出兵 その10 クー先生の馬上魔術教室
現在、ウチの隊に与えられている任務も斥候。既に単騎の斥候により、大まかな敵のラインは分かっている。そのライン際に陣取り、偵察しつつ安全圏を示す。そして、あわよくば少し押し返す。そんな任務だ。
隊は順調に進み、予定の位置に到達した。近くに居る敵兵は、単騎もしくは少数の斥候を狩る部隊だ。一応は小隊規模のウチの隊に、わざわざ手出しはしてこない。
予定地点に達した次の日からは、土木工事が始まった。その内容も、その場での戦闘を有利にするための野戦築城ではない。野営地の長期利用と、受け入れ人数の増加を見越した、衛生設備の工事だ。なんというか、俺の中で『兵士は戦うもの』という概念が崩れつつある。もともと戦う訓練なんてしてないけれど。
そんな中、俺はそこそこ兵隊っぽい働きをしていた。夜中に一人で斥候をする事になった。もちろん主体的にではなく、アヒムに使われてだけれど。
これには経緯がある。前から夜中に抜け出していたのがバレていた。それに、この間のやり取りが決定打となり、夜目が異様に利くのもアヒムに疑われて白状させられた。その結果、毎晩の斥候任務を命じられたのだった。
まぁ、その分昼間の仕事をサボれるからいいけど。もともと夜更かしは得意だし。そんな訳で、またクーと二人で馬にのってプチ遠出なのだ。
なんか今日は、俺の背中にプニプニした玉がぶら下げられた。以前の軽口を根に持っているクーの発案。揺れに合わせて、その玉が背中にムニっと当たる。うーん……コレジャナイ。これは違う。
そんな下らない事をやってしまうくらい暇な旅。しょうがないのでクーとお喋り。
「最近分かったんだけど、クーって実は凄いんだな。それでいて美しい」
「テオ、何ですか急に。感性がおかしいテオにでも、言われれば一応は嬉しく思います。ですが、そういう言葉は本人の目を見ながら言うもの…あ、石の方ですか」
ドスッ
「頭突き禁止ぃ!…んもう……いやさ、最近、俺って魔力が分かるようになったじゃん?それで、クーがどうやって動いてるのか見てるんだけど、見れば見るほどスゲーって感心させられてるんだよ」
「長年積み上げられてきた技術の結晶ですからね。ですがテオ、テオにはそれが見えるのですか?」
「厳密には目で見えてるんじゃないと思う。でも、見ながら意識を集中すると、細い線がいっぱい見える。そして、そのまた細い線に集中すると、さらにその線が何重もの魔法陣で組まれていて、それをさらに見ると…って、どこまでも続いてってヤバイ」
「それが見えてしまうテオはおかしいです。普通はボンヤリと魔力が通っているようにしか見えないはずです。テオの魔力がダニレベルだからでしょうか」
「事あるごとにダニって言うなよ…落ち込むから」
「いいえテオ、私は感心しているのです。そうですね、テオも魔術を学びましょう!」
「俺にも出来るの?」
「私は教育プログラムも組み込まれています。見えるようになったのであれば、始められるでしょう」
クーが馬の上に立ち上がり、軽快に俺の肩をまたいで前に出た。そして俺と向かい合う様にかがむ。勢い良くかがんだので、ワンピースのスソがフヮサッと浮いた。……なにげに運動神経いいなこいつ。
「魔術を使うためには、魔力の操作を練習する必要があります。両手を前に出してください」
「こう?」
俺はクーとの間に両手を出した。すると、右手をクーに両手で包む様に握られた。あたたかい。
「皮膚の感覚ではなく、魔力の感覚で見てください。魔力が偏っているのが分かりますか?」
「あ、確かに。魔力が寄ってる」
集まっているまではいかないが、他の体の部位より若干右手の魔力が濃くなっているのが分かる。
「無意識にですが、体は魔力を動かします。では、そのまま魔力を意識し続けて下さいね」
そう言うと、クーは右手から手を離し、同じように左手を握った。やはりあたたかい。そう思った時、俺は魔力がズゾゾッと動くのを感じた。
「うぉっ、動いた」
「その感覚を覚えて下さいねー」
そう言った後、クーはまた握る手を変えた。俺の魔力がまた引きずられる。そしてまたクーが握る手を変える。それが何度も繰り返された。
「では次に、自分の意思で動かしてみましょう」
クーは、俺と輪を作るように両手を繋いだ。そして片腕を持ち上げ、「はい、こっちに魔力を集めてー」と明るく声をかける。
「はい良く出来ましたー。次はこっちにー。はい次こっちー」
「お、おい。なんか、小さい子のお遊戯みたいになってないか?」
「テオ、魔力操作の初歩は、幼児向けプログラムしか無いのですよ。諦めてください。はいこっちー」
