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街での活動 その43 残酷な現実たち

ちと長くなったけど1話にまとめた

 彫金士の技術に圧迫鋳造というものがある。


 型に銀を流し込んだ後、すぐに湯口を湿った石綿を付けたフタで塞ぐ。そうすると、熱で石綿に含まれた水が蒸気となって体積を増し、銀を型の隅々まで押し込むのだ。複雑な形状を鋳造する彫金士ならではの知恵。


 そのように、この街にも蒸気の圧力を利用する技術はあったし、お嬢様も知っていた。しかし、蒸気で機械を動かせる事を、クーが言うまで気付かなかった。お嬢様はその事に悔しがった。


「ううう、あんなに考えていたのに思いつかなかったとは、不覚ですぅ。しかも既に、既に知っていた事なのに……私には才能が無いのでしょうか……」


「お嬢様、それは違います。簡単に思えるのは後知恵ハインドサイトバイアスによるものです。知った後でなら、自分でも実現できそうに思えてしまう。ですがそれは誤解です」


「あーあるよねーそういうの。異能バトルものの弱キャラが強キャラを裏技で出し抜く展開って、なんか自分でも出来そうに思えてワクワクするもの」


 おっと、つい素がでた。クーにジト目で呆れられた。


「お嬢様は開発室室長という立場になってしまいましたので、他の研究員を正当に評価できなくてはなりません。『私でも出来る』『私ならもっと上手くできる』は禁句です」


「あらあ?クーデリンデは遠まわしに『私を褒めて』って言いたいのかしらぁ?」


 俺はクーにジト目をやり返す。


「し、師匠が凄いのは百も承知ですよ!」


「お姉様、大事な事なのですから茶化さないで下さい」


 クーは眉を潜めた上目遣いで睨み返してきた。コワイ。


「研究開発と言うと華があるように思われますが、人海戦術が多用される地味で泥臭い仕事なのですよ。基礎研究ともなれば何年も成果が出ない事はよくあります。芽の出ない研究もあたりまえなの世界なのです。たとえ本人がその研究の重要性を信じていたとしても、他の人にもキチンと評価されるという信頼なくしては心が折れてしまいます」


「実際の戦争は、物語の戦争と違うみたいな話ね。私もその気持ちはよく分かるわ。その他大勢の歩兵だって大事だもん。英雄だけじゃなく、歩兵も評価してよって思うわ」


 おっと、また素が出た。俺は言った後で反省し、両手を口に当てて『もう喋りません』と意思を示す。そして媚びた上目遣いで様子を伺う。


「お姉様、今の例えは悪くないと思いますよ。現代の知識というものは、数え切れない程の無名の英霊達が紡いできたものです。国土や国の歴史と同じ様に。どちらも忘れられがちですけどね」


「あ、姉弟子がオジ様達に好かれる理由わけが分かった気がします。さすがです……」


 オジサンをたらしこんでるみたいな褒め方されてもモニョる。クーの微妙な褒め方がお嬢様に伝染した?よろしくない。


 その時、戸がノックされて職人達が入ってきた。


「室長、裁定をお願いします!」


 大きな紙が机に広げられ、男達がそれを囲む。その後に遅れて二人の女性が現われた。一人は、カロエお嬢様の所で俺をひんむいた女使用人で、ズシズシと部屋に入ってきた。俺は咄嗟にクーの後ろに隠れて様子を伺う。もう一人の女性は見たことが無い。しかしこちらの女性は控えめな態度なので怖くない。筆記用具を手に持ち、常にメモを取る体制を取っている。


「工業デザインギルドの連中が、俺らの提示した設計ハードをことごとく無視した意匠を描いてくるんですよ!室長!なんとか言ってやって下さいよ!」


「ふん!あんたらが弱気な設計ハードをよこすからだろう?あんな意匠シロじゃロクなデザイン作れやしないよ!もっと自分らの技術で何とかしてやるって気概を見せな!」


 やっぱこのヒト怖い。


 設計ハードとは、機構の設計者が意匠設計に『このスペースは確保して』とか『この範囲で意匠して』と伝える要件仕様。でも素直に守られる事は稀らしい。今回も大胆に割り込んだ線が描かれている。


「お、落ち着いてください。論理的に話をしましょう」


 お嬢様は若干オロオロしたが、机の紙に向き合うと目を見開いて静止した。お嬢様は机に集中し、他の人はお嬢様に集中した。そして場が静まりかえった。


「だ、大体分かりました。まず締結部に関しては設計基準を守ってください。これはルールです。デザイン側は小さく隠す事ばかり考えずに、あえて締結を意匠的に見せる工夫も検討してください。しかしこちらは逆に、構造を変えれば対処可能でしょう。意匠側の意図から言えば、大胆にパーツを削除してしまってもよいかも知れません。設計しなおす必要があるため大変でしょうが、譲歩してください。こちらももう少し───」


