046.リストラクチャリング
「え? 失踪?」
エマからの報告に、頭が痛くなってきた。
つい先日、父親が爵位を兄に譲ったばかりだというのに、その兄が失踪したと言う。
家に残されていた私宛の手紙には、後は任せた、とだけ書いてあった。何が”後は任せた”だ。そんなのはやるべきことをやった人間が言う言葉で、速攻で尻尾巻いて逃げた兄が使っていい言葉じゃない。
あれだけ爵位を継ぐことに意欲を燃やしていた兄が、何もかも投げ捨てて失踪したということは、思った以上にアレクサンドリア家の状況がヤバいということだろう。
唯一の救いは、兄にまだ婚約者がおらず、慰謝料うんぬんを請求されずに済んだことだ。
あんな家潰れてしまえばいいとは思っていたけれど、そうもいかない。
何故なら、女も家を継げるようになってしまったからだ。
アルト家にも迷惑をかけたくないし……。
出来る限りのことはするつもりでいるけど、どうなることやら。
とりあえず、上手くいった頃に兄がひょっこり戻って来られても困るので、兄に関しては失踪とついでに貴族籍の剥奪申請でもしておこうかな。
本当に、皆さん、自分のことを優秀優秀とおっしゃっていた割に問題ばかり起こして逃げて下さるものだから、ミチルは本当に嬉しいですよ……。フフ……。
「ミチルちゃんも災難ねぇ」
アレクサンドリア領に向かう馬車の中で、取り急ぎセラに集めてもらった資料を読む。
ルシアンは付いて来たがったが、様子見だからと言って断った。ルシアン忙しいのに、こんなことで煩わせたくない。
「禍福は糾える縄の如し、とは本当によく言ったものだと思いますわ」
思わずため息がこぼれてしまう。
「それはあっちの言葉?」
「そうです。幸せと不幸は撚り合わせた縄のように、交互にやってくる、という意味ですわ」
最近順調も順調だったものだから、今度は大きな禍が来ちゃった、といったところだろう。
「もっと悲観するかと思ったのに、そうでもないのね」
「あの家にいて、まっとうに領地経営が出来ていたとは思っておりませんもの。姉の婚約破棄騒動がありましたし……。大丈夫なのかとは思っていたのです。
まぁ……突然失踪するとは思ってはおりませんでしたが」
「爵位返上も手段としてはあったのでしょう?」
そうすれば楽だったのに、とセラは言う。
「そんなことをすればアルト家にもご迷惑がかかりますし……」
嫌な予感みたいなものはずっと感じていたのに、何の手も打たなかったのは私もなのだ。何も出来なかったとは思うけど、まずそれすら試してないし。
「いずれ破綻することは私の目から見ても明らかだったのです。その事実に目を背けていた私も兄と同罪ですわ」
屋敷に戻った私を、使用人たちが出迎えた。
使用人たちは、私を見るなり一斉に話し始めた。
私が行くことは伝えておいたので、来るのを今か今かと待っていたのだろう。
「話は一人ずつ聞くわ。まずは屋敷に入ります」
使用人たちの話を一人ずつ聞いていき、誰を屋敷に残し、誰を去らせるかを考えていく。
たとえアレクサンドリア伯の爵位を賜ったとしても、私はここで生活しない。
だから、残すべき人だけ残し、そぐわない人間には報酬を与えて去ってもらわねばならない。
「セラ、この書類に目を通して、忌憚のない意見を聞かせていただけるかしら」
使用人たちは、ミチルらしく振舞っていた私しか知らない。ミチル如き何とでもなると油断してくれていたので、大変やりやすかった。
こういう時、前世の経験も役に立つなぁ、とも思った。
ミチルのままであれば、きっと騙されてしまうだろうと思う。それぐらい、生活がかかっている分、皆の演技は迫真に迫っていた。
さすがに前世でいくらかなりと人を見る目というのを養っているから、肉体年齢そのままの経験値ではないんだよね。
セラに使用人たちに関する書類を見てもらっている間に、アレクサンドリア家の借金の総額を見て、頭を抱えた。
何という額……!!
