08. 警視庁潜入②
明智昴は警視庁へと足を運んでいた。以前から捜査協力をしている中村警部から、偽札事件に関わる情報が集まったと報せがあったのだ。偽札の真贋鑑定が上手く行かなかった以上、手がかりはこれ以外にないのが実情だ。
「すいません。中村警部と約束をしているのですが」
何度も来た刑事部の居室を訪れると、いつもと様相が違った。何やら部屋中が散らかっており、職員全員で片づけをしている。おまけに何か生臭さと言うか、悪臭がする。
どうしたものかと考えていると、男性職員が近づいてきた。
「ああ、明智さんですか。すいません、酷い散らかり様で」
「何かあったのですか?」
「えっと鳩がですね、突然飛び込んできまして。追い払うのに一苦労しました。書類や物品を滅茶苦茶にした上、糞尿まで置いて行ったんです。おかげで昼休みがパアですよ」
職員のげっそりした顔を見て、昴は苦笑いを浮かべた。よく見るとマスクと雑巾、バケツを運んで、必死に掃除している姿が見受けられる。
「ご、ご苦労様です。それで中村警部は今どちらに?」
「警部は今席を外しているんですよ。なんか慌てて出て行ったみたいで、でもすぐに戻ると思います。警部のデスクでお待ちください」
「? はい、分かりました」
約束していたはずだが、急な仕事でも入ったのだろうか。警察の仕事に詳しいわけではないが、ここ最近風当たりが厳しいというのは知っている。連日の二十人殻の犯行によって、警察は新聞社に『無能』だの『給料泥棒』だのと書かれているのだ。警部が多忙であることは想像に難くない。
「……ん?」
中村警部のデスクに近寄った所で、定食が並べられていることに気付いた。
「昼食が並べられているみたいなんですけど……これは?」
「ああ、警部が頼んでいたみたいなんです。困っちゃいますよね。頼んでること忘れてたみたいで、私が建て替えたんですよ」
職員はハハハと笑うが、昴は違和感を覚えた。中村警部とはこの時間に約束を取り付けており、ついでに昼食を共にする予定だったのだ。
だがやって来てみれば彼は急用で席を外し、一人勝手に昼食を用意している。雑で忘れっぽい性格なら分かるが、中村警部はそのあたり真面目な性格のはず。
「鳩が飛び込んできたと仰いましたが、その時のことを具体的に教えて頂けませんか?」
「? ええ、かまいませんよ。あの窓からですね、飛び込んできまして……白い鳩でしたね。そして部屋中を荒らし回って逃げて行った、というわけです」
昴は指さされた窓を見た。確かにこの部分だけ窓が半開きになっている。
「他の窓は全部閉まっているのに、なぜここだけ開いていたのですか?」
「それは……ああ! 出前に来た店員が開けたんですよ。今日は肌寒いぐらいなのに汗びっしょりで、アイツが居なけりゃこんな事にはならなかったのになあ」
昴は並べられた定食、職員が掃除している様を眺めた。騒ぎの中心は中村警部のデスクとは正反対だ。鳩が乱入したとしたら、周囲の目がこちらに向くことはまずない。
小さな違和感が、確かな疑いへと昇華し始めていた。
「すぐに……今すぐに、ここに来ていた人物を捕えてください!」
昴は響き渡るような声で職員へ告げた。
「え? な、なぜです?」
「ここに来てその人物は何かをした。おろらく盗みを働いたはずです! 急いで!」
「わ、分かりました!」
昴は素早く警部のデスクを調べた。雑多な書類が目に止まるが、これは違うだろう。引き出しを開けるが、同じく雑貨や書類の束があるだけだ。何度かここに来た経験はあるが、重要なものがデスクにあるとは思えない。
ハッとなった昴は背後を振り返る。警部は刑事部が扱う資料室等の鍵を、一手に管理していたのを思い出したのだ。
壁に掛けられた複数の鍵束を眺めると、一か所だけ持ち去られている鍵があった。
「証拠品管理室の鍵がない! 犯人はここに居るはず! この部屋はどこにあるのですか!?」
「え、と……三階の奥の部屋がそうです!」
廊下に出て館内配置図を確認した昴は、急ぎ目的の部屋へと移動しようとする。
するとそこで構内スピーカーが鳴り始めた。
『職員二告グ。庁舎内ニ賊ガ侵入シテイル可能性アリ。白ノ作業服ニ岡持チヲ所持スル者ガ居レバ、即座ニ拘束スベシ。繰リ返ス。庁舎内ニ――』
スピーカーから流れた放送に、昴は度肝を抜かれた。
「何をやっているのですか!? これでは犯人に捜索していることがバレてしまう!! そもそも今も同じ服装をしているとは限らないのですよ!?」
怒号に近い指摘を聞き、職員達の顔が青ざめる。
今から管理室まで走ってもおそらく間に合わない。変装していればみすみす逃がすことになってしまう。
どうすれば庁舎内から逃がさず、賊を捕えられるだろうか。
それにまず、敵の探している目標は何なのか。
昴は賊の目的に一つだけ心当たりを見つけ、焦燥感を募らせた。