 お嬢様は元の線の上から新たに線を描いていく。


 その間、お嬢様の裁定には誰も意を唱えない。お嬢様が貴族だからとか室長だからとか、そういう事ではない。その裁定が正しいと納得させられ、受け入れざるを得ないのだ。この時のお嬢様は凛々しくカッコイイ。女性が惚れる女性の姿かもしれない。


 裁定が終わると、職人達とデザインギルドはザワザワと退室していった。その顔には悩ましげだったり誇らしげだったりと、人により様々な表情を浮かばせていた。


 そして再び私達三人だけに───と思ったら、入り口付近の壁に腕組みをして立つオジサンが居た。ヒゲがモサモサすぎて口が見えない変なオジサン。あまり背は高くない。でも、服装と手袋から庶民でない事は一目瞭然だった。


「お、お父様?」


「コローナ、立派になったな」


「お父様ぁぁ」


 お嬢様はパタパタと走っていき、そのままの勢いで男にぶつかりながら子供みたいに抱きついた。そして、無言でおでこをゴリゴリ押し付けながら甘え続けた。男はそんなお嬢様を優しく見つめながら、頭を撫でて続ける。


 俺とクーは完全に置いてきぼり。親子の再会を邪魔する訳にもいかず、大人しく紹介されるのを待つしかなくなった。でも暇なので、横にならんだまま肩や腕をゴツゴツぶつけてじゃれ合って遊ぶ。


 お嬢様のゴリゴリが落ち着いてきたところで、男が口を開いた。


「さっき母さんとも話してきた」


 お嬢様は再び強く顔を押し付けた。


「母さんを嫌いにならないでやってくれ。アイツなりにお前の事を想った結果なんだ」


「わ、分かっています。お母様の事も愛しています。でも……辛くて……」


「そうだろう、そうだろう、ワシも分かってる」


 二人はまた無言で動かなくなった。流石に暇なので俺とクーはヒソヒソとお喋りを始めた。


「お嬢様のお母様っていうと、お嬢様に社交性を身に着けさせようとしたっていう?」


「そうですね。外で家の名を使わせないようにしたのも、お母様だったはずです。まぁその判断は正しいと思いますが」


「そうかなぁ。お嬢様にはこっちの世界の方が合ってると思うけど」


「それでもお嬢様は貴族ですからね。吊りあう男性を探すには、社交界の方が適しています」


「でもそれが合ってないんだから、無理に男なんて探す事ないじゃない。結婚なんて気にしなくても良いじゃない。今のお嬢様を見ているとそう思うよ」


ゴツッ!


 クーのジャンピング頭突き。突然頭に衝撃を受けて意識が飛びかけた。たたらを踏みながらもなんとか踏み止まったが、すこしクラクラする。


「またそんな事を言うのですか!女性にとって男性に愛されるという事は、とてもとても大事な事なのですよ!お嬢様だって気にしていない訳ないじゃないですか!」


 クーは小声で叫びながら叱ってきた。俺は頭をさすってコブがない事を確認しながら反論する。


「でもそれでも、お嬢様は富も権力もあるんだから、男を捕まえるなんて難しくないんじゃないかなぁ」


「はぁ……せっかく女性の体にしたのに何も理解して居ないのですね。ガッカリです」


「えー、そんな事いわれても……」


「イザという時に男性がその気になってくれなければ何も出来なくなる、それがどんなに不安な事か分からないのですか?女性からアプローチするのがどれほど勇気がいる事か。愛してくれる男性が居ない、それが女性にとってどれほど絶望的な事か。ちゃんと女性の立場で考えて下さいよ」


「うーん……そういうもんかなぁ……」


 実はまだよく分からない。でもお嬢様の気持ちに関しては、俺よりもクーの方が分かっていると思ったので、反論は止めた。


 お嬢様の方も、少し落ち着いたようだ。それを見計らった男が、ヒゲごしでも分かる笑顔で言う。


「さてコローナ、母さんをあれほど怒らせたという事は、よほど楽しい事をやっておるのだろう?ワシにも教えてくれ」


「ハイ!」


 お嬢様が涙を散らしながら顔を上げ、笑顔で応えた。


 あぁ、このお嬢様が残念なのはこの親父のせいか。


***


 お嬢様のお父様は、国中で様々な建物施設の構想を立てる、その筋では有名な人らしい。今度、お嬢様の入る研究所も任され、この街に来たとの事。


 動力水道についても存在は知っていた。非常に頼もしい親父さんだ。


「動力水道か。確かジョンブール人の遺跡の話で、そのようなものがあったな。じゃが、大量の鉄の管をどうやって作ったのか解明されていなかったはず。どうするつもりなのだ?」