ため息とかいう次元じゃない。息が止まるかと思ったよ!!
コツコツと積み上げた借金。細々とした返済。
大ダメージとなる姉の婚約破棄慰謝料。
とりあえず全額返済は無理だから、私個人が持つ、ダズン商会からの慰謝料で一部でも返済しよう。
あぁ、それにしてもこの利息はちょっと違法なのでは……?
前世の悪徳金融並みのパーセンテージな気がする。
その辺、ちょっと確認しなくてはいけないな。
収入と支出を明確にしなくてはいけない。
アレクサンドリア領は私が認識してる中で飢饉や自然災害などは起きていない筈だから、最低限の税収はある筈だ。
支出に関しては本体であるうちが抱えている借金と、領地経営上必須となるコストがどれほどなのか、といった所か。
アレクサンドリア領のメイン都市のジュビリーの状況を確認しなくては。
主要産業が何なのかとか、何の可能性があるのかとか。
「お待たせ、ミチルちゃん。ワタシの所感としてはこんな所よぉ。
あ、お茶のお代わり淹れるわねぇ」
セラから返された書類に目を通す。一人一人に関してセラ目線のメモがきっちり書き込まれている。ざっと見た感じ私と同じようなことが書かれているのもあったけど、中にはこれ、前から調べてただろ、オイ、というものも書いてあったりした。ありがたいけどサ……。
さすがアルト家の執事、諸々調査済みって奴ですよ。
今回首を切ることにした使用人たちには、立場、勤務年数を考慮した退職金、それに色をつけることにした。
出ていった後にごちゃごちゃ言われたくないので、ちゃんとした金額を支払い、誓約書を交わしてもらう。
違反すれば退職金を返上してもらうという誓約付きだ。
ただ、これを直球で言うと角が立つことはさすがに分かるので、当家の内情を恥ずかしいので漏らさないで欲しいから、ということにした。
彼らが目算している以上の額が手渡されることになるから、誓約書へのサインは拒絶しない筈だ。気持ちが浮かれて、冷静な判断がしにくくなるだろうから。
「ミチルちゃんてば、優しいわねぇこんなに手厚いなんて」
優しいねぇ……。
自分は特段心根が優しい人間だとは思ってないけど。優しくするのも、後々の面倒ごとを最低限にする為だし。
「あちらの言葉に、金持ち喧嘩せず、という言葉があるのよ。意味としては、喧嘩しても得にならないから他人と争わない、という意味なのです。
確かに今は返済が苦しいときですけれど、それとこれは別問題です。出し惜しんだ結果、後から無駄な出費や、金銭で解決出来ない問題が発生した場合のほうが困ります」
セラが淹れてくれた紅茶を飲む。
はぁ、ほっとする。
こうなってからずっと頭痛が続いているんだけど、それがいくらか緩和される気がする。それぐらいセラの紅茶は美味しい。
「お金で解決出来るものは、お金で解決してしまった方が後腐れがなくていいのです」
使用人たちに、はい、即出て行ってね、とは言えない。それは悪手過ぎる。
なので後で全員を食堂に集めて、退職金のこと、辞めてもらう人の、退去してもらうまでの期間についてを説明しなくてはいけない。
食堂での説明に、予想通り反発する人間も多かった。
彼らの頭の中では、私がアルト侯爵家に嫁入りしたから、アルト家の財力で雇い続けてもらえると思っていたんだろうと思う。
あはは、砂糖菓子並に甘いよー。
勝手に楽観視していたようなのを、一度谷底に突き落として挫折させた後、退職金やら何やら、ただ放逐されるだけではないということを伝える。そうすると、即クビだと思っていた彼らの中には、退職金を受け取って辞めて行くことが、そんなに悪いことではないと思う者が出てくる。
解散前に、セラがとびっきりの笑顔で、この家の調度品は全て査定に入っているから、手を出せば即バレるからね、ということを全員に伝えていた。
一瞬で顔が青ざめた奴が何人かいたなぁ。もうやった後かな? その場合は、退職金なしでクビなんだよねぇ。ほんと、もうちょっと待てば良かったね?
