16:真実
夜の森に響き渡るのは草をかき分け走る音と、荒い息使いだけ。
走り続けるルドヴィックも勿論辛いが、抱きかかえられているマグダレンも、振動で舌を噛まない様に必死にルドヴィックの首にしがみついている。
途中何度か野犬に遭遇したが、ルドヴィックの統括騎士団長と言う肩書きは伊達じゃ無かった。
剣を抜くこと無く野犬の間を走り抜けながら、飛び掛かって来たやつだけ足で蹴散らし踏み越えた。
空が白んで来るとようやく森を抜ける事が出来た。
廃墟の一部は森に飲み込まれ、唯一営業している宿屋の周りだけある程度整えてある状態。
ルドヴィックはマグダレンを下ろすと膝に手をつき肩で息をする。
限界以上の力を使い走り続けたルドヴィックは、もう気力だけで立っている様な物だ。
「ルド、あれ……」
マグダレンはルドヴィックの額の汗をドレスの裾で拭うと、宿屋から少し離れた場所にある廃屋を指差す。
それは何の違和感も無い、他の廃屋の何ら代わり映えしない物だったが、半分崩れた扉の前に、きらりと光る物が落ちている。
ゆっくりとルドヴィックとマグダレンがその光る物に近付くと、それはあの蝶の羽根の欠片だった。
「マリー!」
「えっ? っ……!」
羽根の欠片を拾い上げようとマグダレンが身を屈めた瞬間、叫び声を上げたルドヴィックに押し飛ばされた。
草と廃材の中に押し飛ばされたマグダレンは、一瞬痛みに呻き声を漏らすも、後ろから聞こえて来た甲高い金属音に顔を跳ね上げる。
廃屋の前では右目の上から血を流したルドヴィックが、廃屋から体を半分乗り出した男の剣を押さえ付けていた。
「ルドっ!」
マグダレンは慌てて立ち上がると、セレストルと同じ様に足元にぼんやりと発光する法陣を描く。
しかし、すぐに男の剣をいなしたルドヴィックがそれを手で制すると、そのままマグダレンの所まで飛び退き、何故か剣を腰にしまってしまった。
「……何してんだか知らないけど、相手を確認してから斬りかかれよ。クソ兄貴が」
ドレスの裾を切り裂いたマグダレンが、ルドヴィックを止血しようと必死に背伸びをすると、ルドヴィックは斬りかかって来た男から目を反らさず忌々しそうに顔を歪めた。
マグダレンはルドヴィックのその言葉に廃屋の方に視線を移すと、そこにはホムンクルスと瓜二つの男――王太子グレースが剣を片手に扉の前に立っていた。
状況的に蝶を破壊したのはグレースと見て間違いないだろう。
蝶を破壊したのは追跡に気付いたからだろうが、では何故追跡に気付きつつもここに残っていたのか。
マグダレンが何か言おうと口を開きかけた時、グレースの後ろから一人の女が顔を覗かせた。
艶やかな亜麻色の髪と大きく何処までも深く透き通った青い瞳。
どうにも廃屋に居るはずも無さそうな豪華な臙脂色のドレスを身に纏った美しい女が、眉を下げ心配そうにグレースの腕にしがみついている。
その二人の姿を見た瞬間、マグダレンの頭上から小さな舌打ちが聞こえた。
「グルテリッジのセレーナ姫……。まさかクソ兄貴、グルテリッジから攫って――」
「煩い! 俺達はもうこんな状態に耐えられないんだ!」
突如声を荒げたグレースは、腕にしがみついていたセレーナをそっと廃屋の中に押すと、忌々しそうに剣を地面に突き刺す。
行方不明になっていた二人が、何故揃って廃屋なんかに。
マグダレンは困惑の表情を浮かべると、説明を乞う様にルドヴィックの顔を見上げた。
「もう俺達は国なんかどうでも良い。こんな戦争の事しか考えてない……俺達の事を祝福してくれない国なんてどうでも……。俺達はここでは無い、どこか遠くで二人だけで生きて行くと決めたんだ!」
しきりに不安げに顔を覗かせるセレーナを片手で廃屋内に押しつつ、グレースは鬼気迫る表情で言い放った。
一瞬、その言葉の意味が分からず呆けていたマグダレンだったが、ぽつりぽつりと自身の肩に落ちて来たルドヴィックの血を見て我に返った。
「ルド! 血が……――」
仰ぎ見たルドヴィックの顔は、怒りと失望、その他の負の感情を一緒くたにした様な、今までマグダレンが見た事も無い様なもので、マグダレンは言葉を失ってしまった。
しかし、すぐにマグダレンの視線に気付いたルドヴィックは、苦しそうに少し表情を和らげると、腰を屈めマグダレンの持つドレスの切れ端に顔を近付ける。
「こんな怪我舐めときゃ治るよ。帰ろうマリー……。王太子は死んだ。城にもグルテリッジにも報告する事が山積みだ……」
