意図せぬ虚偽、向ける懐疑・其の五──損なう心証
洞窟城領の行政組織職員が勤める領庁は、洞窟城正面の湖畔と見紛う河をまたいだ先にある平原に位置している。ヨウアンの領主就任同日に竣工した、延床面積四〇〇〇平方メートルの建造物だ。主要用途は庁舎だが公民館としての役割も担っており、洞窟城の景観を望める立地条件も相まって領民に広く活用されている。
洞窟城への入場申請もここで行われることから、領主の勤務先も便宜上この領庁となる。一国一城の領主が居城以外に勤務地を定める例は、エールデ世界の中でも稀有である。多忙極まる領主が庁舎に在籍することもまた稀であることから、それ見たことかと口さがなく身内を貶す息子がいるとのことだが、それはさておく。
洞窟城施設内にも庁舎として機能する出張所は、ある。
こちらは自治体警察の駐在所の役割を主要とするが、洞窟城領の主要産業の要に置かれた庁舎であるから、即時対応を要する業務も多岐に渡るために、勤務する職員は多い。
場所はティアハイムの詰所から離れること徒歩五分の入り口方向。建造物群が始まってすぐの広い階段を登った先の四階が入り口となる。入り口こそ多階層だが、内部は一階から六階までが貫かれており、講演会場を含む複数の設備が整えられる大規模なものだ。
中二階に位置するティアハイムの詰所から正面通路に足を踏み出せば、右手に見える渓谷の入り口に向けて緩やかな曲線を描く建屋の並びが、足元から頭上までも一望させてくれる。入り口方向を見上げれば、出張所の玄関も確認可能だ。シンイーは、移動が面倒だと思うだけのようであるが、ツグミとしては「宇宙コロニーみたいでかっこいい」と男子心をときめかせていた。
さて庁舎の出張所は、上の階層からの侵入ができないようになっている。だから中二階に位置するティアハイム詰所からだと、いちど正面の通りまで出てから移動することになる。
幅も渡りも広い木製の階段をツグミと降りるシンイーは、「領主たちは、退避してるかも」と訊いてきた。
「仕事熱心で段取り重視のムーチェンさんだよ?」しないさ、と肩をすくめツグミは後ろに続くシンイーを振り返り見上げる。「騎士たちからすると退避してほしいだろうけど、言うことはまず聞かないお人柄だし、動くことはまず無いよ」
なにしろ領主は、全てを把握しようとする悪癖持ちである。崩落による閉じ込め被害者救出になんらかの進展があれば、役割を果たすためにこの場を去ったことだろうが。
「ツグミ、あれ」正面広場に足を下ろしたシンイーが、領庁出張所方向を促す。「先客」
「見えないって。徒歩五分だよ。不動産説明換算なら四〇〇メートルは──彼方なのに、よく見えるねあんなの」ダメ元で目を凝らせば、騎士っぽい人影があるように見えなくもない。「国家地方警察のふたりかな──コウイチの親友の、誰だっけ?」
「タカシ」シンイーは、ツグミの歩幅に合わせて若干の小走りで応える。「もうひとりの騎士の名前は知らない。姫はイーヌォ」
「いやいや、姫様の名前はさすがにわかるって。でもありがと──姫様こそ退避させようよ」
「足が止まった。気づかれた」
「気づかれた、ってシンイーちゃん、後ろ暗いところはないってば……なんでみんなそんなに目がいいの?」
タカシとの接点はたしか、彼がまだソアダ勤務だった頃の、打ち合わせの席だ。同席していたコウイチが、親友だと紹介してくれたことははっきりと記憶している。だのになぜだかタカシの印象は薄い。
「苦手なタイプってわけでもないはずなんだけど──」タカシの、善意と厚意で接してくる態度は決して嫌いでは無い。初対面だろうと狭いパーソナルスペースも気になりはしない──物理的にはそこまでグイグイと迫ってくるわけではないのだが、至近距離に立たれているような、そんな心象にも嫌悪は無い。ただ言えることは「──不気味なんだよね」警戒を与えない、それ自体に身構えてしまうのだ。
