《幕間》雨に濡れた織女星
前話のあとがきに書いたようにifストーリーとなります。
「なんてことをしてしまったんだ!」
「婚前交渉に加えて子供までつくるなんてっ…!」
少女が両親にそのことを打ち明けた時、二人の嘆き様は凄まじいものだった。
「ご、ごめんなさっ…」
それ以上は、母親の平手が飛んできたことによって続けられなかった。
「どうして貴女はいつもそうなの!?どうしてお母さんたちの言うことがきけないの。お姉ちゃんやお兄ちゃんたちを見なさいよ、貴女だけなのよ、何をやってもできないのは。中学受験の時だってそうだったわ。これ以上我が家の恥を増やさないでちょうだい。」
「その通りだ。今ならまだ間に合うから、おろしなさい」
最後に父親が言い放った言葉を聞いて、少女は激昂した。
「いや!」
敬虔なカトリックである母親は、信仰を理由に反対した。しかし、少女の学歴を諦めてはいなかった。
「それはダメよ。神様がお許しにならないわ。休学させて、生まれたら施設にあげましょう。何が何でも、大学までいかせなきゃ。」
「だったら早く済ませた方がいいだろう。全く、相手もわからないなんてどうかしてる」
小さな命の処遇について言い争い始めた両親に、少女は叫んだ。
「じゃあ私はどうすればいいの?お母さんはおろすのはダメって言うけど、育てるのもダメって…私だって好きでこうなったんじゃない!」
「黙りなさい、親に口答えするなんて!どうせ、ろくでもない男と付き合ったんでしょう。」
母親に意見することさえも許されない。
※※※※
結局、休学することになった。
部屋に籠る少女は、ドアの隙間から食事とともに毎日差し込まれるようになった手紙に目を止める。それは、優秀すぎて近より難く思っていた、歳の少し離れた姉の筆跡だった。独り暮らししている筈の彼女は、何故か毎日訪ねてきてくれた。
『私のことを信じて』『知り合いに田舎で店をやっている人がいます』『そこに身を寄せられるか聞いてみます』『親の説得もまかせて』
最初は食事や睡眠をしっかり摂るようにと書いてあった手紙は、いつしか唯一の希望の光となっていた。少女と子供が引き離されないようにと尽力する姉の姿が、手紙からは浮かび上がってくる。
やっとのことで書いた手紙は、震えながら書いたせいで解読できるかどうかといったひどいものだった。
『私、こんなにできない子なのに』
『貴女がどう言おうと、私はお姉ちゃんですから』
時折聞こえるようになった姉と両親の言い争う声に、そのことを妹に知らせないようにする姉の優しさに、少女は泣いた。
私がこんなことにならなきゃ、喧嘩なんてしなくて良かったのに。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
姉がどれだけ奔走してくれたのか少女には計り知れなかったが、田舎の知人の家はとても心地よい場所だった。姉の家庭教師時代の教え子の親類だと、誰かが話していた。
子のできない、やや年かさの夫婦だったためか、申し訳なくなってしまうくらい可愛がられたのだ。
少女はこれまでのしがらみから一切目を反らし…それを弱さと理解していながらも、自分のいなくなった後のことを知ろうとしなかった。知ることができなかった。
心が癒えた後は、体をいたわりながらも店の手伝いをした。せめて我が子に少しでも誇れるところのある親になりたい、と考えたことも理由のひとつだった。
生まれてきた子供には、昴という名前がつけられた。もともと少女が子供好きだったのもあって、昴と過ごす時間は特に大切にした。少女に瓜二つのその子は、裕福とは言えない暮らしながらも愛情をしっかりとうけて、すくすくと成長していった。
※※※※
昴が小学校に通う頃には、生活もそれなりに軌道に乗ってきていた。
全く接点が無くなっていた親からは、姉が教えたのかそうでないのかは定かではないがランドセルが届いた。男女兼用を意識したつもりなのか、茶色を選んだようだった。彼女自身が入学するときにはショッキングピンクのものを贈られ、泣いて嫌がったものだった。
高卒認定資格をやっとのことで手に入れ、精神的にもゆとりが出てきていた。
そんなある日のこと。
昴にせがまれて都内に出掛けた折りに、近くで交通事故があったようだ。人だかりが気になって近づいて行こうとする我が子を引き留める。
後日、報道されたニュースを見てみると、驚いたことに事故の被害者は高校時代の(彼女にとっては遠い記憶になっていたが)同級生であった。勉強は誰よりも出来たが、太っていていつもびくびくしているような少年だった。
思わず黙祷を捧げる。もう届くことはないが…
(ごめんなさい、あのとき流されちゃって)
あの頃つるんでいた仲間や彼に話を振られ、うなずいてしまったあの日。翌日、水を入れられた体操着袋を一瞥した少年は、グッと表情を消して耐えていた。濡れたままのそれを身に付けて授業を受けるその背中を覚えている。
他にも、いわれのない中傷を浴びせられて辛かったろうに。
許されるつもりもないが、ただただ心のなかで謝る。
あの日の自分の愚かさと、弱さを忘れてはならない。
そう、彼に捨てられたくないが為に都合のいい女でいようとしたのだ。どんな頼みだってきこうとした。そして、あることを拒否しようとして…やっぱり捨てられた。
弱みを握られた上で彼のつるみ仲間に下げ渡された時の恐怖は、時間がたった今でも鮮やかに思い出す。拒否しようとした日に無理やり撮られた写真を見せつけられて…それで――
「どーしたの、お母さん?」
「なんでもないよ、だいじょうぶ。」
かつての少女は、回想の海から現在に引き戻され、1人の優しい母として我が子に微笑みかける。
「もうすぐ伯母さんがくるから、片付けておいてね」
「お土産楽しみだな」
あの日の自分は確かに不幸であった。あの出来事も不幸といえるだろう。しかし、我が子に出会ったことは間違いなく幸運だと断言できる。
昴にせがまれて描いたイラストをファイルに綴じながら、星の名前を持つ彼女は微笑んだ。
※※※※
これは、あったかもしれない、なかったかもしれない誰かの話。