ルドヴィックは力無くそう呟くと、不安そうな顔で固まっているマグダレンを抱き上げる。
急激に近くなったルドヴィックの顔を覗き込むと、ルドヴィックは不自然な程グレースから目を背けようとしていた。
ルドヴィックとグレースとセレーナ。
マグダレンは三人の顔を順番に確認して行き、ようやく先程のグレースとルドヴィックの言葉を理解した。
しかし、理解したと同時に、マグダレンは竜が襲い来るかの様な爆発的な速さで怒りに体が支配された。
虚ろな笑みを浮かべ自身を抱き上げているルドヴィックの腕を強引に振り払い地面に降り立つと、マグダレンは何事かと目を丸くするグレースとセレーナに向かって歩き出す。
そしてグレースの目の前に立つや、思い切りその腹を殴りつけた。
「あんたは最初から、女と駆け落ちする為にホムンクルスを作らせたってわけ!? あんたの身を案じてすぐ行動してくれた弟に嘘までついて!?」
殴ったのが非力なマグダレンとは言え、骨に守られていない腹を殴られればそれなりに痛みもある。
殴られた腹を抱え二、三歩下がった場所で蹲ったグレースに駆け寄ったセレーナは、グレースの背中をさすりながらマグダレンを睨み付けた。
「何をするの貴女!」
「それはこっちの台詞よ! 揃いも揃って自分の事しか考えれない王族なんて……どっちの国も滅んでしまった方が良いかもね! いえ、こっちにはセレス兄が居るし、すぐにでも滅ぼす事も出来わね!」
マグダレンは真っ向から文句を言うとセレーナを黙らせた。
一度堰を切ってしまうともう自分にも止められない。
マグダレンは更に一歩二人に近付くと更に言葉を続けた。
「あんた達自分の立場分かってんの!? あんた達が居なくなったせいで、明日から何人の人が死ぬ事になると思ってるの!? 祝福してくれない国が嫌い? どうでも良いですって? その国を変えるのがあんたの仕事じゃないの! 自分の責務すら放棄する様な半端者で世間知らずのあんた達なんか、駆け落ちしたって一ヶ月も生きて行けないわよ! あんた達がぬくぬくと駆け落ち計画立ててる間に私達がどれだけ苦労したと思ってるの!? 徹夜して竜の巣に潜り込んで、投獄されて攫われて竜に襲われて川に落ちて廃材処理させられて! あんた達が愛を語り合ってる間、どれだけの人があんた達の為に人生を無駄にして動いたと思ってるのよ! あんた達なんかこうやって誰かに助けて貰わないと生きて行けない癖に、何を偉そうな事を言ってるのよ!!」
「マリー……」
我に返ったルドヴィックがマグダレンを抱え上げ二人の側から引き離すも、マグダレンはまだ言い足りないのかばたばたと手足をばたつかせて抵抗する。
徐々に怒りの路線がズレ始めたが、激しい感情の波はマグダレンにも止められない。
この一ヶ月足らずの間に起こった事全て、今目の前で抱き合ってる二人の為だったのかと思うと、余りにも収まりがつかない。
思い返せば理不尽な事が多く、身に覚えの無い事で投獄され攫われもした。
気付いたら涙が溢れ返り、視界が歪んで何も見えない。
「離してよルド! もう嫌なの! 何でこんな奴のせいで私が居場所を失わないといけないの!? どうしたら良いの!? なんで……私はただ、静かに研究してただけなのに……! 私だけじゃない、ルドだって兄様達だって……なんで……なんでよぉ……」
「ごめん、ごめんなマリー……」
マグダレンはルドヴィックにしがみつきながら、言葉にならない思いを吐き出す様に泣き出した。
マグダレンのそのあまりにも悲痛な泣き方に、グレースとセリーナが困惑の表情を浮かべ、初めて二人から近付いて来た。
「……近付かないでくれ」
しかし、冷ややかに落とされたルドヴィックの言葉を受けると、二人とも捨てられた子犬の様な表情でその場に縫い止められた。
二人が立ち止まったのを確認したルドヴィックは、マグダレンの頭を数回撫でた後、小さく『ティリーズ』を唱える。
すると、マグダレンは少しだけ抵抗したものの、ルドヴィックの胸に力無く寄りかかると、小さな寝息を立て始めた。
「俺もこの国は好きじゃないが、今の戦況下で自分の生まれ持った立場を投げ捨てる様な愚かな事はしない。戦って戦って戦って、最後まで戦って見届けてから死ぬ。この国は今の代で終わらせよう。もうお前の事は兄とも王族とも思わない。マリーが言う様に、好きな場所で勝手に野垂れ死ぬがいい」
ルドヴィックは悲痛に顔を歪ませるグレースにそう言い放つと、一切視線を合わせる事無く、マグダレンを抱えその場を後にした。





