対策協議・其の一──棚上げも大事
ヨウアンは洞窟城を含む周辺区域を収める領主である。名前から転移者と思われがちだが、彼自身は混血四世で、由来がグローブランドにあるなどと言われたとて実感など無かった。
この領国だけの習わしとして、領主に連なる男子は髪を腰に届くまで伸ばし束ねる、といったものがある。ヨウアンが、煩わしいと思いながらも従ってきたのは、グローブランド由来の歴史ある風習だと信じていたからだ。ところが、どうやらなんの所縁も無いらしいと近年判明してしまった。父や祖父そして曽祖父が領民に印象付けてきたこの髪型に、強制力などありはしなかったのである。だからと今更ばっさり斬髪するのにも多少ならず抵抗があり──
などと至極どうでも良い思索に耽ってしまうのは、現実からの逃避ゆえである。
領主後継者の息子を引き連れ、先祖の生家であり発祥の地でもある洞窟城に赴いたのは、ダンジョンに新規発生した支路内部での崩落災害、ともなう閉じ込め事故が理由だ。第一報では事件性の無い労働災害とのことだったから、早急に労災手続きの対応を行なおうとした。
ところが待ったをかける者があったのだ。息子のムーチェンである。
ヨウアンは、気になり始めたほうれい線を親指でなぞりながら、かたわらに並んで共に歩を進めるムーチェンに不機嫌な声で問いかけた。
「それで、崩落に巻き込まれた作業員は何名だ」
するとムーチェンは大仰に両手を開き虚空を仰いだ。
「それをまさか父さん」かぶりを振る挙動で、父親と同じく腰まで伸びる緑髪が揺れる。「あなたから問われるとは、まったくもって驚きです」
「ふざけている場合か。要救助者が発生しているのだぞ」
言い終える前に、鼻先にずいと突きつけられるのは、入場許可証の控えだ。記載された署名はヨウアン。まさしく自分の名前であることに言葉を詰まらせてしまった。
そんな父の顔にため息を漏らし、ムーチェンは「まさかその場にいないばかりか、誰にでも押せる場所に署名印を転がしておく、だなどとよくできますね」と冷ややかな視線を向ける。
流石に動揺を隠しきれないまま「私の体はひとつなのだ。あれもこれもと即時に目を通せはしないとわかるだろう」と反論。
「届出時に全員が揃わずとも書面が発行されているそうですね、受付員が気まずそうに、正直に話してくれましたよ。それも誰あろう、あなたの指示というではありませんか」
「いや、それも、入場立ち会いに承認者と責任者の両名が必須となると入場遅延も甚だしい有様となるから、それを解消する目的があってだな」
「だから以前から具申していたでしょうに」ムーチェンは憤りも露わに、苦々しい表情で強い口調を放った。「諸国から参入している組合や、ギルドなどの自治団体から責任者を選任して委員会を設け、司法の一部を委託してしまってはいかがかと。うまく働けば改修計画の遅延解消も成ったはずなのに」
「責任の所在を現場に転嫁することになりはしないかと返したはずだ。その回答はどうした」
「受付を名代に仕立てて領主の名で押印させておきながら今更なにを。許可承認まで丸投げしておいて転嫁もくそもあるものですか。そうやって自分の負う責任ばかり膨らませ──」
「その話は、今、必要なことでは無い!」
歩き続ける間、ずっと突きつけられたままだった入場許可証をひったくる。人数と名前を確認したいだけだったのに、なぜ言い争いなどしなければならないのか。いらいらとした感情のまま入場者氏名を口に出して読み上げ確認、最後の一人で口と足が止まった。
「……待ったをかけた理由は、彼か」
「現況調査の同行に出張してきたクラン・ティアハイム所属のコウイチ。出身は日本」
ヨウアンは入場許可証をムーチェンに返し、歩みを再開する。「さすがに彼は純然たる被害者でしかありえないが、場所が場所か──安全衛生を洗い出す必要があるな」
洞窟城前の受付小屋前を、胸元から出した入門許可証を掲げながら抜ける。ちらと横目で確認すると、さりげなくわかるように武装している複数名の敬礼姿があった。
「場所は大会議室か?」
「はい。構内作業を全て中断させて、従事責任者全員を招集しました。同室には報道も」
「テンプルの連中だ。無闇なことはしないだろう」洞窟城屋内に入ったところで、ヨウアンは顔を顰める。「中断と言ったな。現場から作業員全員を引き払わせたということか」
「通常の処置ではありますが、今回の災害においては補強調査と観測者の配置をさておいてでも引き揚げさせるべきと判断しました。報道を同室させた理由もそこにあります」
「単なる崩落事故では無い、か。詳細を簡潔に」
「新規作成された支路に転移が発生。形成途中のジオードがなんらかの事故で均衡を損壊。岩盤の結晶変質は主要運搬坑道にまで届きました。計測から元の形状は直径一六フィート。現時点でも地盤は安定しておらず崩落と倒壊が続いていると」
「直径一六フィートの容積を蹴り転がしたか。転移者を庇おうとでもしたのだろうが」
馬鹿なことを仕出かしたものだ。責める気にはなれないが、なんらかの措置は取らなければならない。だが今はとにかく情報の共有化と救出が優先だ。
広い廊下を折れた先に、両開きの扉が開け放たれている。二人で入室すると、招集されていた全員が一斉に立ち上がった。
「招集に応じてくれて感謝する」
父の放つ凛とした声に場が引き締まるのを見渡し、ムーチェンは誇らしげに頬を緩めた。