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帰郷の旅路 その8 俺の魔術師の根源

話は進まないけど文字数いったので

「はてさて、どうすりゃいいのやら」


 デベルに嘲笑メールを送ったことで少し気は晴れたが、村人達が悲嘆にくれているという現実は変わっていない。そのため共犯者としてちょっぴり責任がある気がして気持ちが悪い。


「どうもしなくて良いのでは?テオ、そもそも貴方は教会や修道会といったモノをあまり好きではないでしょう?」


「『それはそれ、これはこれ』だよ。個々の人にまで恨みを持っている訳じゃない」


 確かに俺は神様が好きじゃない。それを称える大人達も嫌い。教会なんて大嫌い。それはウチにいた豚が解体されるのを見た時から始まっている。


 俺には昔、気心知れた豚が居た。名はエーデル。俺が物心ついたころには家に居て一緒に成長した。豚は他にも居たけれど、ウチで唯一の雄の豚でなんだか俺と気があった。


 エーデルは水浴びと散歩が好きだった。ウチは豚を豚飼いのおじさんに任せていたけれど、それとは別に二人でよく散歩しにいったものだ。俺が厩舎に近付くと「オイ、今日も散歩行こうぜ」とエーデルは積極的に声をかけてきてくれる。俺も暇だったのでそれに同意するのが常だった。


 豚は犬の様に攻撃的ではなく上下関係も厳しくない。命令はあまり聞いてくれないが、こちらの意見もちゃんと尊重はしてくれる。犬や猫との関係よりも人間同士の関係に近く感じるのだ。人と一緒のものが食べられるし、新し物好きで遊び好き。そして何より、生きている事を全身で楽しむご機嫌な生き物だ。一緒にいると、こちらも世界を楽しめる気がしてくる。


 そうやって何年か一緒に過ごしたエーデルだったが、やっぱり豚なので最後はお肉にされた。吊り上げられてヒーヒー言っているところをザクリと切られ、樽の中に血を抜かれ、毛を焼いて削がれ、そしてザックザックと切り裂かれて肉の塊に化けた。


 そんな所は見たくはなかった。でも父ちゃんが「最後まで見ておくべきだ」と言ったので俺もそんな気がして付いていってしまった。見てしまった。見てしまった俺は目が回り、立っていられなくなった。頭は何も考えられなくなった。分かっていたつもりなのに訳が分からなくなり、目がチカチカして喋りかたすら忘れてしまった。


 しばらくして視界に映るものの認識が戻ってきた時にはベッドに寝かされていた。そのままボンヤリ寝ていると、父が近くに居て言った。


「豚は人が食べるために神が創りたもうたモノだ。悲しむ事はない」


 父ちゃんは言葉選びが下手だ。そんな言葉じゃ慰めにもなりやしない。


 俺は別に悲しんでいた訳じゃない。頭がおかしくなりかけていただけだ。しかしそんな頭でも認識はした。これは神の仕業なのかと。


 エーデルは豚だったけれど、俺にはそこいらの人間より世界に祝福されているように見えた。いつでも何をするでも楽しそうに見えたし、まだまだ元気で輝いていた。それが、たまたま豚に生まれてしまったというだけで、いきなり肉にされてしまう。これを不条理と呼ばずなんと言うのか。人と何が違うというのか。


 その後、教会の司祭様にも文句を言いに行った。なぜ神様は豚が殺される世界を創ったのかと。なぜそんな酷い事をするのかと。司祭様言った。


「なぜかを問うてはならない。それは人の知るところではないのだから。ただ神を信じなさい。しかしながら、家畜の命に気を配る君は正しい。聖典にもそう書いてある。その心は大切にしなさい」


 それを聞いて俺は思った。そうか、この俺の苦しみも神様が仕組んだ事なのかと。豚が殺される事だけでなく、俺が苦しむように創りやがったのも神様なのかと。


 そして俺は反逆者になった。司教様の言葉には疑問しか覚えなかった。とはいえ親からメノッキオの話───読書好きの粉挽き屋が異端審問にかけられて火炙りにされた話──は聞かされていた。俺がそうなっては母ちゃんが悲しむだろうと思い、人に話さずに一人でモヤモヤを抱え続けた。


 しかしそれから二年経ったころ、一応エーデルの件については神様と和解した。


 俺の味わった衝撃は何も特別なものじゃない。世話した子豚が解体されるなんてのは村では誰でもが味わう通過儀礼だ。ただ俺が粉挽き屋の子供だったばかりに、何年も同じ豚と一緒に過ごしてしまって、友達が居ないばかりに豚に思いいれが強くなってしまい、受けるショックが大きくなっただけ。


