1:制作依頼
ハリネズミを模した硝子の容器の中で、蒼と緑の煙が絶え間なく湧き出しては消える。
いや、よく見れば消えているのでは無く、不思議と混ざる事の無いその二つの煙は、極々小さな砂の粒と成り小さな音を立てハリネズミの腹に貯まっていく。
マグダレンは執筆途中の魔導書を片手に、ハリネズミの針に刺さる管を一本だけ引き抜くと、またすぐに別の管を差し込む。
すると、先程までは蒼と緑の煙だったのが、今度はオレンジと緑の煙に変わった。
ハリネズミの中では、相変わらず何事も無かったかの様にちりちりと音を立て砂粒が貯まっていく。
マグダレンの研究室の机の上は今、そんなハリネズミが所狭しと並んでいる。
順調に増えていく砂粒をしばし眺めていたマグダレンは、再び魔導書に視線を落とすと、ブルーブラックのインクでさらさらと続きを書き記していく。
ここまではいつもと何ら変わりは無い穏やかな日常だったが、その日常を打ち砕くように突如廊下がにわかに騒がしくなった。
ここ、王立エルミネス学院は、格式高く国中から優秀な人材を集める伝統ある名門校。
入学条件に年齢制限は無く、エルミネス学院を卒業しただけで国の主要機関への採用や、もし在学中に実績を残せば爵位を貰える事もある為、毎年入学希望者は後を絶たない。
しかし、周囲に多少賢いと褒められた位の成績では入学する事は到底叶わない、この国一番の超難関校だ。
その為、日々自分を高める事に意欲的な生徒達は皆、マグダレンの様に静かに研究室に引きこもる為、廊下で話し声がする所か人の気配など全くない。
したがって、この様に廊下が騒がしくなる事などまずあり得ないのだ。
不思議に思ったマグダレンが書きかけの魔導書を再び閉じると、マグダレンの隣で他のハリネズミの準備をしていた青年が、すぐさま魔導書とインクを取り上げ棚にしまう。
すると、それとほぼ同時に扉が数回ノックされ一人の男が入って来た。
その男は学院の人間では無いが、マグダレンの知り合いでも無かった。
入って来た男は貴族の訪問着の様な、比較的楽な服装をしているが、その所作は流麗で、剣を構えている訳でも無いのに隙が無い不思議な雰囲気を持っている。
マグダレンは微笑みつつ男をやんわりと観察して見る。
砂色をした真っ直ぐな髪は柔らかそうなその色に反して剛毛な様で、少し長めの襟足は詰め襟に当たり針金の様に外側に向け弧を描いている。
長めの前髪を横に流し、その隙間から覗く鳶色の瞳で、机の上に整然と並べられたハリネズミ達を見て絶句していた。
世間一般的に言うのならば男は大層女性が好みそうな顔立ちをしている。思い返せば先程廊下から聞こえて来た沸き立つような声は、女性のものばかりだった気がする。
男はしばし絶句していたが、すぐさま気を取り直しマグダレンに視線を向け軽く会釈した。
「ヴァレンタイン公爵家より参りました、ハロルドと申します。貴女が魔術錬金のマグダレン博士で……?」
使者のハロルドはマグダレンとその隣に立つ青年、そしてその後ろのハリネズミの群れに順番に視線を流し、どうにも不思議そうに小首を傾げた。
机の横に置かれた箱から大量の手紙を取り出し一通ずつ内容を確認し出す青年を横目に、マグダレンは椅子からひょいっと飛び降りハロルドに駆け寄ると、スカートの端を持ち上げ丁寧に一礼する。
「はじめましてハロルド様。お迎えにも上がらず申し訳ございませんでした。ここ数日、研究に没頭していたので訪問の手紙を確認しておりませんでした……。こんな容姿をしていますが、私がマグダレンでございます。ホムンクルスですので言葉は話せませんがこちらは助手のクリスです。すぐに準備致しますので少しお待ち下さい」
マグダレンが顔を上げ隣の青年、クリスに視線を向けると、クリスは一週間前に届いた手紙の山からハロルドの前が記された手紙を取り上げ、マグダレン振って見せた。
マグダレンとクリスの噂は嫌でも耳に入ってくるし、今実際に会って自己紹介も受けたが、それでもハロルドは不思議そうにマグダレンを見下ろしたまま言葉を失っている。
次々と新たに大小様々な新しい魔術を次々生み出しては魔導書を作り、更に魔術と錬金術を融合させ、今まで不可能だった物を錬成する魔術錬金の先駆者、マグダレン博士。
