電車で助けた美少女が、2番目の推しVtuberだった件
朝8時。気だるげな空気が散漫する教室。これから授業が始まるという憂鬱な気分が溜まる中、俺の隣の席の奴が登校してきた。
大きな瞳に長い睫毛。透明感のあるクリーム色の肌は艶やかな黒い髪と染まる頬を鮮やかに際立たせている。
「クラス一の美少女」と言われている彼女は、今日も俺に尋ねる。
「須藤くん。あなたが一番推してるVtuberは、誰ですか?」
砂糖のように甘い声。強気な印象を受ける顔立ちからは想像もつかない、ギャップのある声だ。
実は、とあることをきっかけに、俺は彼女から同じ質問を毎日されていた。
そんな彼女の質問を受け、俺は今日も普段と変わらない言葉を返した。
「愛猫ミケに決まってるだろ」
「‥‥‥」
その返答を聞いた瞬間、彼女の眉毛が不機嫌そうにピクリと動いた。
☆☆☆
さて。彼女との出会いは一ヶ月ほど前まで遡る。
高校の入学式に出席するため、俺、須藤拓は電車に乗っていた。新しく始まる生活に期待を膨らませる‥‥‥なんてことはなく、ただただ新生活に緊張を感じていた。
俺は緊張を少しでも落ち着かせようとスマホを開き、耳にワイヤレスイヤホンを装着する。
郊外から外れた位置に向かう電車は人があまり多くなく、数駅で俺も座ることが出来た。
そして画面に映すのは、Vtuberの配信画面。スマホ画面の中では、萌え系のイラストの女の子が雑談に花を咲かせていた。
俺は無類のV好きだ。配信は必ず追うし、記念日にはスパチャも送る。好きな箱は「ぶいらいぶ!!」という女の子を主体としたVtuber事務所。
その中でも俺の最推しは、愛猫ミケというVtuberである。
画面の中の彼女は、金色の髪の毛と、猫耳、猫の尻尾を持っている。彼女が体を揺らすと同時にさらさらの髪の毛も揺れ、それから尻尾と‥‥‥肩の下の大きな果実もゆさりと揺れる。
また、彼女が瞬きをするたびに耳がぴくぴく動く。
語尾には必ず「にゃ」をつけて喋っており、時節見せる八重歯が非常に可愛らしい。
本物の猫であり、人間を支配するために神様にお願いして人間の姿に化けている‥‥‥という謎設定もまた可愛い。
『みんな、元気かにゃー?ミケはみんながいてくれるから元気だよー!にゃ!』
ああ、本当に可愛い。
俺は口角が緩みそうになるのを必死に抑えた。仮にもここは、電車。公共の場である。
デビュー当時から彼女を追っているが、彼女の可愛らしさと純粋さに、これまで何度も救われてきた。
緊張しすぎて、噛みまくっていた伝説の初配信も。
「ぶいらいぶ!!」主催、強制全員参加のツイスターゲームの時も。
愛猫ミケは、いつだって笑顔で頑張っていた。
愛猫ミケがいてくれたから、俺も日々、頑張ることが出来たのである。
『この間見たアニメがすごく面白くてにゃ?ぼっちな女の子がアイドルをやる話なんだけどにゃ〜』
開いた動画は、アニメについて語る愛猫みけの切り抜き動画となっていた。配信は全て追っているが、印象的なシーンやもう一度聞きたい話を切り抜きで視聴できることはありがたい。
『好きなシーン?やっぱり、ストーカーに悩まされていた主人公を仲間が助けるところかにゃ。ピンチの時に助けてくれるのってキュンとするにゃ〜』
なるほど。彼女はそういうのが好きなのかと心のメモに書き留めていると。
いつの間にか、次の切り抜き動画に移っていった。そこには、愛猫みけとは別のVtuberの姿があった。
ストレートロングの銀髪に、少々吊り上がっている水色の瞳、ぷっくりした唇。水色のドレスを纏まとっている彼女は、俺の2番目の推し、氷雨 氷海子だった。
『よく来たましたね、愚民ども。納税の準備はいかがかですの?』
彼女は氷の国の王女という設定を持っていて、スパチャのことを納税と呼んでいた。リスナーからは「王女」の相性で親しまれている。
『こんなに納税してくるなんて、本当に阿呆の極みですわ。そのお金で、私になにをして欲しいのかしら?』
少々言葉が強めな彼女は、クールビューティなお姉さん枠だ。王女という設定もあり、ドSな発言をすることもある。
言葉尻の強さに反して、甘い声を持つ彼女は、一定の紳士に需要があるのだ。
愛猫ミケとは違うベクトルの可愛さがあるため、俺は彼女のことも推していた。もちろん、納税もさせて頂いております!