「え、遠心鋳造というものに挑戦していきたいと思います。回転させた外枠だけの型に鉄を流し込む鋳造法です」


「ほう、その様な事が可能なのか。鉄の鋳造は、叩いて作るのの倍以上の熱が必要と聞くぞ?その様な大量の鉄を一度に溶かせるものかね」


「す、すぐには無理です。これからじっくり方法を研究していきたいと思います」


「ほうほう、これは長く楽しめそうだな。ウチの資金もジャンジャン投資してくれてよいぞ。口を出す口実にもなるからな。それはそうと、ワシはこの建物にも使われている水硬化結晶という物に興味があるのじゃが」


「は、はい、それについては別の建物で配合比を変えて試験していますので、ぜひ見てください。ツヤのある硬く美しい結晶も出来るようになってきました」


 お嬢様は父親と楽しそうに話し続けた。父と娘というより、父と息子の会話のようだ。母親が危機感を覚えるのも少し分かる気がした。


***


 でもお嬢様の父親が来たお陰で、俺とクーは安心でき、お嬢様の元を離れる事ができた。この人に任せておけば大丈夫という安心感がある人だった。


 そういえば、デベルもお嬢様の父親に相談させろと言っていたっけ。それにも納得した。


 俺とクーは少し気が抜けて、ダラダラと歩いて兵舎に戻ることにした。そして道すがら、のんびりと会話。


「それにしても前から疑問だったんだけどさ」


「テオ、なんですかいきなり」


「魔術が使えたら、技術開発って意味無くない?今日も色んな人が知識を紡いできたって言ってたけどさ、クーの生まれた時代には必要なかったんじゃないかなって思うんだよね」


「テオ、それは順序が逆です。研究を重ね、世界のことわりを学んだ結果、世界に絶望して神を呪い、魔術を生み出したのですよ」


「今日のお前の説明は分かり難いな。世の中の仕組みって知れば知るほど不安が無くなったり、楽しくなったりすると思うんだけど、なんでそれで絶望するのか分からないよ」


「やれやれですね。それはテオが熱的死のような絶望を知らないからですよ。いいでしょう、それではテオが絶望する真理というものを教えてあげます。テオは密かに練習していますが、どんなに練習しても、手からエネルギー波が出る事はありませんよ」


「!!いや、いつか一度くらいは出るかもしれないじゃんか!」


「出るわけないでしょう」


「うぅ……絶望した!夢も希望もないこの世界に絶望した!俺もっと真面目に魔術を勉強する!」


「やれやれ、ずいぶん下らない動機で魔術を志すものですね」


「でもじゃー聞くけど、お前が生み出されたのも、本が多過ぎて片付けられずに絶望したからとかだろ?それも威張れる理由じゃないと思うけどなー」


「何を言っているのですか?愛書家ビブリオフィリアにとって本が多過ぎるのは全く絶望する事ではないですよ。むしろ幸福です。しまう場所がないなら作ればいい。寝る場所を廊下に移してでも本を収集する。それが愛書家というものです」


「えー、やっぱり理解できないよ。それでなんで幻影図書という結論に至るんだよ」


「テオは初めから私と一緒だから分からないのですよ。部屋の壁の全てを本棚で埋めたい。愛書家なら誰でも思う事です。ですが、それをやると部屋の角で本棚が干渉してしまうのです。片方を奥まで差し込むとそこの本が取り出せない。しかし、前面が合わさる所で本棚を区切ると、角に無駄なスペースがどうしても発生してしまう。とある愛書家がそうした現実に絶望し、私を創り出したのです。幻影図書なら壁にめり込む形で本棚を再現できますしね。文字通り壁一面の本棚が作れます。どうです?凄いでしょう?」


 クーは俺の前に立ち塞がり、胸を張って最大級のドヤ顔をしてみせた。


 クーは想像以上にどうでもいい事が原因で生み出されていた……。

さんこうぶんけん

『彫金教室―ジュウリー制作のテクニック』ヒコ・みづの (著)

『本棚の歴史』ヘンリー ペトロスキー (著)、池田栄一 (訳)

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