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街での活動 その98 道とシステム

 予定外の事態で予定の変更はあったが、もう兵舎の隅には荷物が纏められ始め、村に戻る準備が日々進んでいる。なので俺は俺で、俺の準備として挨拶周りをしておく事にした。


 まずは報告がてら修道士のトーマスのところから。


「色々相談に乗ってくれてありがとうございました。道を踏み外していた兄も一緒に村に帰ることに成り、とりあえずは一安心です」


「ふーん、テオ君の更生させたかった人は兄さんだったんだね。それは良かった」


「まぁ私のやった事とは関係なく、勝手に帰る決心をしたんですけどね。やれやれですよ」


「ははは、でもそれが一番だよ」


「そうなんでしょうけどね」


 愚痴りに来たわけではないのに、つい愚痴ぽくなってしまう。


「はは、そう腐らない腐らない。君のやった事はみんな無駄にはなってないよ」


「何をやってたか知らないのに言われても、口だけの慰めってバレバレですよ。まぁ……気持ちは嬉しいですけど」


「別に慰めじゃないんだけどなぁ……。君みたいな子供が、家族を悪い道から救うために、真剣に考えて行動した。その行動はたとえ結果に繋がっていなくとも、見ている人の心には届いている。社会の価値観、倫理観というのは、個人のそういった行動の積み重ねで形成されるんだ。人が歩いたところが道になるってやつさ。常識というのはそうやって作られるし、少しずつ変える事も出来る。僕は君の行動が世界を少し良い方向に導いたと確信しているよ」


「なるほど」


 トーマスが見ているものが少し見えた。こういう感覚は嫌いではない。初めて魔力が見えるようになった時の様な感覚、あるいは現実と四次元的に重なった別レイヤーをかすかに覗けた様な感覚と言うべきか。幽霊を感じたように背中が少しゾワりとした。そして同時に、トーマスの言っている事が口だけの慰めではないのも理解した。だがしかし、チクリと苛立ちも感じた。


「私は誰のために行動したわけではありません。私の行いは、私が私自身のために私の意志で行ったのモノです。勝手に奪わないでください。ちょっとイラっとします」


「うーん、無神経な褒め方だったか。ごめん謝るよ」


「気持ちはありがたいのですが、私の中の何かが警戒しろと言っています。……倫理観に訴えるような話は危険信号。大抵は損をさせられている───と、そういう教えによるものかもしれません」


「ははは、手厳しいね。そんな事、誰に教わったんだい?兄さんかい?」


「えーと……ヒメルのおっちゃんから……」


 話の流れでヒメルの名前を出してしまい、少しマズったと思った。


 ヒメルは衛兵の入隊試験の時に一緒になったオッサン。入隊後も仲良くしていたが、転位陣が使われた襲撃時に裏切って出て行ってしまった。もともと襲撃に備えて潜入していたものと思われる。


 そのヒメルの採用にトーマスが絡んでいた。うちの衛兵隊隊長は街の外の人の採用を嫌う。当然、俺もヒメルも却下された。それを「こういう人こそ職に就かせないと犯罪者になってしまう」とトーマスが説得し、ヒメルも採用される事になった。でも案の定裏切られてしまったので、トーマスの立場は悪くなっていた。世の中は性善説だけでは通用しない。


「そうかーヒメルさんがねー……。君は彼とも仲が良かったんだねー……」


「あ、いや……まぁ普通に……」


「別に気を使わなくていいよ。その件では僕は君に感謝しなくてはならない立場だからね」


「感謝だなんて……私は何も……」


「いや、君のとこの隊長に言われたんだ。ヒメルさんが最低限の仕事だけして逃げ去ったのは、君が居たからだろうから感謝しておけってね。まぁつまり、ヒメルさんだけでなく君も推奨していたから反逆者としての嫌疑が薄くなったって事さ」


「出会っていたら捕まえる事になっていたでしょうしね……」


「はは、勝てるのは前程なんだ。なるほど、ヒメルさんが戦わなかったのは、心情的な理由だけでなく合理的な判断でもあったんだね。色々納得だよ」


「ヒメルさんはプロですし、合理的な理由しかないと思いますよ」


「人間というのはそんなに単純なものじゃないよ。合理的判断と非合理的判断が衝突するとつい判断が鈍ってしまう。それが人間というものさ」


「合理的判断と感情的な非合理的判断の結果が違うのは当たり前じゃないですか。そこで合理的判断の方を取れるのがプロだと思うのですが」


「うーん、君は少し勘違いをしている気がするなぁ。ただ感情に反するモノを合理的判断と呼び、正しい判断だと信仰している気がする。えーとそうだな、自己弁護も兼ねて少しその辺りの話をしようか」


 トーマスが教師モードに入ると、俺は反射的に生徒モードに入った。反抗してやるつもりだったのに……。


「合理的判断は理性的な判断でもあるし、一見すると正しいように思えるかもしれない。ただし、合理的な判断とは計量可能な一つの項目にのみ着目し、他の価値を全て切り捨てる作業だ。僕に言わせて貰えば、合理的選択肢にも注意しろと言いたいね。人として大切な何かを失う事にならないか、誰かに良い様に使われていないかとね」