そして長い間、錬成方法が判明しながら誰も錬成する事が出来なかったホムンクルスを、助手が欲しいと言う理由でいとも簡単に錬成した人物。
近年そんな噂が国内外に飛び交い学院の一研究者と言う立場のマグダレンだが、、その偉業に反した面白い呼び名がある。
マグダレンは、その愛らしい見た目から学生や同じ研究者仲間達からは『幼女博士』と呼ばれている。
ハロルドはそんな事前情報を頭の中で何度か反復すると、再び目の前のマグダレンとクリスに視線を落とす。
六歳と言う最年少の若さで入学し、今年正式に学院の研究者になったマグダレンは確かに十八歳だったはず。
だが、目の前に居るマグダレンはまさに幼女博士。
本人も先程『こんな容姿で』と言っていた通り、どう見ても十歳かそこらにしか見えない姿をしている。
そして噂に名高いホムンクルスのクリスは、長い睫に柔らかそうな髪質、肌も髪も雪の如く白く、人の姿をしているが到底人とは思えない浮世離れした雰囲気を持っている。
どこまでも深く透き通った青い瞳で見つめられれば、心の底までも見透かされてるのではないかとさえ錯覚してしまいそうになる。
ホムンクルスであるクリスは勿論だが、マグダレン自身も作り物の様な艶やかな黒髪と深いエメラルドの瞳をしており、ソファに散乱していた本を忙しなく片付ける様は、クリスとマグダレンどちらがホムンクルスかと聞かれたら答えに窮する程。
マグダレンは、胸の前で抱き抱えても両手が付かない程大きな本を何冊か持ち上げると、よろよろと覚束ない足取りで本棚に立て掛けてあったはしごを一段一段上る。
その危なっかしい姿にたまらずハロルドは駆け出すと、半ば奪うようにマグダレンの手から本を取り上げ棚に戻す。
先程までハロルドは、ハリネズミとマグダレンに気を取られていて気付かなかったが、ここマグダレンの研究室は気圧される程の本に囲まれていた。
まず、入り口のある壁以外の壁は全て、床から天井までぴったりと本棚で埋め尽くされている。
入ってすぐ正面にはアルコーヴがあり、一応そこは避けるように本棚を配置してある。
アルコーヴにある、申し訳程度の小窓と、天井に一つだけ付いた小さなシャンデリアだけがこの部屋の光源の様で、昼間でも少し薄暗く感じる。
ハリネズミ達が管をつけたまま歩いて机から降りて行くのをハロルドがぼんやりと目で追っていると、いつの間にか散らかっていた本はすっかり片付き、革張りの重厚なソファが顔を出していた。
マグダレンに促されたハロルドが大人しくソファに腰掛けると、すぐさまクリスがお茶を出す。
クリスの煎れた紅茶は、茶葉自体の香りは少し弱いが、紅茶に入れたジャムがそれをカバーし香り高い物となっていた。
「やっと片付いた。あ、もう挨拶も済んだしハロルドも普段通りで良いわよ? それ、絶対地じゃ無いでしょ。私の事は好きに呼んでね。でも博士は嫌」
ソファに座るやそんな事を口走るマグダレンに、ハロルドは危うく紅茶を吹き出しそうになる。
ハロルドはカップをソーサーに戻し口元を手の甲で拭いながら顔を上げると、マグダレンは特に気にした様子も無く、机に置かれたハロルドの手紙と何枚かの書類に視線を落としていた。
ソファに足をくの字に曲げて鳶足座りをするマグダレンは、書類から目を反らすとめいっぱい両手を伸ばし紅茶を手に取る。
どうもマグダレンの一つ一つの仕草が辿々しく、ハロルドは見ていて不安になってくる。
「あー……じゃあマリーと呼ばせて貰おうか。今日はうちの当主そっくりのホムンクルスの作成依頼に来た。どうにも最近当主の周りが焦臭くて、念には念をとの事らしい。金はいくらでも出す。すぐにでもホムンクルスが欲しい」
色々とマグダレンに言いたい事はあったが、ハロルドは一先ず用件だけ告げると胸ポケットから肖像画を二枚取り出す。
一枚は胸から上を描いた物、もう一枚は全身を描いた物だ。
マグダレンとクリスが並んで肖像画に視線を落とす。
すると揃って一瞬ハロルドの顔を見たと思ったらまた肖像画に視線を戻し、見比べる様に何度も顔を上げ下げする。
「ん? あぁ似てるだろ? それは俺の兄だからな」
ハロルドの言葉にマグダレンとクリスは揃って口を開け、納得したとばかりに大きく頷く。
ホムンクルスの性格は制作者に似るのだろうか。
