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天才詐欺師と魔術探偵  作者: カツ丼王
第一章 帝都東京
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03. 明智探偵事務所

 帝都の市民達が世相を知ろうと思えば、まずは新聞を読むというのが当時では常識だった。現代でも新聞は有効なメディアとして活用されているが、テレビがなくラジオ放送も一九二五年に開始されたばかりの当時では、新聞社の持つ影響力は破格だったと言わざるを得ない。


 各新聞社がこぞって取り上げたのは、ある大盗賊と名探偵の熾烈な争いについての記事だった。神出鬼没、変幻自在、喜劇の王なんて呼び名を与えられた二十人殻という謎の怪盗。片や才色兼備、頭脳明晰などと持て囃された明智昴という名の女性探偵。警察を巻き込んだ両者の戦いは、不況の波にあった帝都において恰好の娯楽だった。


 記者達は何か記事になるようなことはないかと、連日のように明智探偵事務所に取材を申し込む有様だ。当の彼女はそれに嫌気が差し、建物全体に魔術障壁を張る始末。


 そんな要塞と化した事務所にて、昴はゆったりとした座椅子に腰かけ、窓から差し込む陽気を背にくつろいでいた。


「甘くなれ、甘くなれ、ほっぺが蕩けちゃうくらい甘々になれ」


 奇妙な鼻歌を口ずさみつつ、大量の砂糖をコーヒーへと投下する。胸やけしかねないそのカップを片手に、昴は戸棚に仕舞ったキャラメルやら板チョコレイトやらの山を、デスクに並べ立てる。


 名探偵明智昴には、他の追随を許さない甘党という一面があった。居室の戸棚には夥しい量のお菓子が並べられており、まるで日本橋に居を構える三越デパートのようである。


「中途半端な時間になっちゃったし、お昼ご飯も兼ねて栄養補給しなきゃね」


 言い訳がましい独り言を述べ、目の前の糖分に目を輝かせる。新聞記事に載った空前絶後の麗人というキャッチフレーズからは想像もできないほど、無邪気な笑顔を浮かべていた。


 彼女がキャラメルの包みに触れようとすると、下の階から誰かが駆けあがって来る音が聞こえてきた。


「ご、ごめんなさい、昴さん。遅れてしまいました」


 ドアから勢いよく飛び込んできたのは、昴の助手を務める西条由佳里だった。ここまで走って来たらしい彼女は、粗い呼吸を宥めようと胸に手を置く。


「別に急がなくても良かったのに。あ、お昼がまだならあなたも食べる? 少しだけなら分けてあげなくもないわ」


 そう言って昴は由佳里へと板チョコを差し出した。


「ああ!? またお菓子ばっかり食べてる! どうして昴さんはまともな食事を摂ろうとしないんですか!? ちゃんとご飯とか、お肉とか、お野菜とかを食べてください! 病気になっても知りませんよ!?」


 机に積まれた菓子を見て、由佳里は声を上げた。彼女はこの事務所で昴と寝食を共にし、バイトの時以外では掃除・洗濯・炊事をこなす家政婦として働いている。毎日の献立を考える以上、昴の糖分制御も由佳里の仕事だった。