『”今月の生活費、全てを納税します”?ちょっと待ちなさい、納税は義務じゃ‥‥‥ちがいます。国に払う方は義務に決まってるでしょう』
王女という設定のもと、偉そうな口調を心がけているようだが、すぐにその口調も崩れてしまう。そんなところも、彼女のかわいらしい所だった。
今日も配信すると言っていたし、どんな彼女を見れるのか非常に楽しみである。
さて。そんな風に過ごしていたら学校の最寄駅まであと少しになっていた。緊張がほぐれた俺は乗り過ごさないように前を向く。
すると、ドア付近に立っている女子高生と、サラリーマン風の男の距離感がおかしいことに気づいた。
ドアの方を向いている女子に覆い被さるようにして男は立っている。
電車の中は空いているにも関わらず、その二人だけ異様に近いのだ。親子なのかと思ったが、女子の顔面は蒼白で足は震えている。
男はねっとりした視線を女子に注いでおり、手は彼女に触れていないが、肩辺りから腰までを辿るように空中を撫でていた。
まさか痴漢?
だとしたら助けた方がいいのか?しかし、証拠もないのに。変に注目を浴びて、その女の子に迷惑をかけるだけになるかもしれない。
しかし、その時、俺の脳裏にミケの言葉が蘇る。
『ピンチの時に助けてくれるのってキュンとするにゃ〜』
そうだ。
ここで助けなければ、俺はミケにスパチャなんて二度と出来ない‥‥‥!
「ちょっと、何してるんですか?」
いよいよ男の手が女子の尻に伸ばされた時、俺は男の手首を掴んでそれを阻止した。
「は?何って」
「痴漢しようとしてましたよね?見てましたけど」
「な‥‥‥!少し近づいて匂いを嗅いだだけだろう!それに、まだ触っていない!!」
「 “まだ”ということは、する意思があったと?」
「‥‥‥」
「スマホで動画撮っていたのですが」
「‥‥‥!俺は知らん!」
「そんなこと言って‥‥‥」
その時、ちょうど駅に着いた電車のドアが開いた。すると男は、俺の手を振り払って電車を降りて逃げてしまった。
普段鍛えていない弱々な俺の腕が恨めしい。
俺は追いかけるために電車を降りたのだが。
「待って」
後ろからかけられた声に、俺はびくりと体を揺らした。だって、その声は先ほどまで聞いていた声だったのだ。
「助けてくれてありがとうございます。車両を移動してもついて来られて‥‥‥少し、怖かったから」
砂糖のように甘い声。イヤホン越しで聞き慣れた声が、現実世界で直接、耳に飛び込んできた。
「あの……?」
どくん、と。
心臓が鳴る。まさか、そんなはずはない。
ここに俺の2番目の推し、氷雨氷海子がいるなんて……
ゆっくり振り返ると、そこには黒髪の美少女がいた。彼女は俺に続いて電車を降りてくれたらしい。彼女の後ろでドアの閉まった電車が発車する。
髪色こそ違うが、氷雨氷海子に似ている彼女の容貌に、俺は目眩がした。
いや、しかし。中の人と会えるわけがない。本物のVTuberがそこにいるはずないだろう、と俺は冷静に考える。
「あなた、同じ学校ですか?もしかして一年生?」
「あ、はい。そうでしっ」
「私も。だからタメで問題ないですよ」
思わず緊張で噛んでしまった俺を馬鹿にせずに、彼女は微笑んだ。俺は必死にぶんぶんと頭を縦に振る。
「それから、お願いがあるんですけど」
「なに?」
「さっき動画を撮ったって言っていましたよね?それを消して欲しいです」
「え?」
「あの人から特別何かをされた訳ではないし、万が一ネットで私の声を聞かれると困る事情があって‥‥‥」
あ、もうこれVtuberじゃね?俺は心の奥底で雄叫びをあげた。
ファンは声を聞いただけで推しを特定することが出来る。
別アカウントでも活躍していたVTuberの中の人が、バレてしまった例も少なくない。
だから、VTuberは声や顔写真をVTuberの活動以外でネットにあげないように気を配っていると聞いたことがある。
この声と言い、見た目と言い……
氷雨氷海子で確定だろう。
しかし、俺は良識のあるオタク。推しが目の前にいようとも興奮することはない。推しに認知なんてされる必要はないし、推しを困らせることもしたくない。
「それは大丈夫。さっきのはカマかけただけで、本当には撮ってないから」
推しの心に無駄な心労をかけるわけにはいかない、と俺はスマホを掲げて電源を入れる。動画は撮っていないと証明するためだ。
