おおよそ気の迷い、または衝動・ 其の二──入場許可申請は正規の手段で
緩やかに平原をくだる先は谷底平野で、河とも湖ともつかない澄んだ水面が広がっていた。水面の向こうの正面にはゴツゴツとした岩肌が急傾斜を描き、壁となって立ち塞がっている。しかし侵入者たちの熱意だかには然程の障害でもなかったようで、表面には馬車に乗ったままの移動が可能なつづら折れの道路が刻まれ、移動は随分と容易そうだ。
曲がりくねる道を追って見上げてゆくと、遠くからでも望めたあの巨大建築物が視野いっぱいに飛び込んでくる。こちらに倒れ込んでくるような圧迫感である。左右に視線を巡らせれば離れた峰へと尾根が続くが、前面に迫り出すつくりの城周辺は原型だろう峰や尾根がもはや確認できない。
それは遠目でも疑いを抱かせた安普請な作りも手伝って不安をかき立てられる光景だった。
建造物にポツポツと開く窓や扉から現れる人影が、外壁に梯子を頼りなく貼り付けたような通路に、慣れた様子でひょいと飛び出す様子は見るからに危なっかしい。
「施工計画書で見たよりも補強が進んでいないように見えるけど、こんなものなのかな」
コウイチが誰に問うでもなくつぶやくと、
「現に遅れてるんだ」ビルギッタが、馬車から下ろした荷物を確認しながら応えた。「大元の基礎がしっかりしているから保っているようなものだよ。あとで継ぎ接ぎした大部分なんて目も当てられない惨状でね。この巨大さだろ? 管理範囲が入り組んでいるんだか入り乱れているというのか、予算配分で揉めて補修もおぼつかない有様さ」
「使い切って赤字は出してるって話だったけど。これじゃあ埋没費用になっていても気付けないぞ」他人事ながら心配になるが、コウイチの業務は作業者たちが業務に従事できる安全な環境を整えることなのだから、ことが施工管理に至っては口を挟める立場に無い。「基礎がしっかりしている、とは?」
「元は領主の本物のお城だよ」コウイチの隣でずっと座り込んで項垂れていたヤミが、乱れた金髪を両手でかきあげながら蒼白の顔を上げて会話に割って入った。「歴史に攻城兵器が登場するまでは有用だったんだと。山肌を抉り取って人工洞窟を作り、発掘で出てきた岩石鉱石を建材に築城しているから、頑丈なことは補償されてる。見えている部分はお察しで」
「お、復活したか?」コウイチは屈んで、ヤミの背を撫でつつ「腕や足のツボは効かなかったみたいだな。力及ばず申し訳ない」
「いや、ありがとう。もともと人の運転に酔うタチだし。それが速度は安定しないわ無闇に揺れるわ道もうねうねうねうねと、なんだこれ、いじめか」
ビルギッタが「こればっかりは慣れ、だね」と梱包明細書をカバンに押し込み、広げた装備と荷物の整頓を始める。「できそうならヤミも手伝いお願い。そろそろアルヴォたちも戻ってくるだろうし、ちゃっちゃと現況終えて今日は、早めに切り上げて休むよ」
「うす。あざっす」
「あ、今更だけどコウイチは特別講習終えてるよね」
「教育修了証と受講証明書がここに」首に下げた革のストラップを引いて、胸ポケットから真鍮板二枚を取り出す。大きさが一〇センチ程度の小判型だから軍隊の認識票に見える。実際、エンボス打刻した文面には氏名と所属が記載されているから、その役割もあるのだろう。
「簡易講習と言っても」ビルギッタは視線を、近づいてくるアルヴォとエルノそしてカステヘルミに向けながら続けた。「入場には必須だしね。役に立たないわけでも無いし」
「本番は明日で良かったな」アルヴォがビルギッタから荷物を受け取りながら言った。「今日一日分の入場許可証だ。みんな見える位置につけておくように」
「はい先生」「あ、あたしも了解です」
エルノとカステヘルミの回答にコウイチが「先生?」と問えば、
エルノが微笑で「環境事務所でお世話になったんです」と答えてくれる。
「あ、あたしもお世話した側っ」声を張り上げるカステヘルミは、注目を集めたことに体を縮こませてしゅんとした。「だ、と思う、んだけど」
「自分で言っちゃうからダメなんだよ」
エルノは「教わる立場だったのは事実です」とコウイチに肩をすくめて見せる。
さて、なんと返すのが正しいのかと悩みつつカステヘルミを見れば、彼女の「本当ですよ」との上目遣いの視線があったからたじろいでしまった。どうにか笑顔を作り、
「なにかしら疑問点が出たら頼らせてもらうよ」とだけ返してアルヴォに疑問の顔を向けて問いかける。「入場手続きは本人確認が必須じゃあありませんでしたか?」
「予定人数は申請済みだったからな」革製の入場許可証と、自治体警察の印が押された書面をコウイチに差し出しつつアルヴォは応えた。「本番の明日は全員で出向くことになるよ」
事故や災害は都合なんぞお構いなしだろうに、見学だからと本人確認免除?
どうにも釈然しないままにどちらも受け取り、書面に目を通す。宥安とのサインの上に現地語でヨウアンとルビが振られている。ヨウアンはここ洞窟城を含む周辺一帯を治める領主の名であるから、正規手続きであることは間違いない。アルヴォに書面を返しつつ、ちらとエルノたちを見ると、
「たっ、頼られると、その、はい、えと、えへへ。頑張らなきゃ」
「そこは堂々としてよ。まったく……」
気にしている様子など微塵もない二人の姿に、どうにも不安が募る。
「手荷物を確認するぞ」ヤミが、まるで保安検査のようにコウイチの衣類とポケットの中身を調べ始める。「侵入錠ハスプの鍵はどこだ?」
「ああ、ここに」
悩んでも仕方ない。コウイチはパーティに突発参戦した部外者でしかない。彼らの足を引くことは前提としても、同行するにあたっては盲従する。それだけだ。
「お世話になります」
「おうよ」
ヤミの屈託のない笑顔は、癒やされるに充分だった。