8:ホムンクルス
思いの外ぐっすりと寝入ってしまった二人は、翌日午後、遅れを取り戻さんと研究室に駆け込んだ。
昨日倒れる前に竜涎香の琥珀を作っておいた為、後は星の砂時計を錬金すれば、ホムンクルの完成まであと少し。
星の砂時計の材料『ガラスのハリネズミ二匹。星の欠片。竜涎香の琥珀』を準備し、いつも通り巨大なハリネズミの中に入れる。
巨大なハリネズミの中で、腹に色とりどりの材料を収めた小さなハリネズミが二匹、寄り添うように体を密着させている姿は、何故だか直視しているのが辛い。
マグダレンはそのままいつも通りハリネズミに手を添えると、小さな声で詠唱を始める。
その間にクリスとハロルドは、隣のバスルームに空の器を運び込み、先程大急ぎで造った生命の水で満たしたバスタブの中に沈める。
ハロルドからすると、どうにも知った顔が水の中に沈んでいる光景は、心をぎゅっと締め付けられる複雑なもの。
どうにも耐えかねたハロルドは研究室にとって帰ると、既に星の砂時計は完成していた。
ぺたりと机の前に座り込むマグダレンの手の中には、何の変哲も無い小さな砂時計が握られている。
「もう一息。これを器と一緒にバスタブに入れて」
マグダレンは白衣の裾を払いながら立ち上がると、ハロルドの手に砂時計を落とす。
不思議な事に、この砂時計は逆さにしても砂が落ちない。
ホムンクルの材料となる以外どう言う用途に使うのか、普通に考えればただ高級な材料で作っただけの粗悪品にしか考えられない物。
バスタブに砂時計を沈めると、マグダレンは静かに詠唱を始める。
砂時計の砂がゆっくりと動き出すと、生命の水にほんのりと波紋が広がる。
マグダレンが詠唱をしている間、ゆっくりとゆっくりと砂が落ち、詠唱を止めると砂も止まる。
どうやら砂が最後まで落ちきるまで詠唱をしないといけないらしい。
マグダレンは休み休み詠唱を続け、半日程続けると砂も残り僅かとなった。
マグダレンが詠唱をしている間特にやる事も無かったハロルドは、クリスと一緒に他の納品物の梱包や乳鉢で素材を砕く作業などをこし時間を潰していた。
最後の砂が落ちると同時に、生命の水が眩く光り輝く。
バスルームから放たれる光に、ハロルドは目を丸くしバスルームに飛び込む。
すると、全ての輝きが空の器に吸収され、虹色だった生命の水はただの透明な水となっていた。
ふぅっとため息をついたマグダレンがふらりとよろけると、後ろに居たハロルドがしっかりと体を支える。
マグダレンは目を丸くするハロルドを振り返りながら、ふにゃりと力無く笑い『出来たよ』と一言呟いた。
ハロルドが視線を上げると、空の器はしっかりと目を開け起き上がると、その鳶色の瞳でハロルドを見上げていた。
「おはようございます、マスター」
空の器――完成した当主のホムンクルスは、張りのある声でそう告げると、布でぐるぐる巻きにされた体でゆっくりと立ち上がる。
すかさずクリスがタオルといくつかの服を持って駆け込んで来ると、ホムンクルスは男らしく柔らかい笑みを浮かべた。
完成したホムンクルスは既に自分が造られた理由を知っていた。
材料の一部にハロルドの髪を使用した事により、既にある程度知識と人格が出来上がった状態で生まれた様だ。
用意してあった貴族の普段着の様な気軽な服を纏い、ソファに座るホムンクルスはまさに人間そのものだった。
あまり表情が変わらず話せないクリスは、その見た目こそ人間らしいとは言えるが、やはりどこか彫刻の様な人形の様な印象を受ける。
それに比べ、出来上がったばかりの当主のホムンクルスは、影武者として本人と寸分違わぬ様マグダレンが力を込めたお陰で、表情は豊かで会話も問題ない。
クリスがホムンクルスの輝かしい金糸の髪を梳かすと、ホムンクルスはどこか申し訳なさそうな笑みでクリスの手から櫛を受け取る。
そんな人間らしいホムンクルスの体を隣でチェックしていたマグダレンが、満足そうに顔を上げると、ふと、ソファの反対側に座っているハロルドと目が合った。
ハロルドは紅茶のカップを持ったまま、眉間にシワを寄せ胡乱な表情で正面のホムンクルスを見つめていた。
「そんな難しい顔してどうしたの? 傷も綻びも歪みも無い完璧な出来よ?」
「いや、当主のこんな人の良さそうな顔を見たのは初めてで、どうにも衝撃を受け止めきれてないだけだ……。自分の状況を理解してるって事は、影武者として動く時は当主そっくりな性格を演じれるんだよな? 流石にすぐに影武者として動かしはしないが、このままだと即バレるぞ?」
ハロルドが訝しげに身を乗り出すと、ホムンクルスは『その点は問題ありません』と、柔らかい笑みを浮かべ返事をする。
どうやらその笑みも口調も当主とは似ていないらしく、ハロルドはより一層顔を顰めると、ため息をつき目頭をぐっぐと押さえ項垂れた。
ハロルドは衝撃を受けているようだが、クリスは表情こそ変わりないが、どことなく嬉しそうだ。
クリスは今までこの世界に一体しか居ないホムンクルスだった。
新たにホムンクルスが出来たのは弟が出来た様な感覚なのか、せっせと当主のホムンクルスの髪を乾かすときっちりとセットし、しばし眺めたかと思うと今度はスカーフをあれこれいじり始める始末。
その光景には流石のハロルドも微笑ましそうに目元を緩めているが、当主のホムンクルスがクリスに柔らかな笑みを向けると、途端に眉を顰める。
「マリー、突然無理を言って悪かったな。今日このままホムンクルスを連れて帰っても良いか? すぐに当主の行動を覚えさせたい」
ハロルドはくいっと紅茶を飲み干すと、真剣な顔でマグダレンを見据える。
マグダレンとしても依頼品が出来上がったのだから連れ帰って貰って問題は無い。
すぐに返事をすると、ホムンクルスにフードを被せる。
依頼の内容的に、当主と同じ顔のホムンクルスを人目に晒すわけにもいかない。
ハロルドは再びマグダレンに礼を言い、依頼料は屋敷に連れ帰ってから改めてと約束し、ホムンクルスを連れて行った。
少しだけ淋しそうに手を振るクリスの手を握り締め、マグダレンは溜まっていた他の依頼をこなすべく、笑顔でクリスの手を引き作業机に向き直った。