「警戒心を抱かせる前提のツグミと逆のタイプ」
「おっと背中からのまさかの不意打ち」
などと話すうちに互いの顔を確認できる距離にまで近づいていた。タカシたちは、どうやら合流を待っていたらしい。大きく手を振ってくる彼の笑顔は眩い。
「手ぇ振られちゃった」
「コウイチの親友」シンイーの体のどこかで、かちゃりと音が鳴る。「失礼なの、よくない」
「わーかってるって。コウイチのことになると怖いんだから、まったく」
取り繕いの笑いを顔に貼り付けながら、タカシに向け手を振りかえしてみせる──そういやもうひとりの親友の名前はなんだっただろうか。あっちの顔は、はっきりと覚えているのだが。
「お久しぶりです、ツグさん」タカシは疑問符こそ浮かべてはいるものの、まさか顔を覚えられていないとは思いもよらないそぶりで、人好きのする微笑を湛えている。「会議の席ではご挨拶できず失礼しました。改めまして、タカシです。コウイチがお世話になっています」
──あら、しっかりとした挨拶だわねこの子。
まるで懐かれているような錯覚に陥りかけるが、たぶん彼にその意図はない。
だから世間話のノリで返すことに決めた。
「こちらこそコウイチには助けられてばかりでね。タカシくん、タカシくん、タカシくん──うん、覚えた。しばらくは顔を突き合わせることになると思うけれど、よろしくお願いするね」
握手を交わし、ついと視線を移せばもう一人の騎士が軽く会釈をしてくれる。残念ながら彼は名乗ってくれないらしい。できれば馴染みになっておきたいところだが。
──タカシくんをつつけば自然と彼も動いてくれるか。
などと不謹慎な思考がいけなかったのだろうか、はたと目をやった先のイーヌォ姫が、執事の立つあたりまで……声が届くかどうか怪しい距離にまで、そそくさと後退した。こちらを見つめるその表情に示されるのは、ありありとした警戒心。加えて執事とメイドたちの佇みからは、こちらのなんらかの挙動に即座に反応できるように身構える気配が──「……いや、なんで?」
「ツグミ」身構える彼らに気づかぬはずもないシンイーが、二歩ほども離れて言う。「謝れ」
「いやいやいや身に覚えがないもの!」姫に向けては愛らしさこそ感じても邪な思いなど抱こうはずもない。なにを用心されているのだか見当もつかない。ていうか思った以上に心へのダメージが深刻すぎてしんどい。「せめてシンイーちゃんは味方でいてよっ、お願いだから!」
「それでツグさんは、どうしてここに?」
その無垢とも言える疑問顔は、こちらに気を遣っての話題切り替えではないだろう。場に合わせているようでその実、空気を読まないのはさすがコウイチの親友である。「ヨウアン領主にね、ちょっとお伺いを立てに来たんだ」ありがたいことには変わらないので、素直に言葉に乗った。「カリルト部長が同席していたら好都合なんだけど──」
「僕らも同じですよ。ヨウアン領主のお力を借りようかと。気がかりな点が出たので」
ふぅん、とツグミは、もう一人の騎士に首を傾げて見せる。だが、さすがは根っからの騎士と言うべきか、表情や挙動をどれほど窺おうともなんら情報を示さない。
「気がかり──ねぇ」だったら、こっちをくすぐるだけ、と。「一応、訊いておくけどさ、タカシくんは自分の立場を理解した上でこの場にいるんだよね?」
「二度目だぞ」するとタカシの背が騎士の拳により小突かれる。小突いた彼の顔には「迂闊にも程がある」との意志が見てとれた。「忘れるなよ、役割」
