もしかして、日本にいらっしゃいます?
月曜日の足取りは重かった。
連休を取ったにもかかわらず、いつにも増してやる気がない。
仕事のミスも多く、部長から叱責されるたびに無表情で謝罪を繰り返す。
「今日は残業するなよ。大きな失敗をする前に帰るんだ。家でしっかりと休め」
「推しの動画でもみて気分転換でもしろって」
あきれ顔の部長にしっしと手を振られ、巧からはぽんと肩を叩かれ。うなだれながら致し方なく会社をでる。
大人しく帰ったところで、どうせまた返信のないメールをみたりYouTubeをひらいてしまうのがオチだ。しばらくスマホを気にしない環境に身を置きたい。俺は目に留まった居酒屋にふらりと足を向けた。
やけくそに酒をあおり続け、途中いい飲みっぷりだねえと声をかけてくれたおっさんと意気投合し、勢いに任せてついナターシャのことまで話してしまったのはご愛敬ってやつだろう。
「おらあ、YouTubeってのはよくわらねえけどよ……」
くいっとグラスの酒を飲み干して、おっさんが言葉を紡ぐ。
「話を聞く限り、そのナターシャって子、おまえさんに気があるんじゃないか?」
「はははは、ないですって。俺の顔だって知らないのに」
「聞いてみなくちゃわからねーだろ」
「聞かなくてもわかりますよ」
「決めつけはよくねーぞ」
「……そうかもしれませんけど」
「女はな、好きでもない相手と交友を深めようとはしねーって」
「そうなんですか」
「おうよ。気のない相手からプレゼントされたって礼をいえば済む話だからな」
「まあ、たしかに」
内ポケットでスマホが振動していた。おそらく更新の通知だろう。チェックしないからか、いつまでも振動がやまない。
妙に気になってしまい、しばらくおっさんの恋愛講座に付き合ってから別れを告げて店をでた。
体が熱い。外にでるとたいして涼しくもない風が心地よく感じられる。ふらふらと歩みながらスマホを取りだせば、時刻は一時半をまわっていた。
「はあ、ぴったりみれなかった」
自業自得以外のなにものでもない。
俺は近くの公園にのろりと足を進め、肩を落としてベンチに腰かけた。
「ごめんなあ、ナターシャぁ」
膝に置いたスマホに手を合わせ、拝むこと数十秒。よくやく画面をひらく。
『ナターシャ・レミアス、ライブ配信中』
「ん? 今日もライブ?」
首を傾げながらライブ配信につなぐと、散歩中のナターシャが映しだされた。手にしたスマホで撮影しているらしく、胸のあたりからあごに向けての画像が縦に揺れている。
「珍しい……なにしてんだろ」
彼女はあたりをキョロキョロとしている。時折、英語で何かを話しているが、酔っ払いにはまったく理解できん。
ぼんやり眺めていると、ふいに見慣れた光景が目に入った。
ゴミ捨て場だ。種類別に蓋がされてあって側面にはイラストが描いてある。目に留めたのは「プラ」のゴミ箱。
じつは先日、うちのマンションの子供たちがゴミ箱をサッカーボールの的代わりに遊んでいたらしく、側面がべこべことへこんでしまい、管理人が『サッカー禁止』の貼り紙を貼ったばかりだった。
チラシの裏に筆ペンで堂々と書かれた禁止文句。
その達筆な文字が彼女の後ろに見える……気がするんだが。
「んん……??」
俺は可能な限り画面を顔に近づける。
奥の植木も花壇もマンションにあるのとそっくり。
「んんん?」
彼女は自分がどこにいるのかわからない様子で、いまだにキョロキョロしている。
ふいに彼女が振り返る。どうも誰かに声をかけられたらしい。ピントの定まらない画面に映ったのは、ひとのよさそうなお爺さん。
彼は草薙真造といい、我がマンションの管理人である。
「……はあっ!?」
俺は飛び出るほど目を丸くしてベンチから立ち上がった。
彼は『ゴミ箱で遊ぶのは禁止』の文字が印刷されたコピー用紙を手に、彼女と会話をはじめている。
ありゃあ、綺麗な外人さんだねえ。迷子かい?
暢気な声を最後に、ぷつりと配信が途切れる。
「どういうこと」
真っ暗になった画面に愕然としたつぶやきが落ちる。
いま、マンションの近くにナターシャがいるのか?
嘘だろ?
張り紙をもった爺さんがアメリカに行ったってことは?
「……ない、な」
いったとたん、俺は駆けだしていた。
酔っているのに急に動いたもんだからマジで気持ち悪い。
走りながらスマホを確認してみればメールが数件届いていたことに気がつく。
「いま、どこにいますか?」
「わたし、日本にいます」
「会いたいです」
はっはっと息を切らしながらメールを読む。わけもわからず胸が苦しくなった。
なぜ真っ直ぐに帰らなかった。なぜいつものように動画をみなかった!? なんであんな見ず知らずのおっちゃんと雑談なんてしたんだ! その間、彼女はひとりで彷徨っていたというのに。彷徨いながら俺を探していたのに。
知らない土地で、しかもこんな夜中にどれほど不安だったことか!
己を殴りつけたい気分だ。
マンションまであと一息というところで一度、走る足を止めて返信する。
『ごめん! いま気づいた。いまどこに……』
「サクマ、さん!」
打ち込んでいる最中、可愛らしい声が叫びをあげた。
パタパタと駆け寄ってくる足音。顔をあげた俺に飛びこんできたのは銀色の髪。
細い腕が背中にまわり、ぎゅっと抱きつく。
反射的に受け止めた俺は何が起きたのかまったく理解できていなかった。