ようこそ地獄の借金生活へ!④
「いじ……め?」
言葉そのものの意味がうまく飲み込めず、ヴルフはキョトンと首を傾げる。
元来あまり深く物事を考える性分ではなく、楽観的な彼はそういうネガティブな言葉にあまり慣れていないのだ。
「そうです。例えば貴方がクランの同僚と酒場で酒を飲んだ際に、貴方以外が支払ったところを見た者は皆無でした。使った額が額なので、皆しっかりと記憶してましたよ?」
「え、だってそりゃ。銀の絆では新人が先輩に奢るって決まってるらしいから」
「そんな馬鹿げた慣習あるわけないでしょう。他にも貴方の友人である水夫のウィガーの証言では、貴方本部の室内じゃなくて城壁近くの馬小屋で寝泊まりしてたらしいじゃないですか」
「部屋が空いてないってんだからしゃーないだろう」
「あれだけ大きな建物に! 空き部屋が無いわけないでしょう! 団員の殆どが他に賃貸を借りて暮らしてるんですよ!? ソレに、週一回の街の清掃作業です! 他のクランでは持ち回りで参加者を変えているのに、貴方五年間もの間出れる時はずっと出てたでしょう!」
「掃除当番に任命されたなら最低十年はやってみせるのがプロだろって団長が」
「掃除夫にでもなるつもりですか! ああ、こんな事ならもっと早く勇気を出して声をかけておくべきでした」
「勇気?」
「こっちの話です!!!」
「お、おお。すまん」
こうまで感情を曝け出したペネロペを初めて見るヴルフは、あまりの迫力に少しだけ後ずさりする。
「はぁ……思い出してみて下さい。貴方あのクランで仲の良い友人、何名ぐらい居ましたか? 普段から普通にお喋りできた人だけ数えて下さい」
ズレ始めた眼鏡を片手で押さえ大きく息を整えたペネロピは、ヴルフの目をまっすぐ見据えて問う。
「え、えっと。ひぃ、ふぅ、みぃ……三人ぐらい?」
「在籍団員が六十名を超えるクランで、たったの三人!? 組合長これはおそらく、集団で彼を標的にしたいじめ──────いえ、迫害です! 私や他の組合員は知ってますよ! 銀の絆の団員は、彼を『田舎の猛獣扱い』していた事を! 彼をクランに入団させた当初から、こうなるよう計画してたに違いありません!」
「う、うむ。お願いだから落ち着いておくれペネロピや? ワシ、そんなお前を見るの初めてでちょっと驚いとる」
苦笑いに愛想笑いを織り交ぜて、アウロ組合長は興奮するペネロピを宥める。
「とにかく、借用書は領主や国から認定を受けた正式な魔導物じゃ。どういう手法を使ってお前の名を術式に織り込んだのかはこれから調べるが、ここに存在する以上はお前の借金として扱わにゃならん」
「ん、んな馬鹿な……俺一回でも借用書なんて書いた事無ぇのに」
高価で希少な羊皮紙とはいえ、それでも偽造はできてしまう。
正式な契約書として扱う為には、その地を治める領主が王家の取り決めた制約を代行して記入し、更には魔法で加工した物が証文として認められる。
王名と地と精霊とで三重に誓うこの魔法術式は、他者が故意に記入した場合効果を失ってしまう様仕組まれている。それほどに借金契約とは重い誓約なのだ。
だが逆を言ってしまえば、そのセキュリティさえやり過ごしてしまえばたとえ後から違うと言っても覆る事が無いという事になる。
銀の絆団長、シルバー・ホプキンスがいかなる手段を用いたのかまでは定かでは無いが、なんらかの魔法的チェックを潜り抜ける術を持っていたのは確かだろう。
「そこで、じゃ。今回の件ではワシの方も落ち度が目立つ。銀の絆の今までの功績や実績に過信し、借用書のチェックを怠っておった。本来ならそこで気づいておけば、こうまで取り返しのつかない事態になる事も無かったであろうにのぉ。申し訳ないと思っておる」
アウロ・アウローラ組合長は多忙な人物だ。
この南方だけでは無く各地方の冒険者組合との折衝もあれば、王侯貴族との付き合いや公共事業への共同出資など、一日の仕事量で言えば彼が冒険者であった時代より多い。