しかし、それがいけなかった。先ほどまで見ていた動画が開きっぱなしになっていたのだ。更にワイヤレスイヤホンの接続が切れていて‥‥‥
『「罵って下さい」?そんな簡単に私に指示できると思わないで下さいません?王女である私に命令なんて、阿呆なのかしら。ど、あ、ほ』
【悲報】推しの目の前で推しの動画を流してしまう。
突然自分の声を聞くことになった彼女は、顔を真っ赤にして肩をぷるぷると震わせていた。
「なんで、それ‥‥‥」
「え、あ、いや」
「もしかして、その人のことを知って‥‥‥好きなんですか?」
彼女の瞳が、不安の感情で揺れている。
ハッとした。これは、身バレすることを恐れているに違いないと。
「それは違う!!!」
気づけば、俺は自然と叫び捲し立てていた。
「俺の最推しは愛猫ミケであって、この人物のことは初めて知った!俺はミケ以外の配信は見ないし、この動画はたまたま流れてきただけだ」
とにかく、彼女に身バレの危機感や恐怖心を与えないために必死だった。
本当は推しに好きだと伝えたい。ずっと応援していたと。スパチャもしたことあるし、配信も追っていると言いたい。
しかし、顔を隠して活動しているVtuberにとって身バレは最も怖いことの一つのはずだ。
もしも悪意のあるリスナーが彼女と出会い、彼女の声に気づいて彼女の私生活をネットに晒したら、「氷雨氷海子」のキャリアに傷をつけることになるし、本人の生活を壊すことになる。
もちろん俺はそんなことはしないが、彼女だって会ったばかりの人間は信用できないはずだ。
全力で知らないふりするしかない!
テンションのキマっていた俺は、その時それが最善策だと信じ切ってしまった。
「愛猫ミケのように元気で素直な子の配信を見るのが好きだし、元気をもらえるし。俺はミケを全力で追いたいから‥‥‥」
「ふーん」
その瞬間、彼女の声色がワントーン下がったのを感じ、俺はようやく口を閉じた。
勢い任せで言ってしまったが、俺は推しになんて失礼なことを‥‥‥
「それじゃあ、あなたの最推しは愛猫ミケさんなのですか?」
「‥‥‥っああ」
嘘じゃない。全部本心だ。しかし、言ったことの全てが真実かと問われれば、答えはノーである。
不機嫌になっていたらどうしようと、彼女の方を窺い見たが、予想に反して彼女は笑みを深くしていた。
「どうしたんだ?」
「いいえ?ただ‥‥‥もっと頑張って思っただけで」
ふふ、と彼女は妖艶に微笑む。まるで薔薇が咲くような笑みだった。血色のいい唇が弧を描き、危ういほどに美しい。
「ところで、愛猫さんのどこが好きなのですか?」
「え?ええと‥‥‥視聴者に笑顔で感謝してるところ、とか?」
「あとは?」
「あと‥‥‥?ああ、イラストが上手いところとか尊敬してるな」
「なるほど。ありがとうございます」
俺はハテナマークを浮かべながら、なんとか答えた。しかし、2番目の推しに1番目の推しの好きなところを聞かれるなんて、どんな特殊プレイなんだ。プレイってなんだ、推しに失礼な。
「それでは。また学校でお会いできたら嬉しいです」
「ああ」
そう答えつつも、彼女とはもう会うこともないだろうと思っていた。同じ学校にいるなら、時々見かけるが、それだけ。
推しと喋れるなんて奇跡、二度と起こらないだろう、と。
しかし。
「ああ、隣の席だったんですね」
「え?さっきの?」
教室に入り、自分の座席を確認するとその席の隣にいたのは、先ほどの美少女だった。
人目を惹く容姿は、クラスの視線を集めていた。
彼女は細い手をこちらに差し出す。
「雨宮美琴です。これからよろしくお願いしますね」
「よろしく‥‥‥」
また、奇跡が起きてしまった。柔らかい手を握りながら、俺は「これは夢なのか?」とぼんやり考えていた。
☆☆☆
その日の夜、学校から帰った俺は、ベッドの上に横たわった。
「今日は、予想外のことで疲れたな」
そんな時は推しの配信を見るに限る。最推しの愛猫ミケの配信は、残念ながら今日はおやすみ。
しかし、氷雨氷海子はツブッターで配信を告知していた。
今日は色々あったが、Vtuberである彼女のことは変わらずに推していきたいと思っている。
『ご機嫌よう、愚民ども。今日も配信を始めていきますわ』
コメント
;ご機嫌よ〜
;ごきげんよう
;王女、ご機嫌麗しゅう
;今日なにするん?
