪いことを。ただ彼と君とでは扱いが異なる、それだけのことだ。さて、ここからは我々のお楽しみの時間だよ。ユキヒトに退場いただいてもらえないかな。くれぐれも丁重に扱うのだぞ。彼は私の客なのだから》
後半の指示に、騎士二名はユキヒトを廊下に引き摺り出す。暴れるユキヒトであるが、対面の壁に投げ出されて息が詰まる。それでも体を起こして部屋に戻ろうとするのだが、鼻先で扉が閉ざされた。
《ふ──ふざけるな! こんなことが許されてたまるか! 彼は被害者だぞ!》
──広場に集められた際に君は、我が騎士たちに向けて随分と舐めた態度をとってくれていたな。いやいやいや、責めてなどいない。私の立場としてはむしろ感謝しているよ。必要な場面で必要な手当を出せないことは、さてなんと言ったか……まあ、よろしくないのだ。
──ああ、もう片方の腕も机に打ち付けてしまえ。今後、使うこともないからな。
──君にとっては災難になるのかな。だが我々には必要なことなのだ。だからせいぜい頑張ってもらいたい。あっさり壊れてくれるなよ。おや、君の脇腹は随分と薄いのだな。では螺旋に刃を入れてみよう。ほらほら、腹膜がぷっくりと顔を出し始めたな。こんにちわ。ほら君も挨拶したらどうかね。
──ああ、これは申し訳ない。頭を固定していたな。では、見ることもできないようなその目は取ってしまおう。目を開かずとも構わないぞ。瞼ごとさよならだ。
……こんなことが。
こんなことが、こんなことが、こんなことがこんなことが!
力任せに扉を殴り続ける。避けた皮膚から鮮血が散る。騎士たちは止めなかった。どんな表情をしているのか、確認などしない。
扉の向こうから聞こえてくる悲鳴が、鳴り止まない。
ユキヒトは喉を枯らさんばかりに叫んだ。




