ようこそ地獄の借金生活へ!②
「落ち着かんか馬鹿者ども!」
簀巻きにされ床に突っ伏してシクシクと啜り泣くヴルフを皆が取り囲み、邪教の暗黒儀式めいた取り立てが粛々と執り行われる中建物全体を揺らす怒声が突如響いた。
「組合長!!」
「アウロ様!」
「ギルマス!」
「ハゲ!」
「クソハゲジジイ!」
「ツルッパゲスケベジジイ!」
「黒光りエロハゲ化け物ジジイ!」
「死に損ないハゲ!」
「今文句言った馬鹿は、全員前に出るんじゃ!!」
突如として現れた老人に一喝され、一転して静まり返る大ホール。
何を恐れてかは決して定かではないが、皆一様に口を噤んだ。
「じ、組合長……」
涙と鼻水でズルズルの顔を持ち上げて、ヴルフはぐるぐるに縛られて身動きできない身体をなんとか首だけ持ち上げて老人を見る。
その視線に合わせてか、周りに群がっていた人だかりがゆっくりと輪を広げた。
「よう、久しぶりじゃのうヴルフ。元気しとったか」
床に突っ伏すヴルフの顔を一瞥し、老人はニッカリと人懐っこい笑顔を見せる。
「これで元気に見えるなんてじっちゃん遂に耄碌しちまったのかよ……」
「皮肉じゃ馬鹿たれ」
見事に禿げ上がった頭を開け放された扉からの逆光に光らせながら、老人は人波をかき分けてヴルフのすぐ正面まで来て、立ち止まった。
「はぁあああ……」
そして大ホールの中を一周見回すと、深いため息を吐いた。
「……ほんに、全員居なくなってしまったんだのう」
何かを思いふける様に、老人はがっくりと肩を落とす。
「じっちゃん! みんながどこ行ったのか知ってんのか!?」
その言葉にヴルフは表情を明るくした。
「お、教えてくれよ! 俺、今朝このアーハントに着いたばっかでさ! 門番のディーノは俺の顔見るや追っかけてくるし、他のみんなは挨拶したらなんかすっげぇ怒ってるし、本部に戻ってきたら何も無くてもぬけの殻だしでもう意味分かんなくてよぉ! 焦って街の中探し回ってもウチのクランのメンバー誰も見つからねぇし、そしたらまたみんな追っかけてくるしで俺、もうわけわかんねぇよぉ!」
「だから落ち着け。儂が今説明してやるから」
冒険者組合・組合長、アウロ・アウローラはそのたっぷり蓄えた黒髭を右手で揉みなぞり、一脚の木製の椅子に腰を下ろした。
鍛え抜かれた歴戦の筋肉は年を経てなおも黒光りし、今にもはち切れんばかりで、そこに存在するだけで威圧感を醸し出す。
白金等級の元・冒険者。
かつてこの大陸を戦乱に陥れた、大魔将ルグを討ち取った九人の中の一人。
吟遊詩人が謳い継ぐ英雄譚の登場人物であり、この城塞都市アーハントと一帯の地域を取り仕切る冒険者組合の長でもある。
つまり、とっても偉い。
「……えっとな、ヴルフよ。あー、何だ。その」
「な、何だよじっちゃん」
普段は快活で鬱陶しいほど声の大きなアウロ組合長のその姿に、ヴルフはまた不安を覚える。
あまり頭の良い方では無いヴルフだが、ことここまで来て話の内容が朗報だとまでは思えなかった。
「あー、アレだ。お前んとこのクランな、解散した」
「は?」
「正確に言えば、自然消滅じゃな。だーれも残らんかったわい」
「い、いやいや。んな阿呆な。だってクランにはまだ仕事がいっぱいあって、確か五年は安泰だって団長が──────」
散発して入る緊急依頼に加えて、収穫期を迎えた周辺の村々の護衛や輸送依頼など、定期的な仕事で皆忙しかったはずだ。
クラン、銀の絆は規模こそこのアーハントに燦然と君臨する三大クランには及ばないものの、かなりの実力者が集まる中堅所。
皆が冒険者としてひとかどの猛者揃いであったし、何よりプロフェッショナル。