 粉挽き屋は他人の穀物を挽いて出るカスもせしめている。なので冬場も豚の餌に困らない。普通の家なら一匹の豚とは一年やそこらでお別れになる。春生まれの豚ならその年の秋にはお別れだ。それなのに余裕をかまして母豚や種豚を何年も維持できるのが粉挽き屋。ビバ利権商売。でもそのツケはちょっぴり大きな衝撃になって俺に回ってきた。ただそれだけだ。


 豚が食用の家畜に適しているのも納得せざるを得なかった。


 攻撃性が低く、群生動物であり、好奇心が強くて頭もよい。順応性が高くて人になつき易いし手間もかからない。何でも食べるし多産でその上さらに牛の三倍は成長が早い。そして何より美味しい。情が移りやすい意外は完璧だ。しかもそれすら成長サイクルが早いので普通はすぐ慣れる。食べられるべく創られたと言われれば、そうかもしれないと思わせられる。


 今では俺も大人と同じ様に、豚を愛しんで育て、お別れの際にはきっちりと心を切り替えられる。そしてもちろん美味しく食べている。


 エーデル自身はお肉になっちゃったけれど、エーデルの孫は今でも沢山生まれ続けて命を繋いでいるのだ。大好きだったエーデルの孫豚たちの姿を見るたびに、生物の営みを素晴らしく感じ、世界の理をちょっぴり理解できた気すらしてくる。死んでしまうは悲しいが、世界はそうして回っていると理解した。


 なるほど。エーデルは俺の血と肉になるだけでなく、精神的成長も促してくれたわけだ。当時は気付いていなかったけれど、魔力っぽい汁を始めてお漏らししたのもたぶんその時だろう。今の俺は人殺しだってなんのその。彼が居たから今の俺がある。オーケー、それは認めよう。


 それでもなお、他の動物が人間のために創られたとか、人間にはそれらを支配する権利があるだとかと言われると、俺はまだ納得がいかない。


 エーデルは人間と比べてもそんなに下らない存在ではなかった。そんな事を言っちゃうから人は傲慢になるのだ。そんな風に考えるから人間同士ですら線引きして差別しあうのだ。線を引くからその位置で揉める。そもそも世界には線なんてひかれてないのに。


 一応は人間原理主義にメリットがない訳じゃない。それは認めよう。


 世界が森に覆われていた時代には、人間の版図を広げるのにとても役に立った。森や動物に気を使っていては開拓は出来ない。そういう考え方を教えてくれなければ人間は今でも闇に怯えて生きていただろう。それについては神様ありがとうと思う。デベルみたいに修道会に嫌がらせをする輩だってそれにはきっと感謝しているはず。


 でも俺はそろそろ神様に言って欲しい。人も動物も平等に価値がない。貴様らが何をしようとどう生きようと、両生類のクソをかき集めた程の価値しかなく、神からみれば所詮はチーズにうごめく蛆虫と同じなのだと。知性があろうがなかろうが関係ない。ちょっと他を出し抜けるからといって勘違いして思いあがるなと。


 始めに神様が創りたかった世界というのは、たぶんそういう平等な世界だったのだと思う。たとえ人間が委員長として指名されたとしても、基本的にみんなは平等。俺が聖典を読んで受け取ったニュアンスはそういう世界だ。


 教会の変な教えは物語にも影響してしまっている。物語の中でケモ度が少し上がるだけですぐ理性が飛んじゃうのも、そのヒト原理主義の思い込みのせい。亜人種が差別されるのもそのせい。だいたいなんだよ亜人って。人を基準にケモノ化したなんて考えずに、ケモノは元からケモノでいいじゃんか。ケモノの側からケモ度が変わったはとなぜ考えられないんだ?さらには人とケモノの中間が人間より高潔であって何が悪いのか。ケモ度MAXで全身毛だらけの四つ足のまま人間的な理性を持つのもアリだろう。いや、それどころかケモノのままの理性で何が悪い。ケモノの世界にだってドラマはある。ちくしょう、教会の教えなんてクソクラエだ。


 今となってはそんなコジラセに加えて、神様の定めた理に逆らう魔術師である。相棒は生物ですらない。正直に打ち明けたら第二のメノッキオ間違いなし。やれやれどうしてこうなった。

参考文献

『人間と自然界―近代イギリスにおける自然観の変遷』キース トマス(著),山内 昶(翻訳)

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