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街での活動 その62 二つの死

予定通りの予定外その2

 カロエの父親の周りには、もう血溜まりができ始めている。落ち着いて見ると、彼が助からない事は俺でも分かった。もう何人も死んでいく人を見てきた。彼ももう少しの時間で死ぬ。それは感覚として悟った。


 でも、このまま殺してしまってはならないと思った。手を尽くしても、変わるのは死に際の感情が恐怖から怒りになる程度かもしれない。それでも、何も出来ずにいるのは嫌だった。


「おじさん、ねぇ聞いて。今ならまだおじさんのの話を聞くことが出来るわ。だからお願い。何でもいいから考えて。しなくてはならない事を」


 俺は心身の両方に触れながら、落ち着いて話しかける。


「ぅ……君はカロエの友達の子か……。もうダメだ……ワシははめられた……私はもう仕舞いだ……」


「えぇ、手仕舞いの時間です。それは変わりません。ですがあとほんの少し注文が出来ます。これが本当のラストオーダーになります。チャンスを無駄にしないで下さい」


「ラストオーダーか……そうだな……」


 俺が落ち着いて話し続けると、カロエパパの思考が回り出した。俺はそのスキを逃さず、うずくまっていたカロエパパを仰向けに寝かしなおす。そしてナイフと手で服を切り裂いて帯状にし、傷口に左手を当てさせたまま胴を強く縛った。


「弟に一つ伝言を頼めないか」


 カロエパパは仰向けのまま、夜空を眺めてそう言った。


「え?カロエにではなく?」


「そちらも出来れば頼みたい。だが負債の清算が先だ。私の右手から指輪を抜き取り、それと共に伝言を伝えてくれ。『どうやらこの指輪はまがい物だったらしい。でもお前のはどうだ?少しでも親父に近づけたか?』……と、皮肉たっぷりに言ってやって欲しい」


「何よそれ。どういう意味なの?」


「話すと長くなるがな。私を潰そうとしているのは私の弟なのだよ。今回私を殺そうとしたのも恐らく奴だ。だがこんな事はカロエに引き継ぎたくはない。もう終わりにしたい」


 身内の殺人は意外と多い。物語の中だけでなく現実にもそうらしい。血は水よりも濃い。しかしその分生まれる影も濃い。


「分かったわ。そんな下らない因縁、ぶん殴ってでも止めて見せるわ。それでカロエには何て。私達は彼女にも合うの。何か言葉を頂戴」


 俺はカロエパパの手から指輪を抜き取り、目の前で握り締めて見せた。


「フッ、頼もしいもんだな。で、カロエにか……あの子は本当に良い子に育ってくれた。私の人生は全てあの子のためにあったと思えるほどに、本当に本当に自慢の娘だ……。私の言う事など聞かずに結婚してしまうが、その時にどんな笑顔を見せるかと思うだけで涙がとまらない。とても苦しい、とても苦しいが祝福したくてたまらない。…………あぁこんなところで終わりたくないなぁ……もっと一緒に生きていたいなぁ。あぁ、死にたくない、死にたくない、死にたくない!死にたくない!」


「わわわわわ」


 カロエパパの精神が再び混乱し始めた。カロエパパは通常なら既に意識を失っていてもおかしくない状態だ。それを俺が魔術で無理やり覚醒させている。一度落ち着かせてから再度思考を回させる余裕はもうない。


「おじさん無理させてごめん。おじさんの気持ちは分かったわ。絶対にカロエに伝える。もうゆっくり休んで……」


 俺はカロエパパの頭を抱え込みながら、魔術を解く。するとカロエパパはすぐに意識を失い、体から力が抜けた。


 親しい仲という訳ではなかったが、カロエパパの感情が俺にも染みてしまい、俺まで涙が出てくる。しかしそんな感傷的な雰囲気はすぐに壊された。


「ハッハッハッハ!死んだか!死んだか!俺の勝ちだな!」


 俺の背後からイラつく声がした。黒狼団ボスが復活してきている。力いっぱい蹴り抜いたのにな。大人と子供の体重差が恨めしい。


 俺は振り向きざまに黒狼団ボスに平手打ちをくらわせた。しかし黒狼団ボスは動じない。


「ハッ!ガキはやっぱガキだな!泣き顔がお似合いだ!ざまぁねぇ!」


「なぜ貴方は笑っていられるの?人が一人苦しみながら死んだというのに」


「ハァーッ!そこが俺達黒狼団とお前らの差よ!どんなに生意気な事を言ってようが、お前らは所詮はガキって事だ!ひとっこ一人殺せやしねーのさ!」


「そういう事を言ってるんじゃないの。目の前に悲しんでいる人が居る。苦しんでいる人が居る。どうしてそれを見て笑っていられるの?」


「ハァ?何を言ってやがる。お前が泣いているって事は俺が勝ったって事だ。そのオッサンが死んだって事は俺の力がすげーって事だ。オッサンが絶望してたって事は全てが上手くいったって事だ。これが笑わずに居られるか」