 不味い所を見られたと思った昴は、何とか弁で逃げ切ろうと考える。


「そ、そんな怒らなくても良いじゃない。ほら、好きなものを食べないっていうのも、精神衛生上あまりよろしくないと思うの……」

「駄目です。全部没収です」

「そ、そんな!」


 勝負は一瞬で決まり、お菓子の山は全て棚に戻された。


 食べる気満々だった昴は殺風景なデスクを眺め、しょんぼりしてしまう。家主であるはずの昴であるが、こういった家庭的な事に関しては由佳里に敵わない。


 すると事務所の周りに張り巡らせた結界が来客を告げた。昴と由佳里以外の人間が敷地内に踏み入れば、虫の知らせのようにして伝わる仕組みだ。


「どうやら、例のお客様がいらっしゃったみたい。由佳里、お迎えしてくれる」


 昴が目配せすると由佳里は玄関の方へと降りて行った。


 二、三分すると奇術学校の校長たる立花が杖をついて姿を現した。


「済まない。少し遅れたようだ」


 山高帽子を取った立花はフッと息をつき、由佳里の勧めるままに応接用の椅子に腰かけた。


「お久しぶりです、立花校長。わざわざご足労頂いてありがとうございます」

「随分と他人行儀になったものだな。一年前までは教鞭を振っていたというのに、こんな事務所を持つ身分になるとは驚きだ」


 席を立って礼を述べると、立花は感慨深げな感想を漏らした。彼女と立花の関係はかつての教え子と指導者。つまり昴は奇術学校の卒業生だった。


「私なんてまだまだ弱輩の身です。早くあなたのように完成された魔術師になりたいと精進する毎日です」

「フン、世辞は要らん。お前は才覚を秘めていた。それが正しく開花しただけだ」


 立花との再会を懐かしみたい所だったが、以前と変わりない厳格な雰囲気にやや気後れしてしまう。


 無駄話が嫌いな彼の性分を思い出した昴は、早速本題に入ることにした。


「それで依頼していた件はどうなりましたか?」

「ああ、偽札鑑定の結果か。これだ」


 昴が言うと立花は茶封筒を手渡した。封筒の中にあった書類には『指定された一円札紙幣の真贋鑑定を行い、結果その全てが本物だと判明』と記載されていた。


「貴様が『偽札』であると断定した十二枚の一円札だが、蒼銀研究所(そうぎんけんきゅうじょ)は全て『本物』であるという検査結果を示した。残念だったな」


 立花の感情の籠らない無機質な声に、昴は苦笑いを浮かべた。


 帝都の一円札に偽札が混じっていると聞かされた昴は、少し前から調査を進めていた。その過程で偽札の疑いのある紙幣を割り出し、魔術分析の可能な蒼銀研究所と呼ばれる機関に鑑定を依頼していたのである。


「全部『本物』ですか。偽物だと思ったんですけどね」


 予想とは真逆の結果を見て、昴は落胆を隠せなかった。


「私が依頼した話で悪いが、偽札が存在しているかどうかは、実際のところ誰も分かっていない。雲を掴むような話だ。落胆する必要は皆無だろう」

「そうですね。でも結構自信があったんですよ。これで偽物だと裏が取れたら、一気に解決に近づくはずだったのに」


 悔しげな表情の昴だが、一方の立花は腑に落ちないといった様子である。


「むしろ私が疑問なのはそこだ。貴様はどうやってこの十二枚の一円札が『偽札』だと判断したのだ? その理由を聞きたい」


 立花の疑問を受けて、昴は渋い表情を浮かべた。偽札を割り出した方法について語るのは簡単だが、それには一抹の不安もある。なにより突き付けられた鑑定結果を考えれば、まだ表に出すべき情報ではないかもしれない。