そう疑問に思う程二人の息はぴったりで、ハロルドもついつい口が開いたままになってしまう。
しばし納得していたマグダレンだったが、突如思い出した様に動き出したかと思うと、小声で何か呟きながら手元の書類に視線を走らせチェックを入れていく。
準備してあった書類は材料の在庫を記載してある物。
ハロルドが遠巻きにマグダレンの手元を見ると、チェックした箇所の内何個かは在庫がゼロと表記されていた。
「材料の件だが、不足分があれば揃うまで協力して来いと当主から言われている。その、俺も昔小耳に挟んだ位しか知らないが、ホムンクルスの材料ってあれだろ? 男の……その……」
ハロルドはもごもごと言い淀むと、そのまま顔を赤く染め視線を窓の外に向けてしまった。
そんなハロルドの様子を小首を傾げ眺めていたマグダレンだったが、一般的に伝わっているホムンクルスの材料を思い浮かべた瞬間、顔を真っ赤に染め上げ勢い良く立ち上がる。
「違う! 違うから! あの材料じゃないから! 私は魔術錬金で作るから全く違う材料だからっ! 変な知識だけ入れてこないでよ!」
一般的に言われているホムンクルスの造り方は、まず人の精液を四十日かけて発酵させる事から始まる。
ハロルドはその事を言っているのだと理解したマグダレンは、真っ赤な顔で両手を振りながら思い切り否定する。
それでようやく視線を戻したハロルドは、心底安心した様に微笑んだ。
どうにも微妙な空気を引き摺ったまま二人はしばし沈黙していたが、マグダレンが赤い顔のまま無言で材料の一覧をハロルドに差し出す。
それとほぼ同時に、クリスが一冊の魔導書を広げ、書類と並べて置いた。
気を取り直したマグダレンは、広げた魔導書を指差しながら順次説明していく。
マグダレンのホムンクルスは、錬金した三つの魔導具を更に錬金して造られる。
魔導書にもしっかりとその三つ『生命の水』『空の器』『星の砂時計』が図解付きで書き記されていた。
生命の水の材料は『夜光草の朝露、時告鳥の体毛、各種薬草』
空の器の材料は『生きたキラービーの腹、人の一部、鉄入り岩塩、色石、適当な肉、各種薬草』
星の砂時計の材料は『ガラスのハリネズミ二匹、星の欠片、竜涎香の琥珀』
想像以上に材料が多く、更にハロルドはその殆どの物は聞いた事も無い。
ハロルドは眉間に皺を寄せながら、在庫表と魔導書を見比べていく。
魔導書に記されている各種薬草の細かな内容は分からないが、ここに記載されていて在庫が足りないのは『夜光草の朝露』と『竜涎香の琥珀』それから『生きたキラービーの腹』の三つ。
ハロルドが部屋に入った時、ハリネズミの中で造られていた砂粒がこの中の一つ、星の欠片だと言う。
星の欠片は強力な気付け剤の材料にもなるらしく、他の依頼の為大量作成中だったらしいが、ホムンクルスの材料として使うにはまだ少し足りないらしい。
そして、材料集めを手伝うと言ったハロルドだが、この中で唯一分かるのはキラービーのみだった。
「感情の無い全くの人形を造るなら砂時計はいらないけど、当主の影武者を造るのが目的なら全部揃えておいた方が良いかもしれない。キラービーは面倒臭いからオズウェル兄様にお願いするとして、朝露と琥珀は採りに行かなきゃ。琥珀はほんの欠片で良いけど、朝露は大量に必要よ」
ハロルドは事前に仕入れていたマグダレンの情報を再び思い出す。
確か一番上の兄オズウェルは騎士団に所属。そしてマグダレンの双子の兄セレストルは、学部は違えどマグダレンと同じくエルミネス学院の博士。そして弟ノールは今年、単身他国に留学したと聞く。
見事に頼もしい男兄弟に囲まれているマグダレン。
さすがにキラービーを生け捕りにするなど一筋縄では行かない事、正直マグダレンの兄オズウェルがそれをやってくれるのならハロルドとしては願ったり叶ったりだ。
ハロルドがそんな事を考えていると、向かいに座るマグダレンは、いつの間にかびっしりとスケジュールが書き込まれた手帳を広げていた。
マグダレンは手帳を覗き込んだまましばらく俯いていたが、一度だけ頷き顔を上げる。
「うん、他の依頼はどうにかなりそう! すぐにでも出掛けられるよ! 行こう!」
元気に立ち上がったマグダレンは突然そう声を上げると、目を丸くするハロルドの腕をとる。
しかし、ハロルドはその勢いで盛大に紅茶をこぼしてしまった。