そうだ、ダンジョンに行こう!①
「何をしているんですか貴方達は!!」
日付け変わって翌日の朝、ベッドの上で寝息を立てていたヴルフとミッファーを起こしたのは、ヒクヒクと口を引きつらせたペネロピのそんな一言だった。
「うわぁ! なんで居るんだペネロピ!」
「ぴ、ぴぃいいいっ」
肌蹴ていた毛布を引き寄せ、慌てて下半身を隠すヴルフと、そのヴルフの背後に隠れて青ざめるミッファー。
ここはミッファーの研究室。
本来なら誰も入る事など出来ないはずなのに、なぜペネロピがここに居るのかが二人には分からない。
「なんでも何も、この建物は抵当に入ってると言ったはずです! それにこの部屋の扉、壊されてましたよ! 昨日までなかった怪しい扉があれば確認のため立ち入っても何も不思議はないでしょう!」
今日もかっちりと纏め上げられた金色のポニーテールを揺らしながら、ペネロピは眼鏡を光らせる。
「あ、そういや蹴り破ったっけ」
「そ、そそそ、それでもここはボクの研究室だぞぅ! かかか、勝手に入ってくるなんて失礼じゃないかぁ!」
ガタガタと震えながら、ミッファーはヴルフの背中に強くしがみ付く。
「失礼も何も、もう貴方達にこの建物の使用権は無いんです。直ぐにお引き取りいただけない場合は、強制的に排除せざるを得ません」
「ヴ、ヴルフ? どういう事?」
そう言えば、とヴルフは手を叩く。
ミッファーにはまだ何一つで説明をしていなかったことに今更気づいた。
毛布を腰に巻きながらベッドを降り、どう説明したものかと頭を悩ませる。
「えっとな、ミッファー」
床に散らばった服の中から自分とミッファーの下着を選び取り、投げて寄越しながらヴルフは説明を始めた。
◆
「え? 団長達、いなくなっちゃったの? ヴルフに借金押し付けて?」
言葉足らずなヴルフの説明にペネロピが上手く補足しながら説明を終えて、ミッファーはきょとんと小首を傾げる。
「ああ、事実上銀の絆は解散だ。俺もお前も根無し草に戻っちまった」
散らかった研究室の中からなんとか椅子を探し当て、座りながら装備を整えるヴルフ。
安物のレザーアーマーから肩当てや中綿を抜き、動きやすいよう改良したヴルフの専用装備だ。
「えっと、失礼ですが貴女は?」
「ん? ああ、そっか。ペネロピは顔、見たことねぇもんな。コイツこの部屋から滅多に出ねぇし。
最後に両足のブーツの紐を締め、踵を踏んで慣らしながらヴルフは立ち上がる。
「コイツはミッファー・リリアム。『千呪の賢者』っていやぁ、聞いたことぐらいあるだろ?」
「は、はぁ。お名前はかねがね聞いております。15の若さで魔導院に認められ、異例の速度で『賢者』の称号を授かったこの国一番の才女、ですよね?」
「そ、そそそ、そうです」
「あ、あの? なんで遠ざかるんです? 私何か失礼なことを?」
ゆっくりじっくりベッドの端から床に降り、にじりにじりと後ずさるミッファー。
「ぼ、ボクは、あんまり人とお話しできるような人間ではないので。できるだけお返事するよう頑張るので、あの、もう少し離れていただけると助かるので」
やがて本棚の陰に隠れ、覗き込むようにミッファーはペネロピを見る。
そんなミッファーの姿に疑問符しか浮かばないペネロピは、助けを求めるかのようにヴルフに視線を移した。
「気にすんな。嫌ってるわけじゃねーよ。怖がってるだけだ」
「怖がる……確かに私、無愛想ですけど……」
「違う違う。コイツは大体の奴にこうだよ。俺以外とまともに会話してんの見たことねーもん」
「そ、そうですか。それじゃあまぁ、仕方ないですね。こほん」
納得はしていないが、これ以上追求すると話が進まない。
わざとしく小さな咳払いをして、ペネロピは話題を変えることにした。
クールで有能な秘書である彼女は、そこんとこを棚上げにできる女でもあるのだ。
「ここにリリアムさんがいらっしゃるのなら話が早くて助かります。この部屋の高価な物品はすべて差し押さえさせて頂きますので、最低限必要な物だけ持って明日までに立ち退いてくださいね?」