配信が始まった。画面には、銀髪の女の子が髪を揺らして、お決まりのセリフを言っている。リスナーのコメントは彼女の隣で流れており、次々とコメントが入れ替わっていく。
『今日は、みんなの要望に応えながらイラストを描いていこうと思いますの』
コメント
;マ?!
;王女、イラスト描けるの?
;新しい特技?!
彼女の言葉に、コメント欄がざわつく。
一方の俺は、朝、自分が言ったことを思い出していた。俺は愛猫ミケについて聞かれた時、確かにこう言ったのだ。
“イラストが上手いところとか尊敬してるな”と。
「まさか、たまたまだよな‥‥‥?」
自分の自意識過剰な考えに呆れてしまう。
確かに王女は、これまでイラストを描く配信をしたことはなかったし、絵が上手いという話も聞いたことはない。
しかし、それは明かしてこなかっただけなのだろう。これが初お披露目で、素晴らしい絵を、彼女は見せてくれるはずだ。
と、自分を無理矢理納得させて、配信を見ていたのだが。
コメント
;王女‥‥‥
;おいたわしや
;いや、草
王女のイラストは、お世辞にも上手いとは言えなかった。
よく言えば、芸術的。悪く言えば、爆発している。
コメントには『よく見れば上手くなくもなくもない』『ジャ○アンの歌を連想させる』などの辛辣な言葉が並んでいる。
悪戦苦闘しながらイラストを描く王女は、非常に可愛らしかったのだが、急にこんなことを始めた理由が気になる。
そして配信の最後。彼女は言った。
『今日は、お粗末なものを見せて悪かったですわ。‥‥‥こんな配信に来てくれて、ありがとう』
最後に口角を上げ、目を細めて、彼女は配信を終わらせた。王女として偉そうにしている普段とは違った様子に、コメント欄は沸き立った。
コメント
;え?!
;王女がデレた?
;なに、この世界線
リスナーがコメント欄で絶叫する中、俺は冷や汗を垂らしていた。
俺は、雨宮に最推しの好きなところを聞かれて、こう答えたのだ。
“視聴者に笑顔で感謝してるところ、とか?”
「いやいやいやいや」
ちなみに、その日は、ツブッターで「デレ王女」が日本のトレンド1位になるほど、彼女が話題になった。
彼女が急にデレを見せてきた理由を巡って、ネットは考察合戦が繰り広げられていた。
その考察を見ながら、今日出会った、雨宮との会話を振り返る。
そして、振り返れば振り返るほど、俺の言葉が彼女の配信に影響を与えたのではないかという考えが強くなっていった。
助けてくれた俺に惚れて、少しでも気を引きたくて、配信で俺の好みの女の子を演じたとか‥‥‥?