「違う違う違う!兵士だって敵を殺して勝利すれば歓喜のうちに勝どきをあげもする!仲間と共に勝利を祝いもする!それでも家族の事を思って泣きながら死んでいく者を見て嬉しそうに笑ったりはしない!貴方には人の心ってものがないの!?」


「だからお前らは所詮ガキだって言うんだ。世界は弱肉強食なんだぜ。知ってっか?弱肉強食。強ぇ奴が食い弱ぇ奴が食われるって事だ。強ぇ奴が笑い、弱ぇ奴が泣く。それがこの世の掟だ。誰かが泣いているなら俺の勝ち。笑っている奴がいたなら、逆に俺が食い物にされてるって事だ。今回は俺が勝ってそのオッサンが負けた。だから俺は笑う。当然じゃねぇか」


「違う違う!絶対に違う!」


 前にデベルは言っていた。この人達は悪事によって他人と違う自分を見出し、他の人があえて成らないワルになる事で、何者にも成れなかった劣等感から逃れているのだと。その説明どおり、確かに人殺しが出来る事を誇ってはいる。でも、それだけとも思えない。人として大事なものが欠けている気がする。


 俺は涙を流しながら反論の言葉を捜す。しかし黒狼団ボスは動物的なカンによって、そのスキを逃さない。


「所詮お前らは飼い猫なんだよ!エサを与えられたから人になついているだけのな!お前らが人に同情するのは、そうすりゃエサが貰えるからだ。人の死を悲しむのはエサをくれる奴が居なくなるからだ。もっともらしい綺麗ごとを並べちゃいるが、そこらの餌付けされた動物と何も変わりゃしねぇ。それが何故かなんて考えた事もねーだろ。だが、そんなモンは家の外じゃ通用しねぇ。弱肉強食の大人の世界じゃ通用しねーんだよ!分かったかクソガキが!」


「ッ────!」


 俺は声にもならない空気を吐いて泣き顔のまま黒狼団ボスを睨む。勝ち誇った顔がとてつもなく醜く見える。が、反論が出来ない。


 確かに俺が人に同情するのは、オペラント条件づけ───動物の学習形態の一つ。自発的行動の結果を学習する事で、その行動の強化や習性がなされる。受動的刺激を学習するパブロフ型条件付けとは区別される───かもしれない。同情した結果として他人と良好な関係を築いてこられたので、そうするのが正しいと考えているだけかもしれない。


 もっと言えば、俺はもっと動物的かもしれない。多くの動物には共感能力がある。近くに苦しむ仲間が居れば、苦しみもアクビの様に伝播してストレスを感じる。そうした本能により、小さなネズミですら仲間を助ける事があるくらいだ。そして逆に、幸福感も仲間と共有が可能で、そうすれば脳内で報酬となる麻薬物質が出て行動が強化される。黒狼団ボスの言うように、俺はまさに動物的に行動しているだけかもしれない。


しかしそれは、逆に黒狼団ボスにも言える事だ。


 この人は奪ったり奪われたりという世界で人生を送ってきたのだろう。他の人とWIN-WINの関係が築けなかった。人と与え合い、分かち合う関係が築けず、生きていくためには他人から奪うしかなかった。その学習結果として、他の人が悲しんでいる姿に、幸福を感じるようになってしまったのだろう。


 また、動物は勝負事に勝っても頭の中では麻薬物質が出る。人を傷つける事が自分の生活の糧になるのなら、そちらも容易に学習強化される。そのために傭兵団は下劣な笑い方をする。


 ある意味で俺と黒狼団ボスは似ている。ただ方向性が違っただけで、同じ種類の人間だ。


 しかし、そこまで考えたところである問題に気付いた。彼はこのまま人を傷つけ続ける。得物を取り上げたところで、別の獲物を求めるだけだ。他人の悲しみに喜びを感じ、他人の喜びにイラ立ちを覚えるのだ。他の人を喜ばせて報酬を得ようとは考えないだろう。