「あの、すいませんが、お教えするわけにはいかないんです。少なくとも偽札が存在すると公になるまでは、立花校長でも。そういう約束なのです」


「ほう、名探偵秘蔵の情報源があるということか。面白い」


 バツが悪そうに返答する昴に対し、立花はそれ以上追及しなかった。


 ホッと胸を撫で下ろして書類の束を読み通していると、偽札の件とは全く別のモノが混じっていることに気が付いた。どうも何かのリストのようである。


「立花さん……これは?」

「それは貴様がご執心の怪盗――二十人殻についての調査結果だ。少し興味があったのと、昔の教え子にエールを送ろうと思った次第だ」


 中身を見ると、それは百人以上の人物の名前や所属などがまとめられた一覧だった。


「は、はあ。どうもありがとうございます」


 鬼教官という印象だった立花の予想外の行動に、昴は目を丸くする。人間味の薄い怪物というイメージだったが、思いのほか人の子だったのかと反省した。


「二十人殻がこれまで関与したと思われている事件を洗い出し、実行し得る能力を持つ人間全てをピックアップした。分かっていると思うが、全員が魔術師だ」

「これは私以外の人間が見ても構いませんか?」


 好きにしろと立花から了承を得た昴は、リストの一部を脇で控えていた由佳里に渡す。


 おずおずとそれを受け取り、中身を見た由佳里は感嘆の声を漏らした。


「ええと、陸軍の魔術諜報部員、こっちは蒼銀研究所の所長、奇術学校の専任講師に内務大臣の秘書兼警護担当。……凄い人達ばかりですね」

「仕方ないわ。二十人殻が魔術師であることは明らかだし、警察だけでなく同胞を出し抜く知恵まで持っている。そりゃあ実力も折り紙つきよ」


 昴が何の気なしにそう言うと、立花は眉間に皺を寄せた。


「フン、貴様が出張るまで警察に協力した魔術師は、例外なく一泡ふかされることになった。我が校の卒業生がそれに含まれていたとなると、私が看過できないのは自明の理だ」

「……あ、だから昴さんに白羽の矢が立ったというわけだったんですね」

「そんな所ね。私もまだ逮捕までは漕ぎ付けてないけど」


 余計な責任まで乗っかっていると再認識した昴は溜息をつく。


 彼女が対二十人殻の最終兵器として指名された経緯は置いておくとして、興味深いのはこの容疑者リストである。リストには公表されていない機関だけでなく、奇術学校に通う学生までが調査対象に含まれていた。


「これは全てお一人で作ったのですか?」

「いや、潔白が保証されている術者何人かに協力を仰ぎ、最後に私がまとめたのだ。面白いことに、私と貴様の名前も発見できるぞ」


 言われた通りリストを探すと、明智昴と立花蒼月の名前も載っていた。二十人殻と日夜戦っているのに、容疑者扱いを受けるというのは何とも皮肉な話だ。


「あくまでも能力的に二十人殻として活動可能か評価しただけだ。誰もお前があの馬鹿げた盗賊とは思っていない。術者としての腕前が認められたと思えば良い」

「もちろんです。つい先日も、文字通り火花を散らして頑張ったんですから」


 ひとまずは一角の魔術師であると判断されたのだと喜ぶことにしよう。そう結論し、ざっと目を通し切った書類の束を助手である由佳里へと回す。


「話は済んだな。私はこの辺りで失礼する」


 用件をすべて済ませたらしい立花は杖を支えに立ち上がった。


 下まで送ろうかと動くも手で制され、昴と由佳里は謝辞を述べて立花を見送る。


 彼が居なくなった所で、二人はホッとして息を吐いた。


「すごい威圧感ですね、立花校長。あんな人の下でやっていけるかなあ」


 奇術学校への入学を控えている由佳里は、待ち受ける試練に戦々恐々といった様子である。


「大丈夫よ。直接指導することはないし、目を付けられなければ関わることは少ないわ。色々と捜査にも加わったりするみたいだし、多忙なのよあの人は」

「そうなんですか。偽札事件は分かりますけど、怪盗騒ぎまで取り扱うものなんですね」


 手元の容疑者リストを眺め、感心したような声を漏らす。


 彼女の言う通り美術品怪盗というのは話題性に富むが、凶悪事件かというと疑問が残る。死傷者はおらず、盗んだ美術品は例外なく持ち主へと送り付けられているのである。おかげで二十人殻は犯罪者ではあるが、帝都に彼を糾弾する者はほとんどいないという状況だ。


 しかしそんな義賊のような振る舞いは、彼の一面に過ぎないと昴は知っていた。


「二十人殻は美術品を盗む怪盗だと考えられているけど、実はそれだけじゃないのよ」

「え? そうなんですか?」


 由佳里の疑問に対し、首を縦に振る。


 警察と魔術機関の上層部しか知らない話であるが、聞くところによると二十人殻は裏社会でフィクサーのような活動を行っているらしい。盗品だけでなく武器や麻薬、とにかく裏社会で好まれそうな物品の流通に便宜を図り、非合法な取引で利益を得ているという噂だ。中には有名作品の贋作を作るなど、詐欺行為にまで手を出しているとのこと。