「ス、ストップ。感覚は分かった。後は自分で練習できる」
居たたまれなくなって、俺はお遊戯を中断させた。誰にも見られて居ないけれど、なんか恥ずかしい。
「そうですか。では、後は座学ですね」
クーは手綱を指さして俺に持たせると、手綱と俺の間に入ってきて前に向き直り、俺に寄りかかりながらドサッと座った。俺は反射的に、クーの腰を持って支える。
「あぁテオ、初めから私が前に座るべきでした。普通に前が見えます。それに、背もたれがあって安心感があります」
「お前が前に座るなら、俺の背中にぶら下がっているプニプニはもう片付けろよ」
「テオ、それには及びません。御ゆるりと堪能ください。それよりお勉強です」
くそう、いつかキャンと言わせてやる。
クーは空を指さした。すると、そこに巨大な本が投影された。子供向けの魔術入門書だ。そこから星座を見上げるような、クー先生の魔術教室が開催された。馬に揺られながらでも、本で勉強できてしまうのは凄い。説明書に『教育用途にも使える』と謳われていたのは、伊達ではないようだ。
遠目には、星座を指差しながらロマンチックな旅をする男女。しかし、実際は魔術の詰め込み教育中という残念な二人。まぁ俺ららしいが。
そんな、馬上の魔術教室が三夜続いた。その後、いきなり実技の時間がやって来た。敵兵を練習台にして、実際に魔術をかけてみようと、クーが言い出したのだ。
「ではテオ、その兵を錯乱状態にしてみましょう。先程の魔法陣を作り、そこから出る波動を当てるメージです」
「了解。えっとー……こう描いて、こう描いて、こう描いて…こう?」
俺は空中に、魔力で薄っすらと絵を描いた。
「テオ、出来てます。後はそれに魔力を思い切り流し込んで下さい。加減はいりません」
「フンッ…」
何か出て、見張りをしている敵兵に当たった。
「アーワーワーワーワーへぷらごぶびらぱぶキーキーキーキーキーププププププププププ」
標的にされた敵兵が、意味不明な言葉を叫びながら倒れ、クネクネバタバタ暴れだした。近くで休んでいた二人の兵士が飛び起き、状況が掴めずに目を見合わせている。
「テオ、無事成功です。おめでとうございます」
「おー。クーのお陰で出来たわ。すげーな魔術。感動した。で、この人はどうやって戻すの?」
「テオ、壊したモノは直りません。もう一度試したいならば、別の兵を使ってください」
「え?治せないの?」
「元人格のバックアップも取っていませんしね。上級者ならば、それらしく直せますが、今のテオには難しすぎます」
「え?ちょ、それ聞いてない」
「アヒムに言われてるのは『殺すな』ですし、問題ないですよ。戦場で兵士の精神が壊れるのも、よくある事です。それよりも、次に鎮静化をし、その後に眠らせてみましょう」
クーの中では、その敵兵はただの教材と化していた。そして俺も、だんだんとクーの感覚に呑まれた。
クーの説明では、人の体の裏に魂があって、体と魂の間に挟まるように、小さくて臆病な精神が生息しているのだとか。精神を操るのに重要なのはピンポイントで狙う的確さであって、魔力の量はあまり必要ない。精神操作の魔術は、魔力量は無いが感覚は鋭いという、まさに俺向きだと言うのだ。実際、すぐコツを覚えられた。
そんなこんなで、俺は人の道を踏み外しながらも、幾つかの魔術を覚えた。
ついでに、クーが普段やっている走査や幻影を見せる術も、教わりはした。しかし真似なんてできない。俺も狙った所を覗き見する程度の走査は出来た。でも、クーの走査は全方位を同時に300m。俺の見せられる幻影は一人だけ。しかも動きは付けられない。クーの幻影は、物理演算付きで視聴人数は限界が知れない。専用の魔術具とはいえ破格すぎる。
「テオ、走査や幻影は今まで通りがやるべきですね」
「初めからそのつもりだよ」
たぶん、クーも初めから自分でやるつもりだったと思う。しかし、その領域での自分のポジションを確認し合いたかったのだろう。俺が魔術を覚える事は、クーと同じ世界に入る事になるが、クーのポジショニングに影響を与える。それがクーにとっては、嬉しくもあり、不安要素でもあるという複雑な心持ちなのだ。きっと。
自分の居場所を確認して安心したがる点で、クーとアヒムは似てるなと思う。そこを下手に侵してコジらせると大変。面倒くさいなと思うが、見方によってはいじらしい。何はともあれ、クーの機嫌は損ねないほうが懸命だ。
なにせ、俺の背中にはまだプニプニがぶら下がっているのだ。
テオが少し戦えるようになりました。
でもまた動きのない話で文字数を使い過ぎた……。