 ここで俺はクスリと笑ってしまった。トーマスがちょっぴりムキになっているのが可笑しかったからだ。


「なにか変な事を言っているかい?」


「あ、いや、言っている事には納得です。お金に目がくらんで色々なモノを売り渡す人は物語にも沢山出てきますし、やっぱりそれを読むと馬鹿だなぁと思いました。ただ、トーマスさんがヒメルさんに対抗心を燃やしているように感じたのが可笑しかったというか……」


「やれやれ、僕は君のためを思って忠告しているだけなのにな。僕はヒメルさんの教えを否定している訳じゃないよ。それだけが全てではないって言いたかったんだ」


「えー、いいんですか?修道士さんが倫理感に訴える事を否定しちゃって。自分の存在を否定する事にならないですか?」


「ははは、僕の仕事は信仰の実践だから問題ないよ。それに親や宗教家でもないのに倫理観に訴える人に注意が必要なのは事実さ。経営者はもちろん、領主や王様みたいな人が言い出した時には特にね」


 さらりと宗教家を除外してきたので、俺はまた笑いそうになる。が、こらえて問う。


「やっぱそんなもんですかねぇ」


「だって領主や国王ともなれば、国のシステムを変える事が出来る立場なんだよ?国民に合理的な選択をさせながら倫理に沿う様に誘導する事も可能なんだ。いや、僕らみたいな宗教家にしてみれば、そちらが君らの本業だろうと。倫理感に訴えて人を動かすのは僕らだって出来る。君らはシステムで人を誘導する事を考えなさいと。僕らはそれが出来ない。それが出来るのは君達だけなのだから」


「はは、ギルド間の縄張り争いみたい。宗教家も大変ですねぇ」


「いやぁテオ君、これは笑い事じゃないんだよ。もし仮に領主が倫理的な事を訴えるだけで、それに沿ったシステムを作れなかったとしたら、システム上の合理的選択と倫理的選択とがズレてしまう。そうなれば人々の心はゆっくりと砕かれていくんだ。まるで臼で挽かれる麦の様にね」


 トーマスは真面目な顔で、何かをすり潰すような仕草をして見せた。


「怖がらせようったってダメです。それに粉挽き屋に悪者のイメージを付けないで下さい。差別反対です」


「はははゴメンゴメン。でも合理的選択と倫理的選択がズレた社会が危険なのは確かなんだ。例えばだけれど、親でも子供でも友人でも他の誰でもいい、そんな誰かを救うために多大な負債を抱えなければならない状況に置かれたらどうする?ちょっと頑張れば何とかなる様な負債ではなく、自分の人生を棒に振って一生奴隷として働かなければならない様なとんでもない負債だとしたら?普通の人はそんな選択を迫られたら、助ける選択をしたとしても、見捨てる選択をしたとしても、心に大きな亀裂が入り、時には壊れてしまうだろう。ま、それは極端な例だけれど、正直者が馬鹿を見る世界では人の心は徐々に壊されていくもんさ」


「システムとして仕組まれてしまうと惨劇がおきそうですねぇ……。誰か一人を貶めるのと社会丸ごと碾き臼にかけるのとでは規模が違いますし……」


「だろう?だから統治者はシステムに注力してもらって、倫理的な扇動は宗教家に任せて欲しいんだよ。そちらは僕らの方が専門家だからね」


「それはそれで我田引水の言い分の様な……。口だけで煽って便益を保証しないのは宗教家も同じじゃないですか」


「確かに、僕らには皆の生活を保証するような力はない。だが僕らには僕らにしか出来ない責任の取り方があるんだよ。倫理を説く専門家としてね」


「へぇ、例えばどうやってです?」


「自分の選択に苦しんでいる人に寄り添う事さ。理解したり、許したり、肯定したりね。自らの持つ倫理感で自分を傷つけてしまう人は救わねばならない。それは倫理を唱える者の責任だと僕は思う」


「あぁ、確かに宗教家の許しとなれば説得力はあるかも。だいぶ気が楽になるでしょうねぇ」


「だと思うよ。よかったら君も話してごらんよ。兄さんの更生のためにとやった事で、何か負い目を感じる事になってるんじゃないかい?兄さんが勝手に更生してしまったもんだから、合理的な理由がなくなって負債だけが残っちゃった───みたいな」


「え?あれ?……あ、そうか……私のイラつきはそれが原因なのか」


 トーマスに指摘されて俺は自分の中にトゲが刺さっている事に気が付いた。


 俺が余計な事をしなければ、カロエの父は破産するだけで殺されはしなかったかもしれない。少なくとも俺が黒猫団のボスを殺すハメにもなっていなかっただろう。トラウの事も気になっている。クーが指摘したとおり、更生のための仕組みなのに、それに組み込まれたトラウ自身は完全に足を洗うことが出来ない。それらは紛れもなく俺の責任であり、無かった事には出来ないものだ。


 俺が黙って考えこんでいる間、トーマスも黙って待ってくれていた。俺はゆっくり考え、ゆっくりトーマスに応えた。


「すいません、今は話すを止めておきます。やっと今自覚できたところなので、もう少しちゃんと悩んでみます」


「そっか、それが良いかもね。話す気になったらいつでもおいでよ」


「そうします」


 俺は本来の目的を忘れ、考えながらトーマスの元を後にした。

さんこう

『故郷』魯迅

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