「喝!!!!!!!!」
俺は座禅を組み、一人で叫んだ。どうやら声を出しすぎてしまったらしく、隣の部屋にいる妹が俺の部屋に顔を出した。
「おにいちゃん、どうしたのって‥‥‥本当にどうしたの?」
「神々しい、あの推しが!!!俺に惚れるなんてあるわけないだろう!!」
「お兄ちゃん?」
「ギャルゲーか、もしくはハーレム系のラノベか?!」
「お兄ちゃーん」
「なんて妄想力!俺は俺が恐ろしい!!」
「私もお兄ちゃんが恐ろしいよ!」
……とにかく、偶然か、もしくはたまにはリスナーの意見も聞いてみようという彼女の気まぐれだろう。
気にすることはない。
その時は、そう思っていたのだ。
しかし、それから毎日、雨宮は俺の1番の推しを聞いてくるようになっていた。また、俺が愛猫ミケを好きな理由も。そして彼女は、俺が愛猫ミケを好きだと言った理由に合わせた配信をするようになっていった。
ある時は、俺が好きだと言ったゲームを使った配信をしたこともある。
もちろん、「氷雨氷海子」のイメージを崩さない範囲であり、新たな一面を見れたリスナーは喜んでいた。
が、王女がそのような行動をする一端を担っている俺としては、その意図が分からず困惑するばかりなのである‥‥‥
と、まあ。ここまでが彼女と俺の出会いの経緯だ。
今日も今日とて同じ質問をされた俺は、肘をついて雨宮を見上げた。
「そもそもだ、雨宮。まずは挨拶からするのが礼儀なんじゃないか?」
「これが私の国流の挨拶なんですよ。合わせてくれます?」
「‥‥‥どこの国出身なんだ?」
「日本」
「俺と一緒だよ!」
「え?あなたって日本人だったんですか?」
「逆にどこの国出身って思っていたんだよ!どこからどう見ても純日本人だろ!」
「ふふ、ご冗談を」
「なに、社交辞令みたいに流そうとしてるんだよ!」
隣の席になって一ヶ月。実際の「雨宮」は、Vtuberの「氷雨氷海子」とは全く違うことを知った。
Vtuberの彼女は、王女というキャラ設定にのっとり、偉そうな話し方をするし、リスナーの需要に応えてSっ気のある発言もする。
しかし、同級生の「雨宮」は、クラスメイトを軽く揶揄うところもあるが、基本的には物腰柔らかで、面白い奴だった。
そんな雨宮の性格を友人に話したら、「誰に対しても揶揄っているわけじゃないと思うぞ」と返されたが。そんな訳ないだろう。
「さて。今日も挨拶として聞きますが」
「挨拶じゃねーよ、日本人」
「愛猫ミケのどこが好きなんですか?胸ですか?」
「そんな露骨じゃねえ!」
「え?じゃあ胸は好きじゃないんですか?」
「‥‥‥」
いや、まあ。それは、色々とある訳で。すると、彼女は大きな目を細めて俺の顔を覗き込んできた。
「へえ。やっぱり男の子はそうなんですね」
彼女はクスクス笑っているが、俺はそれどころではない。
くそ。なんで俺ばっかりが恥をかかなきゃいけないんだ。
俺は少しでもやり返すため、彼女が配信で実施しづらい事を言うことにした。
「あとは、猫耳なところとか。語尾とかかな」
「‥‥‥なるほど」
彼女は本気で困っているようだった。
氷雨氷海子は残念ながら胸に膨らみのあるキャラクターではない。更に、猫耳もついていないし、語尾に「にゃ」なんてつける性格でもない。
今日こそは、俺の好みに寄せることは出来ないだろう。
「勝った」と謎の勝利に俺は浸る。しかし、それも束の間。
気づけば、彼女は俺の方に体を寄せていた。俺の席に影がかかる。顔を上げると、彼女の端正な顔が近くにあった。
俺が急な接近に動揺する一方、彼女は余裕の表情でニヤリと笑った。
「なるほどなるほど。では、須藤くんは、猫耳をつけて「にゃ」と言っている女の子が好きなんですね〜」
「っっっ」
物腰柔らかな面白いやつ?
前言撤回。雨宮にもSっ気はある!!
「そんな女の子が好きだって伝えるなんて、私にそれを演じて欲しいんですか?」
「お前が聞いてきたんだろ‥‥‥っ」
「でも、言ったことは本音ですよね」
俺は言葉に詰まった。本音ではある。本音ではあるが!!
くすりと笑った彼女は、唇を俺の耳に寄せた。
吐息がかかり、花の香りがふわりと鼻腔をくすぐる。
「変態、ですね?」
「〜〜〜っほんっとうに勘弁してくれ!」
リアルASMRに我慢出来ず、俺は叫んでしまう。
俺を一通り揶揄って満足したのであろう。雨宮はクスクスと笑って俺の元から去って行った。ちょうど登校してきた友人に挨拶をしに行ったようだ。
俺は赤い顔を隠すために顔を上げられないって言うのに。
あいつは、いつも余裕で俺を惑わしてくる。
本当に、雨宮が恨めしい。
「雨宮さん、どうしたの?!顔真っ赤だよ!」
しばらくして、そんなクラスメイトの声が聞こえてきた気がしたが、俺はそのまま聞き流してしまった。
☆☆☆
さて。問題はその日の配信である。
動画のサムネには、氷雨氷海子の顔と「ゲーム配信 ※罰ゲームあります」との文字があり、配信前からコメント欄は盛り上がりを見せていた。
『ごきげんよう、愚民ども。今日も配信を始めていきます』
コメント
;待ってました!
;王女、ご機嫌麗しゅう
;ご機嫌麗しゅうですわ〜!