 そこで再びデベルの言葉が脳に響いた。


 “彼らは更生などしない”


 俺は少し絶望を感じ、それが顔に出た。すると黒狼団ボスはニタァっと口を開けて笑う。俺はそれを見てさらに絶望した。


 あぁ、確かにデベルの言うとおりかもしれない。この人はもうダメだ。


 また脳内に声が響く。今度は村で何度も聞いた言葉だ。


『人の味を知った獣はまた人を襲う。一度でも人を襲った獣は、絶対に殺さなければならない』


 俺は絶望を後押しする言葉に押しつぶされ、反論を考える力が残っていなかった。もううつむいて涙を流す事しか出来なかった。


「ハッハッハ!どうやら現実が分かったようだな!ガキが生意気な口を聞くんじゃねーよ」


「うん……理解した……貴方は決して救えない……」


 俺は黒狼団ボスの顔を見上げる。目の前の勝ち誇った顔は、俺には救えないという絶望の証にしか見えなかった。俺は悲しみが抑えられず、涙を流しながら彼の頬に手を添える。


「なんだこの手は。なんだその顔は。もっと悔しそうに泣けよ!人を哀れむ様な目で見るんじゃねーよ!」


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


「何を謝ってんだよ!俺に謝るな!勝ったのは俺だ!謝るんじゃねーよ!」


「ごめんなさい……もう無理なの……ごめんなさい……」


「だから謝るんじゃねーって言って───」


 俺は魔術で黒狼団ボスを眠らせた。力なく崩れる彼を抱こうとするが、重さに耐え切れずに床までゆっくり下ろす事になった。そして悲しそうな目のまま周囲を見回す。突然の出来事に他の黒狼団団員はあっけに取られて固まっていた。


 俺は黒狼団ボスの顔の近くにしゃがみこみ、手で半開きの目を閉じさせ、最後にまた「ごめんなさい」と呟くと、立てなくなった馬を殺すように、静かに首の血管に穴を開けた。


「どうかこの者の魂に永遠の安らぎが訪れますように……」


 つい苦しみに耐えかねて祈りの言葉を口にした。人を殺すのをこんなに苦しいと思った事はない。


 戦場では敵の前に立った時点で言い訳など一切通用しない。それは敵前に立つ前に分かっている事であり、皆考えた末にそこに立つのだ。それぞれの事情は異なり、それは恨み事を言いたくなる様な理由かもしれない。個人の意思ではどうにもならない事情かもしれない。しかし一度向かい合えば、お互い覚悟して殺しあうしかないのだ。敵だから殺す。殺さなければ殺される。そこに思考の入り込む余地は無い。


 でも今俺が直面しているのは、醜悪なこの世の理だ。ただ人を殺したというだけではない。


 この人は普通にただ生まれてきただけなのに、自然に殺さねばならない存在になってしまった。人は様々な特性をもって生まれてくる。その中には、人と協力関係を築けない者、誰からも必要とされない者、ついつい攻撃的になってしまう者等も含まれてしまう。それがこの世のことわり。この世のことわりに慈悲はない。そして、無慈悲なことわりは一つではない。別のことわりによって、自動的にその者は社会に居てはならない存在になってしまう。


 頭の中の歯車がかみ合って、デベルの言葉が再生される。『黒狼団のような者達は放っておいても勝手に出てくる』。確かにその通りの様だ。でも、殺さねばならない者になるなんて聞いてない。苦しい。胸が苦しい。この世のことわり?なんでそんな物があるんだ。じゃぁみんな殺すしかないじゃない。


 俺は顔を上げ、他の黒狼団メンバーを見る。中には兄であるマルコも見える。その横には兄の下っ端仲間のトラウさん。他のメンバーも、名前は知らないが顔はもう覚えている人達だ。


「あなた達もこうなってしまうの?この人みたいに……」


 俺の目からは涙がとどめなく溢れ続けた。両手とも血だらけなので拭う事すら出来ず、流れるに任せた。そのまましばらく待ったが、俺の問いには誰も応えてくれなかった。


「お願い……私に貴方達を殺させないで……」


 俺は声を絞ってお願いをする事しか出来なかった。そしてその頃、ボスの首から吹いていた血は勢いと回数が減り、そして止まった。

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