権利と権限・其の三──情報を仕入れない義務
「あっらまぁ」
びく、とヴェンデルはサコギの声に身構える。
「随分なイケメンさんね、眼福だわ。すぐに相手できなくてごめんなさいね?」
──いや、間に合っていますんで放っといてください。
タカシの不審な態度の理由が理解できたのは、この瞬間だった。
この女性の、立ち振る舞いの全てに隙というものが、無い。
「マヌエル!」
彼女の言葉が、なにかしらの合図だと勘違いしたから、とうとう剣の握りに手を伸ばしてしまう。だが、その手は虚空をかいた。はっと剣があった辺りに目をやれば、ソードベルトもろとも抜き取られている。そしてそれを握る大きな手が、ある。
ヴェンデルより頭一つ分高い位置から「俺のことだ」と声が降ってきた。
見上げると、横幅から厚みから、なにからなにまでも巨大な男性が、あった。
そんな屈強な男が音はおろか気配すらなく忍び寄り、武器を奪い去った。
その事実に、我に返ったヴェンデルは間合いをとる。
「マヌエルだ。長物は、邪魔なだけ。預かる。帰る時に返す。理解しろ」
無造作に背中を向ける巨漢が、未だ頭を抱えて呻き続けているタカシに近寄り、彼の剣をこちらもあっさりとスリ取る。その光景にヴェンデルは脱力した。
「はいはいはい」サコギが三回、手を打ち鳴らす。注目を促してから、白い歯を見せてニカっと笑い、「いつまで休んでるのタカシちゃん。さっさとこっちにいらっしゃいな」
「く……そ!」ふらつきながら立ち上がったタカシは、おぼつかぬ足取りでヴェンデルに近づくとその肩に手を置いて凭れた。「なんで平気な顔してんだよ、あの石頭は……」
「……転移者は、ここまで化け物揃いなのか」
「サコ姐さん、現地民に一絡げに誤解されるから解消して」
「したげない」
ぺろっと赤い舌を出すサコギの蠱惑的な微笑に、怖気を伴う緊張を味わう騎士二人。
「……勝てると思うなよ」支えられたままタカシは、ヴェンデルに囁いた。「この美人、アッチじゃあ警察でなんらかの師範だったって話だ。悪い人じゃあないから、考えるな、従え」
「従えってお前」「やんちゃはダメよ、イケメンさぁん?」
「あ、はいっ、了解です! もとよりお綺麗な方には嫌われたくないタチなんです俺」
「あらやだ! こんな若いイケメンさんに綺麗だなんて言われちゃった!」
若い、と言っても三〇手前で見た目も相応のはずなのだが。
などという疑問を抱いたままタカシを見れば、
(間違っても年齢を訊こうとするなよ)
(お、おう)
アイコンタクトがここに成立した。
「タカシちゃん」サコギが、支路入り口付近で壁を差す。「ここ見て」
ペグにぶら下がるハスプに六つの環状鍵がかけられている。かつての教育係だった彼女からの問いかけだから、なにか気づくことはないかとの試験かなと当て推量して答えた。
「鍵には侵入者のタグも付属させるべきかなと。ドッグタグみたいに二つでセットのうちひとつを持たせたままにしておけば、要救助者が意識を失っていても身元照会できる」
「うん。見てほしいのはそこじゃないんだけど、ネタは有用だから採用。本来の用途はロックアウト、閉じ込め防止だからねぇ。改善提案を出しておくわね」
そうじゃなくて、とサコギは壁面を指先で叩いた。
ハスプがある、その手前に垂直方向に伸びる線がある。正しくは、細かな結晶に化粧された壁面がそこで止まり、くっきりと境界を描いていた。
「ジオードの魔力効果範囲が描かれている?」にじり寄り、壁に顔を近づける。「それにしては結晶化が随分と薄い」
サコギも腰をかがめて「あれだけの結晶化が奥にあるのに」と、タカシの目の前にある境界線を掌で撫でた。「効果範囲がここ、だなんてあり得ないわよね」
「ジオードが正しく形成されたなら、結晶は最大四〇センチ程度」タカシは壁から結晶のかけらをもぎ取り、指先で転がす。「大きくても五ミリ程度。支路の途中で現れたジオード範囲が、ここまで転げ出たのか。鉱石変化を及ぼせるだけの力を失って、壁にめり込んで停止している」
壁と床に施されている結晶化の化粧は、直径二メートルほどの曲線を描いている。
「正解。この円弧が示す本来の球体直径は約五メートル。結晶化の魔力消費量と、生成された結晶の大きさから換算して、移動距離は一〇メートルほどかしら」
「授業は別の機会にしてもらえますかね」サコギに言いつつ、ヴェンデルは手をタカシの肩に置いた。必要なのは生存の可能性の有無である。「タカシ、目的を忘れるなよ。それで、閉じ込められた六名の安否は?」
「崩落が伴っているから無責任には言えないけれど」問われたサコギは腰を上げ、奥の結晶の壁に目をやる。「支路の奥に退避しただろうから、生存の可能性は充分にあるわね」
「発生地点はたかが三二フィート程度の先なのに、向かったのが奥?」
メートルを主流とする転移者たちだが、エールデランド現地民はフィートを用いている。どちらもグローブランドつまり地球から持ち込まれた単位ではあるが、エールデランドにもともとあった単位からの変換が容易いという理由で好まれている。また、国境を跨いでも共通して扱える単位として、どの勢力にも関連しない呼称は都合が良かったという背景もあった。
余談だが、転移者が持ち込んだ一五センチの定規をもとに副原器が作成されているために、この世界ではインチフィートの方が精度は高い。
「魔力結晶化によるジオード生成を、パーティのうちの誰かが邪魔したからよ」腰に手を当て、サコギは困ったような顔を魔力結晶の壁の向こうに向けた。「結果、ジオード形成範囲がこちら側に向けて壊れた。出口が先に崩落を始めたから奥に向かうしか無くなった」
「なんだって邪魔なんざ」
「転移してきたのが人だったから、でしょうね」
240323部分改稿