街での活動 その92 ゲフィオン計画
なかなか進まないようで少しだけ進む物語
地形を変える魔術とは何なのだろう。壁を直す労力を惜しんで天然の防壁でも作ったのだろうか。ケイツハルトの転位能力ならそれも可能だ。
気になってしょうがないので、俺は朝っぱらから姿を消して隊を抜け出し、壁の上に登る。そこで目に入ってきたのは知らない景色だった。
「なんじゃこりゃー!」
知らない山々、知らない川、知らない森……いや違う、むしろ知っているものが何もない。見知っているのは壁から500メートルくらい先まで。そこにあからさまな段差があって、その先からは全く知らない土地。防壁を作るとかそんなチャチなものじゃない。街ごと異世界に飛ばされたみたいになってる。
想像を超えすぎていて何をされたのか分からない。俺は朝からデベルの所に突撃した。
***
「ちょっとデベルさん!何をしやがったんですか!」
「あ、お前ら。あの箱は使わないときはちゃんと閉じておけ。でないと何も送れん」
デベルはあの箱に入るサイズに折り畳んだ紙を見せながら言う。
「あぁごめんなさい。昨日水洗いして干したままでした……じゃなくて!一体どういう事?外の景色が全く違うんだけど!」
「これがゲフィオン計画だ。わが国とアンブレパーニア内の砦や町の位置を幾つか動かした」
デベルは蛇腹折りにされた地図を取り出して言った。結構大きな紙なので、端はおったまま中央だけが開かれた。俺は地理に詳しい訳ではないので、どこがどう動いたのかあまりよく分からない。でもとりあえず二つ分かった事がある。一つは今いる街がヘンピな田舎に飛ばされている事。そしてもう一つは……
「いやいやいや、国境変わってるじゃん。これ絶対に問題になるよ?」
「いや、講和時の条約は守られている。講和の際に決められた国境は砦や町が基準だ。ただそれらを動かしただけ。問題はない」
「そういう問題じゃない気がするんだけど……。騙す前程で講和に持ち込んだのバレバレじゃん。もっとマズイでしょ……」
俺の倫理観では、想像を絶する手口で想像を絶する汚いマネをしたように思える。
「はっはっは、それについても問題ない。コレは国王とは別に、お前らがこの国を護るために勝手にやった───そういう事になっている」
デベルはそう言いながら、地図の折り畳まれていた端を開く。すると見慣れた白と黒の猫のマークが出てきた。
「ちょ!勝手に何してくれちゃってんですか!」
「勝手にとは心外だな。これがお前の認めさせた徴労権と造幣権の正当な代価だ」
「あう……」
俺は助けが欲しくてクーを見る。
「盗られたはずの土地を一夜で盗み返すなんて、これは伝説の怪盗の誕生ですね」
だめだ、気に入ってしまっている。
「割譲した分以上に盗み返しちゃってる気がするんですが」
「それは仕方が無い。アンブレ側は謎の天災で町や村が減っちまったからな。国防や交易路を考えれば空白にしておくわけにもいかん。だが結局戦争に勝ったのはアンブレだ。奴らはこちらの国土を通る通行権があるし、交易も制限されていない。実質的な問題にはならない。それに土地は奪い返せても町も領民も奪われている。ここいらが良い落としどころだろう。むしろくれてやった物をわざわざ再配置してやった事に感謝して欲しいくらいだ」
実質的な問題はなくとも道義的な問題が──と言おうと思ったが止めた。デベルはデベルなりの正義で動いている。デベルは俺の心配そうな顔を見て続ける。
「アンブレは王が居なくなってしまった。調子に乗せると何をしでかすか予想がつかんのだ。少しビビらせておくくらいで丁度良い」
「そういえば王様が居ないのに攻めて来る国というのも不思議な感覚を覚えますねぇ。支配者が居ないならのんびり平和に暮らせば良いのに」
「今回のは交易路を求めての侵略だ。支配者は居なくとも経済的な求めはあるし国家という力は存在する。あるものは使われるものだ。お前らは魔術世界大戦の物語を読んだことは無いか?これはあの物語に似ている」
「ウォーロックウォー……WW1と続編のWW2ですかね。邪悪な魔術師が民衆を扇動し、他国を侵略していった結果、世界大戦に発展したという」
「それも一つの解釈ではある。だが別の解釈もある。本当に民衆が戦争を望んでいたという解釈だ。今の俺には後者の方が現実的ではないかと思える」
「そうですか?私にはいまいち想像がつきませんけど」
「あの物語の世界設定を思い出してみろ。各国が王政を廃していった後の世界だろう?侵略していった結果というが、侵略した国と戦争になった訳ではない。既に魔術的に劣る国を支配化においた後の物語だ。王が居ないにも関わらず帝国化し、それにも飽き足らず帝国同士でお互いの存亡をかけて総力戦を行うという話だ。物語の整合性を本気で求めるのもバカげた事かもしれない。だが、この物語にはきっと裏の設定がある」
デベルも物語とか読むんだ。ちょっと意外。
「深読みしすぎですよう。悪い魔術師が魔術で民衆を操って戦争をした───で説明つくじゃないですか」
