7:琥珀作り
どうにか体力が回復したハロルドは、マグダレンを担ぎ、元来た道を戻る。
坑道を出る寸前でマグダレンが『もしかしたら竜が襲って来るかも知れないと』と判断し、坑道の出口で夜を待った。
坑道の入り口から少し下った場所に繋いでいた馬は、当初不思議そうに坑道の出口に座り込む二人を見上げていたが、時間が経と、二人の事など気にせず気ままに草を食みだした
ようやく坑道を脱出した二人は静かに馬車に乗り込むと、来た時と同じ様に森の中を進んで行く。
森を抜ける様にと小さな馬車を準備しておいて正解だった。宵闇に紛れ木々の間を進めば、空からでも見つけるのは困難だろう。
時間が経ったからかもう竜の咆哮は聞えない。はたしてまだ巣にいるのかは定かでは無いが、二人は一刻も早くこの場を立ち去りたかった。
マグダレンが魔力を振り絞りファルテアを馬に使う。
本来なら森の中で一晩明かしたい所なのだが、せめて禁域を出るまでは走り続けたかった。
馬には申し訳ないが、当面走り続けて貰うしかない。
その後は少し休憩を挟みつつ、二人は四日かけどうにか王都まで戻って来た。
王都に来て最初に二人がやった事は、この近辺で竜の被害が出ていないかの情報集め。
王都に来るまでの間、一回も竜の姿を見る事は無かったが、もしかしたら怒り狂った竜が街に下りたかもしれないと思ったかだら。
しかし、禁域周辺はおろか、王都周辺も隣国にも竜の被害があったと言う報告は一切無かった。
ようやく人心地ついた二人は、ぼろぼろの体を引き摺り研究室に戻って来た。
研究室の扉を開けるといつも通りクリスが出迎えてくれる。
研究室内は大きく変わっていなかったが、出かける前壁に固定されていたはずのキラービーの姿が消えた代わりに、顔以外布でくるりと包まれた男が部屋の奥に眠るように座り込んでいた。
「空の器、が出来たのか……? あれだな、ちょっと気持ちが悪いな」
荷物をクリスに渡しつつ、ハロルドは部屋の奥の男――出来上がった空の器を見つめ絶句する。
空の器は完璧で、見た目はただ眠っている様にしか見えないが、やはり全く生気を感じない。
モデルとなった本人を知っているハロルドからすると、まだ命の宿っていない作成途中の器はどこか気味が悪く映る。
「すぐに作るから、ハロルドはそこで休んでて」
空の器の前にしゃがみ込み、不思議そうに眺めていたハロルドだったが、マグダレンのその言葉に振り返る。
マグダレンは帰って来たばかりだと言うのに、すぐさま白衣を羽織り竜涎香を握り締め、作業に取り掛かっていた。
どうにもマグダレンには学院の白衣が多き過ぎるらしく、歩く度に裾を引き摺っている。
白衣の袖を大きく腕まくりし、持ち帰った竜涎香をほんのひと欠片だけ砕くと、一番小さなハリネズミに入れる。
マグダレンの手の上でハリネズミがぎゅっと体を丸めると、徐々に徐々にハリネズミの中の竜涎香が赤く染まり、部屋中に焦げる様な匂いが充満し始めた。
ハリネズミの中で徐々に赤みを帯びる竜涎香は、小さく弾け火花を散らす。
元々ほんのひと欠片だった竜涎香が更にぎゅっと小さくまとまり始めると、徐々に赤みが引いて行く。
しばらくするとハリネズミの腹にころんと、ほんのりと濁りのある黄色い飴の様な物体が、軽い音を立てて転がった。
マグダレンが言っていた通り、見つかるかも分からない竜涎香の琥珀を探すより、竜涎香を圧縮し自身で琥珀を作成した方が断然早かった。
ものの数分であっさりと作業を終えたマグダレンだったが、ハリネズミを机の上に降ろした瞬間、魔力を使い果たしその場に崩れる様に倒れこんでしまった。
*
マグダレンが目を覚ますと、どうにも見慣れた教員舎の天井が眼前に広がっていた。
しばしぼんやりと天井に走る梁を眺めていたが、ゆっくりと身動ぎし体を起す。
するとベッド脇の三人掛けソファで、ハロルドが肘掛に足を乗せ窮屈そうに眠っていた。
マグダレンはぼんやりとしたまま、一先ず窓の外に視線を向けると、どうやら日も暮れ大分時間が経ってしまったらしく、街の明かりもぽつぽつとしか見えない。
マグダレンは何度か手を握ったり開いたりを繰り返し、床の感触を確かめるようにそうっと足をつき立ち上がる。
立ち上がれば少しふらついたものの、問題なく歩けた。
マグダレンはふらふらと進み、机の上に置いてあったハリネズミの中から姫苺を一つ摘み上げると、ぽいっと口に放り込む。
以前、一口で無理なく頬張れる甘い苺が食べたいと、マグダレンが品種改良して育てた姫苺は、今じわじわと貴族令嬢の間で広まりつつある人気商品だ。
「まだ夜中だ」
姫苺をゆっくりと頬張りながら、一人掛けソファにどさりと座り込むと、ハロルドが目を閉じたままぽつりと呟く。
