クーとの出会い その3
ナイフを刺されて血が出て、痛そうに苦しんでいたが、その姿も幻影だったようだ。
とりあえずこの幽霊が無事でいてくれてよかった。俺にはその気持ちが大きすぎて、他の考えが頭から抜けていった。口には出さなかったが「あーもー分かった。俺の負けでいい。お前のいう事は信じる。だからそーゆー事やめて」という気分。だめだ、体中の力も抜ける。俺はその場にへたり込んだ。
「御理解頂けたようでなによりです」
俺の理解は「攻撃しても意味ない」のではなく、「逆にこちらが精神的にダメージを負う」という事だけどな。
「で、結局お前は何なんだよ」
幽霊少女は俺の正面に、両膝をついて座った。
「先ほども申し上げましたが、テオ様に本と読書環境を提供する存在です。詳しくは、こちらをお読みください」
幽霊少女は座ったまま後ろを向き、どこからともなく取り出した分厚い本もって振り返る。そして、「えっこらせっ」と俺に手渡そうとした。でも本が重すぎたのか、体勢をくずし勢い余って俺の方に倒れこんできた。
「キャッ」
なんだこのあざとい生き物。さっきのトラウマの植えつけ方といい、狙ってやってるのではないか?そう邪推してしまう。
しかし実際に触れてみると、重みも体温も柔らかい触感もあり、普通の人間にしか思えなくなった。さっきまではこの世の者とは思えなかったのに、不思議なものだ。
「申し訳ありません。やはり本を手渡しするのは難しいですね。以後気をつけます」
少女はサっと跪座に戻り、俺の方を見ながら待機している。俺が読むのを待っているようだ。
本を提供する存在と言いながら、手渡しが難しいってどうなのソレ。そんな事を思いながら本に目を向ける。俺の知っている本より、古くて豪華で重い。こんな本は見たことが無い。
俺が、本を閉じている留め金を外すのに手こずっていると、少女が身を乗り出して留め金を外してくれた。髪が揺れるたびに光って綺麗だ。やはりあざとい。留め金が外された本は、ぼふん膨らんだ。びっくり箱みたいだ。中身も普通の本ではなく、蛇腹折りの羊皮紙がいくつも連なっている。本というよりは、コデックスというモノではないかと思う。
俺は、一番上のページを読もうとした。が、知らない単語ばかりで読めない。所々に始めて見る文字がある。1行目から……いや、初めの単語で躓いた。
「えっと…クー…クー…クルー…クー?」
俺は困った顔をして少女の顔を見る。
「テオ様、お呼びですか?」
このKから始まる単語が彼女の名前のようだ。それくらいしか分からない。うん、俺には読むの無理。諦めてそっと本を閉じる。
「えっと、クーなんとかさん?」
「はい、何でしょうか」
「俺には無理っぽい」
彼女は少し固まった。そして目線が一度左上に行ってから俺の方に戻ってきて応えた。
「申し訳ありません。おっしゃっている事が理解できません。人によって苦手なジャンルがある事は認識しています。しかしそれは説明書です。どのような趣味の方でも読めると思うのですが」
「いや、文章を読み上げる事自体が出来なかった」
また彼女は固まった。同じように目線が上方と俺を行き来するが、今度は何度か行き来しても口を閉ざしたままだ。そして目が泳ぐ方向がだんだん下になり、最終的にはゆっくりとうつむいていった。
そりゃまぁ困るよね。本を提供する存在って人に、本が読めないって言っちゃったんだもん。「じゃぁ私は何をすれば…」ってなるよね。
しかし、これで主導権がこちらに来た。ここからは俺のターン。
「あ、とりあえずペンとかを返すよ」
「あ、はい。何か記録しておきたい時には何時でもおっしゃって下さい。紙とペンをお渡しします。また、私には資料を保管する機能もあります。ぜひご活用ください」
「うん分かった。そんでさ、なんでクーさんは俺に本を提供しようと思ったの?唐突すぎない?」
「テオ様が私を起動して、名前を登録されたからです」
「あー……さっき書いたアレか。俺のせいか。でも起動って?」
「テオ様が今ポケットにお持ちの石、それが私です。魔力がなくなり、停止していたようですが、テオ様から魔力を頂く事で再起動しました」
「俺は掘り起こしただけだよ?魔力とやらは知らないよ」
「私は使用者が意識しなくとも、自動的に魔力を吸収して動き続けるように作られています。そして、長期の魔力枯渇により登録者情報が消えていたため、テオ様の魔力を受け入れたと思われます」
「え?俺って今魔力吸われてるの?大丈夫なのそれ」
俺はポケットから石を取り出して、見えるように手に持った。
「私の他には、何に魔力を使用していますか?」
「ごめん、魔力が何か分かってない」
彼女はまた少し固まって目が泳いだが、今度は戻ってきた。
「テオ様は魔力が少ない方ですが、それでも私の運用だけならば全く支障がありません。魔力の使用状況を確認してからまた相談しましょう」
むぅ。魔力を吸われるという事がどういう事なのか。それが分からないのが不安だ。しかしまぁ、この石が本体であると自ら明かしてきたし、多少は信用してやっても良いのかもしれない。発した言葉の中身より、そういった事がたぶん重用だ。
「あー大体わかった。お前の事を信用するよ。よろしくな。でも、お前が本を渡すための人で、俺がその本を読めないという問題が残るけどね。ハハッ」
受け入れたら気持ちが一気に楽になって、少し笑いたくなった。
「御理解いただき、ありがとうございます。本以外でも、テオ様のお役に立てないか検討してみますね?これからはよろしくお願いいたします」
おそらく、さっき本を受け取ったあたりから、俺はこいつを受け入れる事を心では決めていた。それでもつい、受け入れる理由を理屈で探したくなる。理由は後付けの確認でしかなく、先に心で決めた判断結果が変わる事はない。それは分かってる。でも、その後付確認で背中を押してもらわないと行動できない。俺の良くないところだ。そこは、直感だけで動けるヤンを、少し見習うべきなんだと思う。
「あれ?………そういえばヤンは?」
「あ、忘れていました。見えるように戻します」
彼女は少しさがって座りなおし、胸のあたりで手を小さく叩いた。すると、いきなり俺の目の前にヤンが現れた。
「うわぁ、ヤン!近い近い」
「やっと気付いたか。大丈夫なのか?何があったか説明しろよ」
ヤンは、しばらく前から俺の目の前に蹲踞姿勢で居たようだ。という事は、クーとヤンは重なっていた事になる。見えていなければ重なっていても良いという事か……。触れた事で生身の人間だと認識しちゃってたが、やはり幽霊なんだな。
「こら、考え込むな。早く説明しろ」
「あぁ、幽霊はまだソコに居る。でも敵意はないようだ。俺が幽霊の紙に名前を書いたから、俺に憑いてくるらしい」
「目を見えなくさせられて居たようだけど、大丈夫なのか?本当に敵じゃないのか?」
「それは落ち着いて話すために仕方なくだ。話したら納得したよ」
「本当に大丈夫なんだな?俺はお前の言葉を信用するぞ?いいか?」
「あぁ、大丈夫だ」
「フゥー…。それならよし。もう帰ろうぜ。余計に腹へった」
ヤンの体からようやく緊張が解けた。