「そうなのかも知れん。だがこうも考えられないか?」
デベルは机に肘をつき、身を乗り出して顔の前で手を組む。そして若干早口で語り始めた。
「魔術の進歩で生産性と輸送力が上がった。それと同時に植民地を得たことで各支配国は急速な経済発展を遂げる。しかしそれは、同時に国民の間に大きな格差を作り出した。暴力装置にモノを言わせて安価な材料を仕入れ、大量生産を行い世界中に売る。そうして成功した商人が莫大な富を得る一方、魔術による進歩で職を失う者も発生。一部の者に富が集中し、大多数のものが貧困に陥った。そういう裏の設定があったのではないかと思われる」
「そんなの今とあまり変わらないじゃないですか。今だって王族貴族が富を独占し、農民は貧しいままですよ?でも農民は戦争したいなんて思いませんですし」
「そこで王の居ない世界という設定が生きてくる。一部の者に富が集中しようとも、国を動かす発言権は貧しき者にも対等にあるとする。であるならば貧しき者達は思うのではないか?俺らにも国家の力で良い思いをさせろと。国家は我ら庶民のために富を勝ち取って来いと。格差が拡大して貧しきものが多くなった時、そうした声で国が動く。交易が盛んになれば戦争など起こらないと言うが、交易の恩恵に与れるのが少数の者で、格差を広げるものあるならば歯止めになりはしない。そうして各国はそれぞれのリヴァイアサンを戦わせる事になり……」
「作者の人そこまで考えてないと思うよ」
「真顔でなんてことを言うのですか、お姉様」
デベルは考察班の人だったようだ。
「まぁそういう見方もあるという話だ。今この国にも生産性を急に上げてしまう問題児が居るからな。物語が現実にならないように俺は楽観視はしない」
「デベルさんは本当に心配性ですねぇ。でもこれまでの事が少し理解できた気がします」
「は、それは良かった。こちらの苦労も少しは察してくれ。民衆の不満をという見えないものを相手にする苦労をな」
デベルは苦笑しながら言う。一仕事終えた後だからか、徹夜明けだからか今日は妙に饒舌だ。
「都市の運営というのは暖房の管理に似ている。部屋の温度は温度計で見ることが出来る。税収から景気が計れるようにな。だがそれだけでは人々の不満は分からない。寒いと感じるか温かいと感じるかは気温だけで決まる訳ではなく、様々な要素が影響しているのだ。例えば、湿度、気流、輻射熱の有無、床やその他接触面からの体温放出。人の年齢や性別、服装や体調によっても違う。さらには天候や外気温も重要だ。前日との比較によっても体感温度は変わる。そもそも同じ部屋の中でも温度は一定ではなといくる。それでも目に見えるのはこの温度計だけ。ついつい温度を、いや温度計の指し示す値だけに気がいってしまいがちだ」
デベルは机の上にある温度計を指で指す。
「だがそれではダメなのだ。目的は快適な室内環境を作ること。温度計の示す値を調整する事ではない。快適さに影響する様々な要因に気を配りながらも、結局最後には人の声に沿わねばならぬ。この管理がとても難しいんだ」
こいつどんだけ暖房にコダワリがあるのか。でもそういえばこの部屋は暖炉もないのに地味に温かい。俺が不思議に思って部屋の中を探ろうとすると、デベルからストップがかかる。
「おっとその管に触れるな。熱くなっているから火傷するぞ」
「これが部屋が暖かい理由?これも魔術なの?」
「いや、これは下階で沸かさせた蒸気が流れているだけだ。室内で火を焚かなくて済むし、手元のバルブで調整も出来る。とても良いシステムだ。バルブの操作で狙いの温度に合わせる作業がつい楽しくて熱中しそうになる。しかしそれではイカンのだ。俺は毎回自戒しながらバルブを回している。どうだ、お前らは寒くないか?」
デベルは手に革手袋をはめ、上機嫌でバルブに手をかける。
「私は別に……」
俺はクーの方を見た。クーが寒がっている様子は見た事がないが。
「デベル、この暖房システムの設計はコローナお嬢様ですか?」
「うむ、ダメ元で相談してみるものだな。あいつの頭もたまには役に立つ」
デベルの嬉しそうな顔に俺達は呆れる。
「やれやれ……下らない事にお嬢様を使ったものですね。得意げに自慢するところは可愛らしいのですが」
「な、何か文句あるか。問題があるなら相談してみろと言ったのはお前らだろうに」
俺とクーはお互いを見合わせながら肩をすくめてヤレヤレのポーズをとった。
***
「ところでデベルさん、この地図って他の人に見せても大丈夫?」
現在地が変わってしまった。今の俺にとっては国境が変わってしまった事よりもそちらの方が重要だ。すぐに帰って相談したい。
「先ほども言ったが、これはお前らの仕業だ。誰に見せようと俺の知った事ではない。さらに、この地図は日が昇る前にわが国とアンブレの各都市にバラ蒔き済みだ」
「デベル、グッジョブです」
クーがシリアス顔で親指を立て、デベルを賞賛する。いいのかそれで。
こうしてケッツヘンアイの名は、怪盗ごっこが好きなオチャメな女神として国中に轟いた。