「彼が活動を始めたのは一年以上前。盗品を売り捌いている業者を逮捕して、名前が出たのが始まりよ。二十人殻っていうのは、正体を偽るためのペンネームのようなものよ」

「じゃあ凶悪犯だったんですね、この人。見えないところで悪いことするなんて」


 そこで由佳里は何か疑問を抱いたらしく、首を傾げてしまう。 


「ならどうして、予告怪盗なんて目立つことをやり始めたんでしょう? わざわざ正体を隠して悪事を働いていたのなら、おかしくないですか?」

「それは……」


 由佳里の純粋な疑問に対し、昴は答えを持ち合わせていなかった。フィクサーとして活動していた人物が、突如怪盗などという表舞台に躍り出たその理由。以前から彼女も考えを巡らせていたものの、依然不明のままである。


「怪盗をしなければならない理由があった、ということでしょうか?」

「さあ? でもそれは逮捕すればわかることよ」


 答えの出そうにない問題に時間をかけるべきではない。二十人殻との決着はひとまず後に回し、今は偽札事件に力を割くべきだろう。


 来客と積もる疑問に疲れを感じた昴は、戸棚のお菓子に手を付けようと考えた。ほんの一口二口であれば、さしもの由佳里も許してくれるだろう。何より昼食を摂っていないため、空腹がピークに達しようとしている。


 由佳里が書類と睨めっこしているのを尻目に、昴は戸棚へと足を忍ばせる。


「――ああ!?」


 棚の板チョコレイトに触れた瞬間、背後からの声に心臓が飛び出しそうになる。


「な、何!? ひ、一口ぐらい良いじゃない!? お腹ペコペコなの! お願い!」


 チョコレイトを背中に隠し、怒られるのを覚悟して振り返る。


 だが視線の先にいた由佳里は書類を見て固まっていた。何かあったのだろうか?


「どうかしたの? そんな鳩が豆鉄砲食らったような顔をして」


 ハッと我に返った後、由佳里は平静を取り戻した。


「あ、いえ、何でもないです。奇術学校の学生まで容疑者リストに名前が挙がっていて……少し驚いてしました」


 何でもないと言うが、様子を見るに驚き過ぎではないかと思う。自分の入学する学校に怪盗がいるかもしれないと知れば、やはり困惑するものなのだろうか。


「安心しなさい。偽札事件も怪盗も全て私が解決させるわ。あなたは自分に自信を持って、奇術学校の門を潜りなさい。大丈夫よ、由佳里には才能が有るわ」

「そ、そうでしょうか? さっきの鑑定結果だって……」

「それは気にする必要はないわ。私が今後も調べるから、安心して」

「……はい、分かりました」


 元気づけるものの力なく返事をする由佳里。


 その姿を見て昴は少々心配になってしまう。どうにも彼女は普段から自信に欠けているように思える。礼儀正しく心優しいのはもちろん結構だが、もっと強気というか積極的になっても良いものだろうに。


 偽造紙幣の件だって、彼女が居なければ捜査の糸口だって掴めなかったのだから。


 昴がそんなこと考えていると、由佳里は邪念を振り払うように頭を振っていつものような笑顔を見せた。


「あの、お昼にしましょう。私ご飯作りますから」


 家政婦たる使命を思い出したらしく、由佳里は袖をまくり始めた。どうやらいつもの調子が戻って来たらしい。


「じゃあ私も何か手伝おうかしら」

「いえ、お気持ちだけで十分です。私の仕事ですし。だいたい昴さん、この手のこと苦手ですよね? あと隠したチョコを戸棚に戻して下さい」

「あ、はい。分かりました」


 はっきりと申し出を断られた昴は、昼食の完成を待つことにした。


 お菓子を頬張ることも禁止されたため、仕方なくさきほどのリストを眺める。


 由佳里が驚いていた通り、奇術学校の学生も何人か名前が上っていた。かつての母校に宿敵が在籍しているというのも面白い話ではある。


 だが所詮は学生。優秀とはいっても可能性は薄いだろう。


 台所からの香ばしい匂いを待ち焦がれながら、さしもの名探偵もそんな程度にしか、この時考えていなかった。

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