はぐれた先で出会った人たち・其の三──異世界にいる認識
「事後承諾で申し訳ないけれど、君の荷物から学生証を拝借して先に確認させてもらったよ。木曳野ひたきさん、ノートを見ると最新が二次関数だから、高校一年生かな」
「はは、お目汚ししちゃってお恥ずかしい限りで」
「面白い反応をする子だね。緊張しなくていいよ」
呆れられたと察したヒタキは顔を朱色に染めた。口をついて出てしまう言葉は、別にウケを狙っているわけでは無いのだ。こればかりは性分としか言いようがない。相手によってはふざけていると受け止められて叱られることもあるが、この人は受け入れてくれるようだ。
それなら恥の書き捨てついでだ。
「ごめんなさい。もう一度、お名前……いいですか?」
「コウイチだよ。気にせず何度でも訊いてくれていい。何度でも答えるから」
コウイチさん、コウイチさん、コウイチさん、と呟きを繰り返す。
「大丈夫です、コウイチさん、ばっちりです」
《意外と余裕があるのかな?》
「なんですか?」
つい、グイッと身を乗り出してしまう。せっかく言葉が通じる相手が現れたのだ。こうなれば可能な限りつきまとい、じゃあなくて、味方になってもらおう──はっ!
はた、とヒタキは首を左右に回して少年の姿を探した。異性が距離を詰める光景を見たら、彼はきっと不機嫌になる。出会って早々にトラブルの種に認定されるのは勘弁である。
洞窟の向こうに目をやれば、彼は男性と共に何かの作業をしていて、幸いなことにこちらを見ていなかった。判定は、セーフだ。
「よし」
「なにが」
「なんでもありません、はい。それで、助けていただいたんですよね?」
居住まいを正してにっこりと笑いかけると、コウイチはどこか釈然としない面持ちではあったが「ああ」とあの少年を指し示した。「君を助けたのはエルノ──あのプラチナブロンドの彼だよ。あとでお礼を言おうか。付き合うから」
──ああ、この人にはわからないのだ。不機嫌にしてしまう理由が。
「えと……そっけなく、されたりとかしませんか」
「そんなことはないと思うけど、どうして」とまで言ったのち、何かに気付いたのだろう。コウイチは首を横に振り、気にしないで、と前置きする。「大丈夫だよ。物静かで、人を傷つけるような性格じゃあないから」
物静か、との評価に多少の齟齬があるのだろうなと修正を入れて、その言葉をありがたく受け止める。この場にいる人たちとは、仲良くとまでは言わずとも、最低でも普通に受け入れてもらわなければなるまい。なにせ悶着の起爆剤が目の前にいるのだ。グラウンドゼロに立ち会いたくなどない。フラグ管理は念入りに、だ。
「カステヘルミとは、ちょっとした諍いがあってね」
《おっ、お呼びいただけっ、ました、か!》
なんだかずっとコウイチの背後で待機しているなとは思っていたのだ。どうやら彼女がカステヘルミというらしい。愛称などないのだろうか。ルミちゃん……何か違う。ともかく彼女はコウイチの肩に顎を乗せてしまうのでは、と危惧するほどに彼との距離感が極めて近い。ふと視線を移せば、コウイチの反対側の肩には彼女の手が乗っている。
隙を見過ごさないボディタッチ。見事である。
《いや、まだ出番じゃあない。ていうか、君も森林保護官として参加しているんだから、彼らの手伝いに向かわないと。俺たちはもう大丈夫だからさ》
《え……》
なにを言われたのだろう。カステヘルミの面持ちが絶望に青褪める。
《一緒に、謝って、くれるって》
《仕事は仕事じゃないか。落ち着いたら改めて、との意味だったんだけど》
《む、無理! です!》
コウイチのため息に、なぜだろう、ヒタキもカステヘルミと共に身をすくませてしまった。顔立ちや立ち振る舞いは優しそうなお兄さんといった感じなのに、ちょっとした仕草や雰囲気が時折、こちらに有無を言わせない気配を漂わせる、彼からはそんな印象を受けるのだ。
「ヒタキさん」
「ひゃ、い!」噛んだ。
「ごめん、ちょっと野暮用を済ませてくるから、ここで待っててくれる?」
ちらとカステヘルミを見ると、縋るような目線をじっとコウイチに向け続けている。もしかすると見過ごしてはいけない現場がこの先にあるのではなかろうか。
「あ、あたしも一緒に見回って、だめでしょうか。どうせ言葉わかんないし、大丈夫です」
「言葉がわからないから大丈夫、の意味がわからないのだけど。かまわないよ」
おっと、この男、とぼけおる。
「じゃあ、俺たちが通った場所だけを歩くように。坑内はまだ危険だから」
《作業着!》
「あ?」コウイチのかすかなドス。「じゃない《なに?》。どっちをしゃべっているかわからなくなるな……学生時代、英語でこうなりたかったかも」
《その子の服、汚れちゃう、の、いけませんから、あたしの予備の作業服》
なんだろう。聞き流すのはマズい気がする。
「彼女、なんて言ってます?」
「カステヘルミが自分の着替えを貸す……って」
とまで翻訳したコウイチと共に、ヒタキもカステヘルミの一部分に視線を落とす。
《いや、ビルギッタさんのを拝借する》
《なんで、ですか。背丈とか、あたしと変わらなさそうです、けど》
「新品?」とはヒタキの言葉だ。
《着慣れてる着替えです》彼女の堂々とした態度が意味を伝えてくれる。《それはもう、思う存分汚しちゃってくださって構いません!》
「バレッタを貸してくれたビルギッタさんの作業着に着替えておこうか」
「はい、よろこんで」つい、胸に両手で触れて見下ろしていた、そのままの格好で勢いよく頷いてしまった。「べ、べつに大きさなんて気にしないって言っても、ブカブカの胸元はなんか、やです」
《だ、そうだ》《言葉、わかりません。嫌がられ、ちゃいました?》《いいかげんその乳、鷲掴んでいいかな》《どっ! どど、どうぞ! 初体験ですのでお手柔らかに!》《冗談だよ。彼女を見ろ。君の服を着た想像で自分の胸元を心配しているぞ。さあ、彼女が着替えられる区画つくって》
なぜだろう。言葉は全く理解できないのに、会話の内容が伝わってくる。それはもうすごく。
「じゃあ、服の準備するから、カステヘルミについていって」
「はい」立ち上がり、カステヘルミを見ると、不本意そうな表情でこちらの胸元に視線を落としてくる。いや、不本意なのはこっちだ。「なんですか。ちゃんとありますよ」
《……大丈夫、だと思う》
自分の乳を下から持ち上げて確認するカステヘルミに、ちょっとカチンときた。
「いや、なに見てそれ言います? ていうか中身、ほんとうに詰まってます?」
伝わらないだろうと思いつつ投げた質問は、きょとんと小首を傾げられる仕草で返される。くっそかわいい。ふざけるなちくしょう。お友達になってください、ぜひとも。
《じゃあ、こっちです》
「あ」彼女と共に歩くと、同じ高さに目線があった。年下かと思っていたが、もしかすると同い年か年上の可能性がある……いや、外国人だし身長で判断するのは危険だ。「カステヘルミさん」
歩きながら《なに?》と聞き返してくる彼女は、言葉が通じないことなど気にしていないようだ。手の甲が触れ合うほどに近い距離感は、むしろ嬉しい。
「あなたは……こっちで生まれたひと?」
《?》
「……だよね。通じないか」
わからないとの仕草を返す彼女に、ヒタキは洞窟内をぐるりと見渡した。
──異世界、なのかな、そうなんだろうね、たぶん。