そんなプロ冒険者が、契約した仕事を放っていなくなる訳が無い。
少なくともヴルフにはそんな考えなど微塵も浮かばない。
「事実じゃよ。嵐のケイティに疾風のフェンネは魔導院に戻った。獣牙のデランチや炎槍のリッケは他国の組合に籍を移しおった。確認できたのはこの四名だけで、ほかの団員は終ぞ行方が分からん」
「なっ、アイツらがクランを脱退したのか!? ケイティはともかくフェンネが!? デランチやリッケだって、そんな真似する奴らじゃ───」
ヴルフが知る限りでは、その四人は皆確かな実力と真っ直ぐな信念を持った仲間であった。
嵐のケイティに関しては男嫌いで有名であり、同じクランメンバーであったヴルフにも嫌悪の目を向けていたので、あまり人柄までは熟知していない。
それでも冒険者としてのプライドを持った魔術師であったし、クランとは利害が一致していた長期契約を結んでいたはず。
何より全員が、銀の絆団長、シルバー・ホプキンスの実力と手腕、そしてカリスマに惹かれてこのクランに集まって来た。
男嫌いのケイティですら、団長の前では我を忘れてすっかり恋する乙女になってしまう程だ。
御歳五十代も後半だと言うのに、である。
「言うただろうに、事実じゃ。そんで結論から言うとだなぁ。えっと、ペネロピや。総額で幾らだったかのう?」
木製の椅子に座るアウロ組合長の背後に、いつの間にか一人の女性が立っていた。
しっかりと縛り上げられた金髪のポニーテールに丸眼鏡。
吊り上がった目つきは冷たく、その眼光も重く鋭い。
所謂クールビューティーと呼ばれるタイプの、有能かつ冷酷で有名な組合長の秘書を務める、ペネロピと言う美女だ。
彼女は片腕に大量の書類を持ちしっかりと、しかし静かな足取りでアウロ組合長の側まで来ると、その小さな口を微かに開いた。
「この本部にあった魔導具や家具などをすでに幾つか差し押さえ、未だ価格査定中では御座いますがおよそであるならば概算を出せます。組合長」
ペネロピは無機質な声色でそう答えると、未だ床に転がったままのヴルフをちらりと見る。
まるで道端に落ちているゴミを見るかのようなその瞳に、ヴルフは心臓を鷲掴みにされた様な錯覚を覚えた。
今まで一言も会話が成立した事がないこの秘書を、ヴルフは内心苦手に思っている。
初めて出会ったのは、ヴルフがこの街を訪れたその日であったから、もう五年。
アウロ組合長と縁の深いヴルフとは頻繁に顔を合わせているが、仲を深めた実感なんて一欠片も無い。
「うむ。お願いできるか」
アウロ組合長は神妙な面持ちでそう指示すると、うっすらと目を細めた。
いつでも軽薄で余裕を多く見せる組合長のそんな表情に、ヴルフは改めて事の異常さを感じ取る。
鼻の奥がひりついて、口内がカラカラに乾いていく。
足りない唾液を欲して、喉が催促する様に震える。
ペネロピはその無表情を一切崩さず、腕に持つ書類の束から下の方にある羊皮紙を一枚取って一番上に重ね、同じ手の人差し指で眼鏡の柄を持ち上げた。
「ルファー金貨にして、約7800枚。細かい金額まではまだ分かり兼ねますが、おそらくこの金額を前後するものと思われます」
「うむ。まぁ、そんなところじゃて。さてヴルフ」
ペネロピからの報告を受けて、アウロ組合長はゆっくり目を開いて再度ヴルフを見る。
眼差しは強く、そして鋭かった。
「これが、お前が抱えた借金の全額じゃ」
静かに、そして穏やかに告げられたその言葉は、ヴルフにとっての死刑宣告に似た、ありえない現実を知らせるものだった。
「…………はぁ?」
ヴルフがそれを理解できないのも、また仕方のない事と言えよう。