いるよ星人、咲間乙矢
ほどなくして本格的に彼女は話し始めた。
どうも日本に行ってみたいといった内容のようで、東京や京都、大阪など。メジャーな地名が次々とあがる。
チャット欄では知識をもつ連中が次々とアドバイスを入れている。
俺はできるだけ理解しようと懸命に耳を傾けるばかり。
ふと彼女がおしゃべりを止めたのは、しばらく経ったころ。
ずっと楽しそうにしていたのに、どうしたんだろう。
「トイレかな」
首をかしげると彼女が口をひらいた。
「サクマ、いる?」
日本語だった。
ちょっとカタコトで不安げな声。
チャット欄は「?」の連続に切り替わる。
俺のあたまのなかも同様だ。
「サクマ、さん、いる?」
画面のナターシャがじっと俺をみている。
いや、俺というか、みんな同じものをみているんだけど。
「……俺のことか?」
半信半疑「いるよ」と打ち込むと彼女は小さくうなずいてまた話し始めた。
「……なんだったんだ?」
唖然としながら画面のナターシャに問いかける。
そういえばリスニングとチャットの翻訳に精一杯でコメントを打ちこんでいなかった。姿がみえなくて不安になったのだろうか。
俺もできることならコメントしたいよ。けど理解が追いつかない。中途半端な解釈で的外れなことをいうくらいなら「いるよ」と定期的に報告したほうがマシな気がする。
しかし問われてもいないのに「いるよ」と答えるのはどうなんだ? それこそ的外れもいいところだ。
俺は静聴の姿勢を貫くことに決めた。
なのに。
「サクマ、さん、いる?」
三十分ほど経ってからだろうか。再び不安げにナターシャが問いかけた。
リアルな英会話教室に参加している気持ちでリスニングに集中していた俺は、ぱちっとまばたきをひとつ。「いるよ」とコメントを入力した。
その後も話の途中で何度か生存確認をとられ「いるよ」と返す。たまに間違って「生きてます」と打ったが、なにやら楽しそうに笑ってくれたのでよしとする。
どことなしかディスコードの使い方を間違えている気がしなくもないが、確実に理解できる彼女の言葉は「咲間さん、いる?」で、打ちこめるコメントも「いるよ」だけだからしょうがない。今宵は俺を「いるよ星人」とでも呼ぶといい。
彼女の話題は尽きることがない。
日本に行ったらしてみたいこと、食べてみたいもの、日本を好きになったきっかけについても興奮気味に話していた気がする。正直にいって、ほとんど理解できなかったけど。
二時間に及ぶ配信の末、バーイとにこやかに手を振る彼女にひとこと「お疲れ様」と伝える。
英語では翻訳できない日本特有の挨拶だ。
考えなしの言葉にまたしても自己嫌悪意に陥ったところ、ナターシャが「おつかれさま」と告げたのが耳に入る。
俺は驚いて画面の彼女をみつめた。
アニメで学んだのかもしれないが、日本語で返してくれたことがとても嬉しい。
こんな天使のような笑顔で毎日お疲れ様といってくれたら、どれほどしあわせだろうか。
『参加してくれてありがとうございました。咲間さんがいると思うと話が止まらなくて二時間も話してしまいました』
ベッドにもぐりこんだところ、メールがきた。
『いるよってしか言えなくてごめんな』
少々驚きつつも苦笑まじりに返信する。
『最後までいてくれたことが嬉しかったです』
『それくらいならお安いご用だ』
最後のメールはハートマークが三つ。
「……これにはどう返せば?」
恋愛経験ゼロ。プライベートで女性とメールのやり取りをした経験の少ない俺は、朝方まで苦悩し続けるのであった。
翌日の配信は珍しくライブ中継だった。
よくやく俺のプレゼントが届いたらしい。興奮気味にグッズを取りだしてはアップで映しだし、何度も「happy!」という言葉を繰り返す。すべての紹介が終わると大きな飾り棚にひとつずつ丁寧に並べてくれた。
俺の名前を公表することはなかったが、とても喜んでくれたのが伝わってきたので満足だ。
配信が終わった直後、スマホが鳴った。
『咲間さん、ライブみてくれましたか? プレゼント届きました。とても嬉しいです。本当にありがとうございます』
『みたよ。ちゃんと飾ってくれてありがとう』
『わたしもお返しがしたいです』
『え? いや、いいよ。俺が勝手にしたことだから』
お返しを望めばもっとやり取りができたかもしれないのに、メールはそこで終わりを告げた。
また冷たい返事だと思われたのかもしれない。
「俺って本当にバカな」
ベッドに仰向けになり、鳴り止んだスマホをぽすっと放り投げる。
ことあるごとにチャンスを不意にしてしまう不甲斐ない自分に深い溜め息がもれた。
なんて起伏の激しい男だ、咲間乙矢。このヘタレが。