そのままハロルドは伸びをすると、ごろりと寝返りをうち寝そべったままマグダレンに視線を向けた。
「ハロルドが運んでくれたの? ありがとう、ごめんね。……お腹空いた」
マグダレンはハリネズミからもう一粒姫苺を取り頬張る。
ゆっくりと贅沢に時間をかけ姫苺を租借するマグダレンを眺めていたハロルドは、ソファに座りな直すと、机の下で寝ていたハリネズミを持ち上げる。
ハリネズミの中にはサンドイッチが入れられていた。
「錬金で使うハリネズミを、食料保管に使うのはどうかと思うんだが……」
ハロルドはサンドイッチを取り出しながら愚痴をこぼす。
石や肉片などを入れたのを見ていたので、どうにも抵抗があるようだ。
聞くところによると、どうやらセレストルがこのサンドイッチと姫苺を持って来たらしい。
マグダレンが倒れてすぐ研究室に顔を出したセレストルは、ハロルドにマグダレンを教員舎に運ぶ様お願いし、自分は食料を取りに行ったとの事。
マグダレンはハロルドからサンドイッチを受け取ると、ハロルドの話に耳を傾けながら遠慮無く頬張る。
サンドイッチはスモークサーモンとクリームチーズをもっちりとしたベーグルに挟んだもので、マグダレンがしっかりと両手で掴まないといけない程大きい。
用意したのがセレストルだけあって、マグダレンの好みを良く押さえた物で、自然と笑みが零れる。
ふとマグダレンが顔を上げれば、いつの間にやら話し終わったハロルドが、ゆったりと半分だけソファに横になりながら笑みを浮か、べマグダレンを見つめていた。
「ちっちゃい口を必死に開けて、本当美味そうに食うよな」
「だって美味しいんだもん。一口食べる? あ、ナイフとフォーク必要?」
すぐ近くにあった引き出しを開けながら、マグダレンはもぐもぐと美味しそうに頬張り続ける。
一瞬、ハロルドはなぜサンドイッチにナイフとフォークが必要なのだろうと疑問に思ったが、へブリーズ山脈への道中、マグダレンは常にハロルドの食事姿を楽しそうに眺めていた。
きっとまたそれが見たいか、または本気でハロルドはナイフとフォークを使ってサンドイッチを食べると思っているのか。
どちらにせよ、マグダレンは以前ハロルドの口にターキーサンドを詰め込んだ事をすっかり忘れているらしい。
「俺は良いから、好きなだけ食べてもっとでかくなれ」
にやっと口角を上げ笑うハロルドを、マグダレンはじっとりと睨み付けるも、すぐにつんっと顔を背けリスの様にもくもくとサンドイッチを食べ進める。
その間ハロルドは姫苺を一つ摘まみ口に放り込んだ。
蜜か何かをかけてあるのかとさえ疑ってしまう程甘く濃厚な姫苺にびっくりしつつも、その瑞々しさについまた手を伸ばしては、口の中に放り込んでいく。
「ねぇハロルド。この依頼が終わってもまた素材採取付き合ってくれる?」
その声にハロルドは視線だけマグダレンに向けると、マグダレンは相変わらずそっぽを向いたままサンドイッチを頬張っている。
だが、さらりとした真っ直ぐな黒髪の間から覗くマグダレンの頬は、照れているのかまだ怒っているのか、少しばかり赤く染まっていた。
「今回は長期休みを取ったから自由に動き回れたが、普段は全く身動き取れないからな。難しいかも知れない。……何だ? もしかして淋しいのか? それとも惚れたか?」
マグダレンは小さく『ふんっ』と鼻を鳴らし、また無言でサンドイッチを頬張る。
ハロルドはさっきより些か頬張るペースが速くなったマグダレンを眺めつつ、くすくすと小さく笑いながら再び姫苺を口に投げ込む。
「たまになら手伝ってやるよ。さすがに、また竜の巣に忍び込むのはごめんだけどな」
鼻を鳴らし自信に溢れた笑みでハロルドがそう呟けば、マグダレンもつられるようにふにゃりと笑う。
しばらくすると食べ終わったマグダレンが、欠伸をすると器用に体を丸め一人掛けソファに寝そべってしまった。
「……おい。寝るならベッドで寝ろよ」
「依頼主様、しかも公爵家のハロルド・ヴァレンタイン様をソファで寝かせるわけにいかないでしょ……。私はここで寝るぅ……」
マグダレンはもごもごと体を丸め直すと、そのまますぐ静かに寝息を立て始めた。
ハロルドは小さく舌打ちをすると、マグダレンをベッドに運ぼうと体を持ち上げる。
しかし、マグダレンはしっかりとソファの肘掛けを掴み放そうとしない。
体を揺すりどうにか手を放させようとするも一向に放す気配はなく、ハロルドは再び舌打ちをしマグダレンをソファに下ろす。
そしてベッドから持って来た上掛けを掛けてやり、満足そうにマグダレンの頭を一撫ですると、自分も三人掛けのソファに横になり目を閉じた。