おおよそ気の迷い、または衝動・ 其の一──現況調査に赴くは、やたらと巨大な洞窟城
緑豊かな平原を進んで望むのは、視界一面の地平を占めて無遠慮に切り立つ山肌だ。緩やかに降る平原の傾斜も手伝い、その雄大な景観は蒼穹の足元を三割ほども満たしてしまう。
人々の往来が頻繁な轍道は、馬車どうしが擦れ違えるほどに広い。役目を終えたのだろう幌の無い荷馬車が今も、対面通行で抜けてゆく。視線で追いかけて振り返れば、あの山肌へと荷を運ぶ者たちが点々と続くのが見える。各々が別の依頼、別の目的で行動しているのだろうことはその車間からわかる。それだけの仕事があの山脈にはあるのだ。
大空を支える山脈の一角に、人の手が入る造形物が見えたならそこが目的地である。子供が砂場で積み上げた山を無造作にこそぎ取り、おもちゃのお城を乱雑にねじ込めば似たような風景になるだろうか。子供の砂遊びで例えるにはいささかならず程度が過剰ではあるが。
「あれが、ダンジョン」
幌馬車は天井だけを防水布で覆った、左右の視界を妨げない作りだ。だからコウイチは車内にありながらその光景を展望できた。想像していたよりもつくりが乱雑な洞窟城は、予想していたよりも壮大だったから失望にまでは至らない。
「洞窟城と聞いていたけれど、山頂付近まで手が入っているじゃあないか。これじゃあ山そのものを建築物に加工したような……」
「築城された当初は、もう少しマシな景観だったらしいよ」
正面からコウイチに声をかけるのはパーティリーダーの女性、ビルギッタだ。一〇代半ばの息子がいるとの話だが、彼女の笑顔は闊達で若々しい。短く刈り上げた黒髪を撫でつけて帽子を被り直し「それよりも」と半身を乗り出してくる。
「三人同時に、ここ、エールデランドに転移してきたってのは本当かい?」
その表情に痛ましいとの感情が見て取れたからコウイチは「今となっては心強い限りと考えるようにしていますよ」と肩をすくめて見せた。
「一人だけ送られるのも」ボソリと口を挟んできたのは、白金の髪に灰色の目を持つ、美少年と言って差し支えのない容姿のエルノ。「残されるのも、どちらも辛いですからね」
「で、ですよね!」エルノを挟んだ隣で何度も勢いよく頷くのは、彼と同じ色の髪と瞳のカステヘルミ。「三人なら色々、乗り越えられ、ます!」
彼女が体を動かすたびに豊満な乳房が重そうに揺れる。コウイチは目のやり場に困り視線を遠くに向けつつ「あ、ありがとう、なのかな」と嘯いた。彼女と話す際には顔ごとそっぽを向くか双眸を覗き込むかの二択になってしまう。だが、彼女には後者の態度が好感に繋がったらしく、どうにも距離感が近く、懐っこい。
そんな彼女の態度にエルノは「軽々しい発言はやめなよ」とため息を漏らした。
するとカステヘルミが「失礼、でした……か?」と、しゅんとする。
行動を共にしてから何度も目にするこんなやりとりは、二人の揃いの瞳と髪の色も伴って血縁関係を想像させる。しかし問うたところ全くの他人と返された。どうやら二人の郷里であるフィンランドでは、そこまで珍しくはないとのことだ。
「そんなことはないから安心して。三人一緒だったから乗り越えられたことも少なくないのは確かだから」
「じゃあ助けられたのは三人同時だったのか?」御者の隣から移動してくるのはサブリーダーの男性、アルヴォ。茶色の長髪を後ろで束ね直しながら、がっしりと厚みのあるその体躯を傾け、荷台の中央からコウイチを見下ろしてくる。「私は幸いにして自力で脱出できたが」
彼が移動するとそれだけで車体が軋むように錯覚する。そんな肉体だから自力でと聞いて想像するのは、魔力結晶の繭であるジオードの壁を拳一つでぶち抜いて脱出する彼の姿だ。
まさか、そんなことはなかったのだろうが……そこまでではないというだけかもしれない。
「村が近くにあって、救出に即座に動いてくれた人たちがいたんです。若干、地中だったから三人とも綺麗に魔力結晶の繭に閉じ込められていたのが、逆に幸いだったと」
「ジオードの内側トゲトゲで、ですものねっ」カステヘルミがエルノの頭に、大きな胸をどっかりと乗せて顔を寄せる。「あたし背中にまだ、傷の跡、あります!」
エルノが「重い」とぼやき、真向かいの座席にとうとう移動する。なんだかんだで仲は悪くないのだろうが、二人のやり取りに巻き込まれてしまうと少なからず気まずいものがある。
「えっと……ああ、そうだね。結晶の剣山に身体中が傷だらけだったよ。自分の転移で生み出したジオードの中で傷だらけになるのは、どうにも釈然としないというか」
「それは仕方ないです。転移座標の初期位置から落下する頃には、内部の魔力鉱石の靭性が四から五程度には安定しますから」
突然、スラスラと語り始めたカステヘルミにコウイチは、頭の回転が速い子なのかな、と好意的に受け止めることにした。呆れ顔のビルギッタとアルヴォが顔を見合わせ、御者台に移動してゆき、エルノはとうの昔に離脱済みといった雰囲気を漂わせている。
実はもう一人、ヤミという男性がいるのだが、馬車酔いで屍と化して久しい。
ともかく転移などしたくも、されたくもない。だからせめて揃って移動したことくらいは幸いだったと思いたい、それだけだ。ただ複数名で転移は珍しいから、どうしても話題に上りやすい。すると毎度、切り上げ方が互いにぎこちないものになるのが常だ。だから、気まずい話題を解消してくれた彼女へのせめてもの感謝に拝聴するとしよう。
「周辺物質の変化が始まるのは、転移座標が定まる時です。転移完了する頃にはジオード化が大方終えてしまいます。ジオード形成範囲は六〇キログラムまでで直径約五メートル。初期こそケイ素のように脆い内壁で生成されますが、転移者が姿を表す頃には魔力結晶化した鉱石が尖った切っ先を内側に向けて成長、硬化を終えてしまうようです。アメジストドームのような内部で二メートル以上落下するのですから、転移者のほとんどは裂傷や剥離、挫傷で生還できていますが最悪、多発外傷や頚椎損傷、頭部外傷により死亡することもあります。怖いのはむしろ、上空に投げ出されての落下死や、地中の奥底、洞窟などの岩盤内に転移してしまうことですね。岩の中で発見されたジオードなどは、河原の晶洞を割るノリで暴いたりしますと」
……いつまで続くのかな、この講演。