被災時の対応・其の三──情報の趣旨選択
この乳、暖簾よろしく持ち上げて退けてやろうか。
などとの危うい衝動が実行までの秒読みを開始し始めるのと同時だったか。
「ありがとう、カステヘルミ」
エルノが応えた。カウントダウンが停止する。
カステヘルミもろとも背を持ち上げて、コウイチは彼の顔を確認した。貼りついた笑み、とはまさしくこういうことか。くたびれた笑いとも見える。
「だけど、そういうのは、いいよ。僕は失敗を返上するつもりだし」
「彼女は無事なんです!」「重」
カステヘルミが、肩と頭に手をついて押さえつけるようにして身を起こすものだから、コウイチの視界が一面の地面に占められる。そもそもなぜ乗ってきた。そしてなぜ乗せたまま耐えている。いいかげん振り払っても構わないとは思うのだが、彼女の必死さがどうにも踏ん切りをつけさせてくれない。
「あとはあたしたちが助かるだけなんです。何度でも言います、エルノは立派です、格好いいんです。あたしたちが、そう思うことまで否定しないでください!」
お?
正直、驚いた。なによりも見直した。カステヘルミの発言は、良くも悪くも素の感情そのままのものだ。まさかきちんと説得に着地するとは思わなかった。このままエルノが、なにかしら感じて考えてくれるとありがたいのだが。
「それにエルノが、真っ黒な長い髪に弱いことも知ってます!」
エルノの顔から表情が消え失せている。
コウイチは顔を蒼白にした。
耳を傾けていたアルヴォが、手を当てた顔を伏せて左右にかぶりを振る。
なに言ってんだあのバカ、とヤミの呆れ声。
すん、と無と化しているビルギッタ。
「助けたことを後悔なんてする必要ないんです! 助けたい相手を助けられたことに胸を張ればいいんです! 文句あるかくらいがちょうどいいと、あたしは!」
「黙れ!」とうとうエルノは叫んだ。「お前の言葉はいい加減うんざりだ、これ以上その口を開くなら、その首もぎ取って踏み潰すぞ!」
「あ……う」
頃合いだな、とコウイチは肩に置かれたカステヘルミの手を二度叩いて、彼女に離れるよう促してから腰を伸ばしながら立ち上がった。なぜ先の言葉を間に挟んだのだこの子は。振り返る先にあったビルギッタと目配せを交わす。
「カステヘルミ」ビルギッタが、こちらへ来いと片手で招く。「手伝って。診察」
「で、でも……えと」
「ほら行った」コウイチも彼女の背を叩いて、この場から追い立てた。結果はともかく役割は果たせているのだから上等だろう。「仕事と役割だ。転移者を頼むよ」
ビルギッタとヤミが、シートに寝かされた転移者の娘に向かっている。そもそもビルギッタの治癒術は対象者をひどく疲労させる短所がある。切創や裂創を塞ぎ消毒効果まであるからと多用するものではないのだ。カステヘルミの役割の一つは、対象の体力を減衰させてしまわないよう完治させずに切り上げた傷を、創傷被覆材などにより保護することだ。持久戦であり耐久戦にもなる現状、彼女の役割もかなり重要となる。
後ろ髪を引かれるようにチラチラと振り返りつつも去るカステヘルミを見送り、コウイチはエルノに歩み寄って手を差し出した。「納品書をかして。続けようか、数量確認」
「……どうして彼女を止めなかったんですか」
「まさかの話術だった。ごめん。ていうか割り込んできたの彼女だし」
「僕がキレるまで待ってましたよね」
エルノから納品書を受け取りつつ「そのつもりはなかった、本気で」と返したのち、彼の視線から疑念が消えなかったから、コウイチは両目を虚空に上げた。「君は、良くも悪くも抱え込むみたいだから。飲み込むよりは吐き出すほうがいいことは多いよ」
「コウイチさん、思っていたより、ひどい人なんですね」
「もとは、こんな性格じゃあなかったはずなんだけどなぁ」たぶん、ツグさんとシンイーからの薫陶の賜物かな──いや毒されたんだなこれは。「さて、手伝う気は?」
「切迫してますから、当然です」
「ありがとう。感謝するよ」
見るとエルノは、ぎこちなくも笑みを返してくれていた。