「ふひぇえ!?」
「なんだお前その声。どっから出たんだ」
ヴルフのツッコミを聞き逃し、ミッファーは地面を這って慌てながらペネロピに詰め寄る。
「な、なんで!? ここボクの部屋だよ!? ボクの研究資料だよ!? クランの借金となんの関係もないよ!?」
「何言ってるんですか。どの品もちゃんと借用明細に購入した記録が記入されています。ほとんどシルバー・ホプキンスを介してクランの名義で手に入れた物ですよね?」
「だ、だってそれが団長と交わしたボクの入団条件だもの! 『ご飯と住居と研究費用は全額クランが負担するから、名前を貸して欲しい』って言ったの団長だもん! ボクに言われたってそんなの知らないよ!」
「それこそ知った事じゃないですよ。貴女の研究費だけでヴルフさんが背負った借金の三分の一近くあるんです。知らなかったじゃ通りません」
顔を真っ赤にしながら涙目で訴えるミッファーに、ペネロピは努めて冷静に返事を返す。
「あー、そういやそういう事言ってたな団長」
「他人事みたいに言わないでよヴルフ! 君があんなに誘ってくれたから、ボクはあの条件を飲んで銀の絆に入団したんじゃないか!」
下着姿のまま床にお尻をつけ、ヴルフを睨んで怒鳴るミッファー。
その姿に『賢者』の賢き叡智は欠片も見当たらない。
銀の絆団長、シルバー・ホプキンスは何より体裁と見栄を気にする男だった。
中堅どころなのに無駄に広大で煌びやかなこのクラン本部と言う建物が、それをすべて物語っている。
国と国の垣根を超えて大陸中に支部を持つ魔導院。
その権威は絶大で、時に一国をも動かす力を持つ。
そんな魔導院に認められ、その上に『史上最年少の賢者と言う肩書きを持つミッファーは、所属しているだけでクランの格が格段に上がる最上の人材だ。
そんな彼女を勧誘するために、シルバー・ホプキンスが提示した条件を要約するとこうだ。
『一切仕事もしなくていいし、部屋に篭って研究だけしてれば良いから、名前だけ貸してくれ。衣食住、さらには研究費用も際限なく保証する』
人間恐怖症、特に男性恐怖症であるミッファーは、ヴルフという存在のためにそれを了承した。
もともと彼女は魔導院を出た後、この国の東方にある鎮護の森の奥深くで他の人間から距離を置いてちまちまとした研究を行なっていたのだが、金銭問題で満足な研究成果を挙げられていなかったこともまた事実だった。
服に関しては半淫魔の身故に『魔装』という固有魔法が使えたので問題視していなかったが、男・飯・住居・金という問題がすべて片付くその条件は破格であったし都合が良すぎたのだ。
そして彼女は、本来なろうとも思って居なかった冒険者なる職に就き、一度も依頼を受けず、建物から一歩も出ずに時々帰ってくるヴルフの精気を吸っては、自由気ままにのびのびと研究だけをする自堕落極まりない生活を送ってきたのである。
「貴女がクランに所属して、そのすべてをクランの運営資金──────まぁ借金なのですが、それで賄ってた以上これはすべてクランの資産! 差し押さえ対象です! ほら早く服を着てください。作業員を入れちゃいますよ?」
「作業員!? 男の人!? や、やめて、お願いボクのお城に誰も入れないで! うぇえええええんっ! ヴルフっ、助けてよぉ!」
「ここにある資料で彼の借金も減額されるかも知れないんです! お付き合いされてるなら、快く売り飛ばすぐらいの気概を見せてください!」
語気を強めるペネロピも、誰かと口喧嘩をするミッファーの姿もヴルフにとってはとても珍しい光景だ。
なんだか軽快で痛快な芝居を鑑賞しているような感覚に、現実味を感じ取れずヴルフは惚けて見ているだけであった。
色々と理由を作ってはなんとか差し押さえと退去を拒もうとするミッファー。
それを尤もな正論で冷静に厳しく返すペネロピ。
「……別に、俺とミッファーは付き合ってないんだけどな」
この部屋中に響く二人の声にかき消されて、ヴルフの呟きなど誰の耳にも届いていなかった。