自身が管轄するこの南方で、さらには本部を設置しているこの城塞都市で一定の勇名を支持されている銀の絆に対して、どこか甘い部分があったのだろう。
本来であれば細かく目を通すはずの、借用書制作に関する報告書を見逃したのは間違いなくアウロ組合長の過失である。
「なのでお前の現在の借金は、一度組合が全て立て替える」
「……じっ、じっちゃん!」
その言葉に飛び上がるほど喜んだヴルフは、一回の跳躍で執務机を飛び越えてアウロ組合長へと抱きついた。
頬に当たる不快な髭の感触も、本来なら触りたくもない盛り上がりすぎな筋肉も、今は不思議と心地よく感じる。
気の持ちようなのであった。
「勘違いするでない! 領主様に特別な許可を頂いて、方々で借り散らしていた物を一本化しただけじゃ! お前の借金が消えたわけではない!」
「え?」
思わず頬ずりしてしまいそうな勢いを、ぴたりと止める。
「このままでは利子や延滞で増え続ける物を、ワシと領主様の名の下に引き受けこれ以上の増額をさせないための措置じゃ! それにこの額の金貨の流通が途絶えれば、この領にも甚大な影響が出るからの! この金額で無利子・無担保、分割返済可能なんて本来有り得ないんじゃからな!」
縋り付くヴルフを力任せに押し剥がし、居住まいを正す。
「流石に返済には期限を設けねばならん。これ以上お前を特別扱いしたら他のクランから苦情も来るだろうしの。自分たちにも無期限の融資を行えだの言われたらたまったもんじゃないわい」
執務机に備えつけてあった椅子に深く腰掛け、その蓄えた立派な髭を触りながら、アウロ組合長は右手の指を立てた。
人差し指と中指、つまり数字の【2】を意味するハンドサインである。
「二年。二年の猶予を設ける。それまでになんとしてでも全額返済するんじゃ。そうでなければ、お前を剣闘奴隷として売却せねばならん。これが領主様の差配じゃ」
「な、ななな、んなのねーよ! そんなアホみたいな額、そんな短期間でどうやって返せって言うんだ! もうクランも消えちまったし、売っぱらう物も無いんだぞ!? 俺の得物だってさっきペネロピに没収されちまったし!」
「冒険者組合本部二階では武装が認められていないだけです。お帰りの際にちゃんとお返しますよ」
先ほどとは打って変わって、慌てるヴルフに対して冷静に返すペネロピの図である。
「なぜか行方を眩ませた他の団員たちはワシらで探っておく。消えた理由も聞かにゃならんしの。特に団長と副団長は絶対に見つけ出し、この落とし前をつけさせねばな」
悪どい壮絶な笑みを浮かべて、アウロ組合長は窓へと向き外の景色を眺めた。
付き合いの長いヴルフには分かる。
このハゲジジイは今、烈火の如く激怒している。
かつて大陸の覇者とまで呼ばれた九人の英雄の一人。
その怒りが爆ぜた時に一体どんな事が起こるのか、それは誰にも分からない
「そ、そうだ。他のみんなを探し出して、一体何がどうしてこうなったのか聞かねーと! 突ったって居場所がわかんねーし! そもそも隠れらた──────隠れる?」
ヴルフの脳裏に、この騒動で存在を忘れていた一人の少女が思い浮かんだ。
珍しい黒髪の長い長髪に、整った顔と豊満な姿。
そして、どこまでもだらしないあの怠惰な出で立ち。
銀の絆で数少ない、ヴルフの友人である彼女を。
「あ──────ああああああああああああっ!!!!」
「な、なんじゃ!? 消えた団員に心当たりでもあったか!?」
「ち、違う! そうじゃない! そもそもアイツがクラン本部から外に出るわけねーんだ! やばい下手したら死んでるかも知れねぇ! すまねぇじっちゃん、後でまた来るから!」
「お、おい!」
「ヴルフ! 剣は!?」
勢い良く執務室から飛び出すヴルフを、二人は止める事が出来なかった。