三人称 稲葉山城の日常
帰蝶に別れを告げた利尚と長井は、大桑城を出て稲葉山への帰路についた。
その途中、長井はポツリと利尚に対して呟くのであった。
「……まさか本当に帰蝶様の様子だけ見てお帰りになるとは。相変わらずお優しい方ですな」
「……叔父上も、私に不満があるのですか?」
「……いいえ、新九郎様はそのままで宜しいかと。ただ今の時世、優しいことは仇ともなることがあるので」
「……心配なさらずとも、私はそこまで呆けてはいません。叔父上が守護様の周りを調べていたことも、気づいていますよ」
それまでずっと目線を前に向けていた長井は、利尚のこの言葉を聞いてはじめて彼と目を合わせた。
無口で無表情故に愚鈍と思われがちなこの男は、実は父親譲りの鋭さを秘めている。この時、長井はそのことを再確認したのであった。
「……それで、調べた結果はどうだったので?」
「……やはり守護様は、大殿と手を組むつもりはなさそうですな。今はまだ大人しくしていても、いずれまたこの美濃に戦乱を招くのは明らかかと」
「……そうならば、父上は確実に守護様を除くことになるでしょうな。……帰蝶には、辛い思いをさせるかもしれませんが」
「ええ、問題はどう除かれるのか……再び美濃を追放するのか、あるいは……」
「殺すか」
その頃、稲葉山城では……
「たああぁっ!」
「お見事にございます、新五郎様。流石……」
「いや、まだまだ満足できん! 早く内蔵助のように戦に出るためには、もっと強くならねば!」
新五郎と内蔵助は、今日も今日とて剣や槍の稽古に励んでいる。
新五郎は未だ6歳の幼子ではあるが、既に周りから一目置かれるほどの武勇を見せつけていた。
「しかしですなあ……新五郎様が戦に出るには後5、6
年は待たねば……」
「待てん待てん! 内蔵助は先の初陣で敵の首を取ってきたというではないか! 私はそれが羨ましくてたまらないぞ!」
「まあまあ、戦に出るのならば新五郎様にもまだやるべきことが……そうだ、玄蕃様と共に書を嗜まれてはいかが……」
「私は玄蕃兄上のようなカビ臭い人間ではない! 男たるもの、早く戦場で己が武を……」
「誰がカビ臭い人間だ。お前はもう少し兄を敬え」
やんややんやと騒いでいた新五郎の後ろから彼を小突くのは、兄である玄蕃。
その玄蕃の側には、握り飯を乗せた膳を両手に持つ蜜の姿があった。
「内蔵助さんや玄蕃の言う通りですよ、新五郎。文武を備えてこそ真の武士。あなたはもう少し書を読むべきです。1度書に親しんでみれば、きっと玄蕃の凄さもよく分かりますよ」
「そうだぞ、新五郎。蜜姉上の言うとお……」
「玄蕃も、もう少しお天道様の下で体を動かすべきだと思いますけどね」
結局、新五郎だけでなく玄蕃も蜜に黙らされてしまった。
大人びていてしっかり者の蜜には、年下のきょうだい達は誰も逆らえない。
姉である帰蝶が嫁いでからは、今まで以上に責任感を持って幼い子供達を見守る役割をこなしているようだ。
「よし、それでは昼飯にしましょうか。今日は侍女のみんなと一緒に握り飯を作ってきましたよ」
「おお、丁度腹が減っていたところです! 遠慮なく頂きますぞ!」
「それでは私も1つ……うん、旨い。流石は蜜姉上だ」
「ありがとう。ほら、内蔵助さんも食べて下さいね」
「おお、私如きが蜜様の握り飯を……有り難く頂きましょう!」
「フフ、たくさん食べて元気をつけて下さいね」
美味しそうに握り飯を食べる内蔵助を、笑顔で見つめる蜜。
そんな2人の姿を、物陰から小さな2つの影が見つめている……蜜の2人の妹、貴と幸である。
「……みつおねえさまとくらのすけさま、いいかんじだね」
「そうですね! でもいーなー、わたしもあんなかっこいいひととはやくであいたいなー」
「たしかに……ああいうの、あこがれるね」
「わたしはおかねもちのとのがたがいい! おかねとか、かんいとか、とにかくえらいひとのあいてがいーなー!」
「わたしは、そういうのはいいかな……あ、でもきょうのみやこにはあこがれるかも。みやこのほうで、へいわにくらしたいなー……なんて」
「よーし、こうしちゃいられない! たかねーさま、わたしたちもいまからすてきなとのがたをさがしに……」
「そこ、2人で何をしているのかなあ?」
「……あ、みつおねえさま」
「……もう、そんな所で隠れていないで、こっちに来て一緒に食べましょう? まだ握り飯ならたくさんあるから」
「「……はい!」」
こうして、今日も斎藤家の平和な1日は過ぎてゆく。
帰蝶がいない寂しさにも少しずつ慣れていき、やがてそれが新しい日常となる。
……しかし、時は戦国時代。日常がいつまでも続くような時代ではないのだ。
「……此度の報告は以上となります、大殿様」
「……成る程。ご苦労だったな、新九郎、長井。……やれやれ、馬鹿はどこまでいっても馬鹿ということか……」
「……守護様が繋がるとすれば、やはり織田かと」
「うむ、まずはいずれ来る織田の撃退から。馬鹿の始末は、その後だ」
「……して、その始末の方法とは?」
「……さあな。奴の態度次第、か」
美濃に再び戦乱が訪れる日は、そう遠くはなかった。