近隣の街の質屋には既に連絡してあるわよぉ、とセラが言ったので、はは、さすがだな、と乾いた笑いしか出てこなかった。
あと半月もすれば春になる。それまではこの屋敷にいていいけれど、春になったら出ていくようにと申し伝えた。
なお、次の目処が立っている人たちは直ぐに退去してもらって構わない、ということも伝えた。
三十人はいた使用人を、最終的に六人に絞った。
屋敷のメンテナンスに最低限必要な人数だ。
父がこれまで使っていた執事は解雇した。当主を諫められない執事なんか不要ですしねー。
セラが適当に執事を探してくるわーと言ってくれたので、そこは甘えることにした。そんなツテ、私持ってないし。
しばらく滞在することにしていたので、エマとリジーも連れて来ている。
エマから諸々の場所などを確認しながら、二人とセラで私に関する世話は全て完了した。
媚びを売ろうと、世話をしたがる者もいたけど、そこは上手くシャットアウトしてくれた。
料理に関してもエマが作れるので、リジーと協力し用意してくれた。
何が入るか分からない料理なんて食べられないからね。
学生寮での経験が、ここにきて自分を助けるとは思わなかったー。
翌日は一日で読み切れなかったアレクサンドリア領に関する資料を読んでいく。
この資料は、アルト侯爵が用意してくれたものなので、父が残した資料より信頼がおける。
とは言え、何でこんなものがあるんだろう? と思わなくもない。
……あぁ、前にルシアンと三人で集まった時に、領地経営うんぬんの話が出たから、その後だろうか?
はぁ、準備がいいことだ。
一瞬嫌な考えが頭を過ぎったけど、これ以上は考えないことにする。知らないほうが幸せなことって世の中結構あると思うんだよね。
セラが淹れてくれたお茶を飲みながら書類を読んでいく。
あー、この感じ、懐かしい。
前世で秘書やってた時に、ボスによっては書類にひと通り目を通しておけ、という人が一定数いたから、あらかじめ書類に目を通して案件の優先度を私の裁量で付けたりしてたんだよねぇ。
アレクサンドリア領は特別何かを産出している土地ではないらしく、農作物が主な産出品と言える。
それが去年、隣の領地との境界線沿いにある崖の一部が崩落してから、その周辺で農作物の出来高量が激減しているとのことだった。
ついでに、野生の鹿が増えたという報告も上がってる。えぇ、これ……。
「セラ、王都の屋敷から分析器を持って来てもらうよう、手配してもらえますか?」
「りょうか~い☆ 他には何か必要なものある?」
「多分そう遠くないうちに王室から、私に爵位授与が行われると思うので、その予定を知りたいのと、その為の礼装の準備を進めていただきたいのです。
あと、商人ギルドに行って、高利貸しの利息の上限がいくらなのかを調べて来て下さい」
要らないと言っていた分析器が色んな場面で役に立ってる……。
ルシアン、ありがとう!
「どういたしまして」
「?!」
この声は?!
ドアの前にルシアンが立っていた。
な、何故ルシアンがここに……?
動揺する私を気にする様子もなく、ルシアンは私に近付いてくるなり、頬にキスをした。
「仕事をするだけであれば、屋敷でもミチルの傍でも変わりませんから。それに一週間もミチルと離れて暮らせと?」
私と一緒にいる時間を増やす為に、履修済みなのに学園に通うような人ですものね……。
「で、ですが……」
「私もアレクサンドリア領を見ておきたいと思っていたのです。いい機会ですから」
なるべくルシアンに迷惑をかけずになんとかしたいと思っていたのに……駄目だったか……。
「愛されてるわねぇ」
うふふ、と笑うセラの言葉に、私は何も言えなかった。
ようやくここまで辿り着きました…。




