クーとの出会い その2
そこには一人の少女が立っていた。歳は俺より上、マルコ兄さんより下だろう。普段みている農民の子より細くて華奢で白い。そのような少女が、森の遺跡に一人で居るだけでも十分不自然だ。しかしそれ以上に、今まで見たことの無かった本当に白い布、それで出来たワンピースの存在が、俺の視界から現実感を奪っていた。
さらに、腰までのびた淡い緑色の髪は、ツヤツヤサラサラ。一見素朴な、子供が着るような一枚布のワンピースだが、細かいところで村人の服とは違った。白い布地はツヤの違う糸で模様が織り込まれているし、襟やスソには飾りが付いている。そして控えめだがアクセントとなる折り目──インバーテッドプリーツというヤツだろうか──がついている。しかし良く見ると裸足だ。
見れば見るほど現実味がなく、この世の者とは思えない。本能的に幽霊か何かだと悟った。
少女は両手をお腹の前あたりに出し、手の平を上にして、俺がペンやインクをソコに置くのを待っていた。しかし、俺が硬直したまま反応しなかったので、少女は再び道具を返すように言った。
「テオ様、登録は既に完了しています。それらの道具をテオ様がお持ちになる必要はありません。私にお預けください」
言葉の意味は分かる。彼女のポーズからも、意図していることは分かる。だがそれ以外は全て分からない。何者?どこから来た?なぜ俺に話しかける?なぜ既知の仲のように?なぜ俺の名前を知っている?いや、そんな事より何より、こいつは俺にとって安全なのか?
俺が、分かるはずのない疑問に当てられて硬直していると、ヤンが呼びかけてきた。
「テーオー、置いてくぞー?」
ヤンの声ですこし現実に戻れた。まずは出来る対処をするべきだ。こいつが危険かはさておき、今の俺の状態がよろしくない。混乱しすぎて体の動かし方が分からなくなっている。一先ず、ここはヤンを呼ぶべきだ。
「た、助けてぇ」
大きく叫びたかったが、小さな声にしかならなかった。しかもすこし上ずった。しかし、その俺の声に即座に反応してくれた。二人とも。
「テオ!?どうした!何があった!」
「はい。どのような本をお探しでしょうか」
助けを呼んだら幽霊も反応した。その驚きに加え、二人の声が混じったので「今こいつ何て言った?」と思考が走った事で、俺は再び硬直した。それを察したのか、幽霊はチラリとヤンの方を見たあと俺に目を戻し、再度口をひらいた。
「テオ様、どのような本をお探しでしょうか」
幽霊は、先ほどのペンとインクを待つ姿勢から、今度は左手で右手を覆い、おなかの辺りで組む待機ポーズに変わっていた。
せっかく言い直してくれたんだけど、やっぱり理解できない。言葉の意味は分かるけれど、何を言っているのか分からない。返答待ちに入られて、考える時間を与えられた結果、俺は硬直し続ける事になった。そこにヤンが走りよってきた。
「テオ!無事か!?」
「お、おう」
なんとか応えたものの、まだ動けない。俺はヤンと幽霊を交互に見るので精一杯だ。ヤンは俺の視線の先を追う。しかし、ヤンは対象物を見つけられずにキョロキョロしている。先ほどと同じように、ヤンには見えていないようだ。
「そこに何か居るのか?」
ヤンはナイフを取り出しながら言った。
「女の幽霊が居る……」
「そうか……この辺か!ここか!こっちか?」
そう言うと、ヤンはいきなり空をナイフで突き刺し始めた。俺のいう事を信じてくれて嬉しいし、頼もしいんだけど……よく分からない相手に、いきなりナイフで攻撃するとか、ヤンはやっぱ危ない。
でもヤンのカンは結構鋭くて、ちゃんと幽霊に向かって攻撃する。しかし、幽霊は腰を曲げたり、たち位置を変えたりするだけで簡単に避ける。
「ヤン!おしいけど、全部避けられてる!」
「そうか!避けるって事は当てれば倒せるな!」
そういう事かもしれない。ヤンは何も考えないバカだけど、たまに天才だと思う。
「おしい!左いった!もっと左!」