──役割、ねぇ。
タカシたちは崩落事故発生と時を置かずして現れたのだ。ことが起こると前提していなければこのタイミングは無いだろう。なんであれ、二人の来場には王弟殿下の意図によるものと見て疑いない。狙いは、洞窟上の内外に潜む愉快犯の洗い出しか。一斉検挙を視野に入れるのであれば、自治体警察の洞窟城封鎖とは別途に国家地方警察の警戒網を広げているに違いない。
「すると君たちの役割は、ただそこにあり、なにもしないこと、かな」
タカシの顔が笑みの形に歪められ、その後ろの騎士は深々と息をつく。
「そりゃあ、まあ」ちらと背後に目線を向けてからタカシは、決意したように表情を引き締めた。「どう動いても立場がついて回るなら、いっそ活用しようとは考えています」
「ああ、それはそれは」ふと騎士とのアイコンタクトが成り立ってしまう。彼はタカシの保護者役なのだろうとわかってしまった。さぞかし気苦労が絶えないことだろう。「──自分の意志で来ておいて、それは随分と虫の良い話だね。そう思わないかい?」
「どういう──」
きょとんと目を丸くするタカシに、ツグミは顔を寄せ、小声で問いかける。「君は、そこに立つだけで役目を果たしているはずだ。王弟殿下はなんと命じられた」
ぎくりと息を呑みながらそれでも回答を返すタカシは、未熟ではあれどそれなりに鍛えられているのだろう。
「情報収集にのみ権限がある、そうおっしゃいました──でも」
「そこの君は」「ヴェンデルだ」「ありがとう、ヴェンデルくんはさ、最悪、タカシくんを斬れる?」
彼は無言で視線だけを返してくる。必要とあれば、と聞こえた気がした。
しかし、ひとり理解できてないタカシは「俺は、無難な結末を望んでいるだけです。コウイチたちが無事に戻ってほしい。だから救出に関する情報に疑問が挟まるのであれば、詳らかにしたい、それだけのことですよ。いけないことですか」と微かに感情的な声音で問い返してきた。
「んー……でもなんか君の場合ね、王弟殿下を信頼して従ってるって感じしないのよ。コウイチを助けるためなら、誰にでも従うし、誰をも敵にする、違う?」ヴェンデルを確認すると、彼は顔を左手で覆い空を仰いでいた。図星らしい。「──まあ、ボクとしてもね、うちの社員を救うためなら目を閉じて耳も塞ぐよ」
「できれば」タカシの目に映る光が一瞬だけ、戦意に瞬いた。「口も噤んでいただけると助かるんですが」
「それは、約束できないなぁ」口元の笑みはそのままに肩をすくめ、首を傾げる。その先に、佇んでいたイーヌォの不機嫌にも見える顔色に、怪訝な顔を返すと、彼女の青い瞳がびくりと緊張するのがわかった。気づいていて無視していたのだが、なぜずっと観察されなければならないのだろう。「えーっと……姫様?」
と声をかけた途端、執事一行が間に割って入り、さらに手前にシンイーが滑り込んでくる。
「……なにをするつもり」
「しませんよっ?」
──本当に、なんなのさ。
ぼやきたくなる感情はこらえたが、もういいや、くらいは呟いて構わないだろう。こちらに好意的でない相手を気にかけるのは、精神衛生上よろしくない。遠慮なく無視させてもらうとして「なんにせよ、ボクはね、どんな手を使ってでもコウイチを助け出すよ。約束する」とタカシに言った。
「……それで、俺になにをしろと」
「話が早いね」ヴェンデルにも目線を送り、彼にも届くくらいに声を抑える。「その時が来たら──ちょっと大変かもしれないけれど、押さえておいてほしい人物がいる」
「──誰ですか」
ツグミはタカシの肩を叩き、彼の腰にある剣に視線を落とした。
「サコ姉さんで無いことを、祈るんだね」
241010 全面改稿