『今日、見せるのは巷で流行りのゲーム、スプレトゥーンです』
スプレトゥーンとは、イカがスプレーを撒き散らし、より広い面積を塗れた色のチームが勝ち、という人気ゲームだ。
ちなみにこれも、俺が雨宮との雑談の中で好きだと漏らしたゲームだった。なんたるこった。
『そして、今回。罰ゲームを設けたいと思っているの。試合で負けたら‥‥‥』
ごくりと喉を鳴らす。彼女はどんな罰ゲームを用意しているのか。
『次の試合の間は、この猫耳をつけて“にゃ”を語尾につけなければならない縛りを設けますわ』
氷雨氷海子は、猫耳のフリー画像を画面に出す。彼女はまだそれを頭につけてはいないが、コメントはすこぶる沸いた。
コメント
;うおおおおおおお
;マジか!!
;最近の王女、前衛的〜
;ネコミミ王女をトレンドに入れるぞ!
『こんな屈辱的なこと、絶対にしたくない。でも大丈夫です、全試合に勝てばいいんだもの』
コメント
;これは絶対負ける
;確定演出
;自らフラグ立てるの草
;フラグ回収待ってます
『失礼な愚民が多いですね。いいでしょう、目にものを見せてやるんだから』
思いっきりフラグを立てた王女。
以下、彼女の配信をダイジェストでお送り致します。
キルされるイカ、塗られていく敵陣営の色、キルされるイカ、王女の台パン、キルされるイカ、キルされるイカ、イカ、イカ‥‥‥
結果、彼女はほとんどの試合で「にゃ」をつけるハメになった。
『本当に屈辱的です‥‥‥にゃ。‥‥‥なんで私が‥‥‥こんな目に遭わないと、いけないのかしら、にゃ』
コメント
;やばいやばいやばい
;目覚めそうや
;子供は帰れー!!
;王女に屈辱的とか似合いすぎる
王女は、顔を赤くさせてながら、ネコミミを頭につけている。更に、「にゃ」とつけることが恥ずかしいからか、彼女は息を途切れさせながら話していた。
その姿がとても扇動的で、えっっっっ‥‥‥だった。(察し)
『今日の恥辱は忘れないですわ。こんなことをさせたあなた、覚えてなさい!』
こうして、本日の氷雨氷海子の配信は終了した。ツブッターのトレンドには「ネコミミ王女」や「台パン」がトレンド入りを果たしていた。
今日を振り返り、俺は天を仰いだ。
“では、須藤くんは、猫耳をつけて「にゃ」と言っている女の子が好きなんですね〜”
昼間、雨宮はそう言っていたが。
本当に実現するとは夢にも思わなかっただろ!
次の日。朝8時。気だるげな空気の漂う中、艶やかな黒い髪をたなびかせ、今日も彼女は俺の元にやって来た。
「須藤君。あなたの最推しは誰ですか?」
そして、俺は当たり前のようにこう答える。
「愛猫ミケに決まってるだろう」
「なんでですか!!」
彼女は心底ショックを受けたように叫んだ。彼女が動揺を見せるのも珍しい。
「なんでって理由を聞かれてもな」
「あんなにしたのに‥‥‥!」
「なんの話だ?」
「恥ずかしかったけど、我慢したのに!」
「ちょっと待て!その言い方は、誤解を受ける!!」
クラスメイトがこっちに注目してるから!俺が彼女に変なことをさせたみたいな誤解を受けるから!!‥‥‥いや、ネコミミをつけさせるきっかけになった点では、あながち間違ってないのか?
クラスメイトの視線をものともせずに、彼女はべっと舌を出した。
「本当に覚えておいてくださいよ!」
彼女のその言葉が昨日の氷雨氷海子の言葉と重なり、俺は少し笑ってしまった。
「なんで、笑ってるんですか」
「いーや。別に?」
「なんかムカつきますね。ネコミミの女の子が好きな癖に」
「それは、関係ないだろ!!」
かくして、彼女と俺の攻防戦は続く。
しかし、彼女は未だに分かっていない。
初めは、彼女の行動に戸惑うだけだったのに、必死になって俺の好みに寄せようとしてくる彼女が段々と可愛く見えてきてしまっていることに。
そんな彼女の姿を見たくて、俺は最推しを「愛猫ミケ」だと言い張っていることに。
確かに俺にとって彼女は、かつて2番目の推しだった。けれど、今は‥‥‥‥
「電車で助けた美少女が、2番目の推しVtuberだった件」終