ナイフを持って少女を追い回している絵ずらは最悪だが、相手は幽霊だしって事で、俺はヤンに指示をだしつつ応援する事にした。幽霊は危なげなく余裕でかわし続ける。しかし、そのうちに幽霊は目線が右上になって、考えてる人の顔になった。
そして次の瞬間、くるくると回りながら俺とヤンの間を横切った。遠心力で髪がバッと振られる。服も、プリーツを開きながら裾が持ち上がり、フワっと舞った。
俺はその光景に目を奪われたが、幽霊が立ち止まると同時に、起こった事に気付いて恐怖を覚えた。ヤンが消えたのだ。
幽霊は涼しげな顔で、先ほどの待機姿勢をしている。
「ヤンをどうした!」
先ほどまでは、理解できないという恐怖だったが、ヤンが消えた事で、身の危険を感じる恐怖に変わった。しかし不思議な事に、体はいつでも動ける状態に遷移した。ナイフを抜いて威嚇しつつ防御姿勢をとる。重心が落ち、幽霊の目に意識を集中した。
「テオ様、落ち着いてください。彼はそこに居ます。話がしやすいように、テオ様の視界から消させて頂いただけです」
幽霊が指し示す方を見ると、うっすらとヤンの姿が見えた。しかし、また薄くなって消えた。
ヤンは見えなくなったが、近くにまだ居るのか。一先ず安心した。だがクソッ、それではナイフは使えない。同士討ちの可能性がある。幽霊が見える俺なら攻撃を当てられる可能性もあった。しかしそれは封じられた。どうすればいい?逃げるか。戦う必要は無い。俺の声はヤンに届くのか?ヤンには俺は見えているのか?どちらにしろスキを見て逃げるのが正解か。
「テオ様、どうか落ち着いてください」
「どういう事だよ!」
「私はテオ様に本と読書しやすい環境を提供するために存在します。刃物を向けられる存在ではありません」
「それは俺が判断する。敵から言われて刃を収めるバカがどこにいるんだよ」
「テオ様、二つ御理解ください。私に敵意はありません。また、私はテオ様が見ている幻影です。現実には存在しないのです。刃物の類で刺しても意味はありません」
「ウソをつくな!ではなぜ避けたんだ!」
「私は、幻影を現実の様に見せるよう作られています。その為、幻影と現実のコリジョンが発生した場合、その結果を演算し、再現可能であれば自動的に幻影として創り出します。先程は、お見苦しい幻影をテオ様に見せるべきではないと考え、ナイフを避けました」
「誤魔化すなよ!分かるように言えよ!」
「実際に見た方が分かるかもしれません」
そう言うと幽霊はスッと近寄ってきた。俺はそれ以上近付けないよう、ナイフを両手でもって前に突き出して構える。
それで相手が止まると思った。先程まではナイフを避けていたのだ。当然ナイフを突き出していれば、刺さる前に止まるだろう。そう思った。しかし、幽霊はさらに踏み込んできて、自分からナイフに刺さった。
「え!?」
予想外の事はさらに続いた。俺は幽霊にナイフが刺さっても、霧の様に突き抜けたり霧散するものだと思っていた。先ほど机を突き抜けた小石の様に。
しかし違った。ナイフを持つ手には押しかえされる反動があり、腕ごと押し返された。幽霊の服には穴が開き、赤黒く染まっていく。そして幽霊の血がナイフをつたわってくる。血がナイフを握る指に達すると、生暖かい液体が触れる感覚があった。その感覚にビクっとしてナイフを引き抜く。しかし次に、ナイフの柄のヌルっとした感覚にハッと驚き、ナイフを放した。
「これが幻影だって……?」
自分の手から目を離し幽霊の方を見ると、幽霊の顔が苦痛に歪んでいた。
「うわ!何やってんだバカ!」
幽霊は膝から崩れ落ちて悶えだした。地面と服がどんどん血にそまっていく。
「ッ…痛ぁい…痛い…痛ィ痛ィ痛ィ痛ィ!」
「全然ダメじゃん!俺とヤンが話せる様にしてよ!なんとかするから!」
俺は、ヤンの姿を探すために顔を上げた。
「!!!!???」
そこにはヤンではなく、純白のままの服に身を包み、涼しい顔で待機姿勢をとる幽霊が居た。一瞬の硬直のあと、倒れていた幽霊を見ようと下を向く──が居ない。血まみれだった自分の手も、いつもの汚いだけの手に戻っている。
「ここまでが幻影……?」
「テオ様、御理解いただけましたでしょうか」