23. 呪いの言葉
暗闇がダンスホールを一層黒く染め上げるのを無視し、飛鳥はその場から弾け飛んだ。
「!?」
手負いだった彼の、余りにも予想を超えた突撃に一同が虚を突かれる。
飛鳥は万力のように固く握りこんだ拳を、自傷する程の勢いで霧へと叩きこんだ。爆撃を思わせる轟音が響き、その衝撃は完全な遮蔽を誇っていた立花の盾をわずかに綻ばせた。
拳から血が吹き散り、骨の軋みがはっきりと聞こえる中、飛鳥はなおも咆哮を轟かせて第二撃、第三撃と連撃を左拳から放つ。わずかに打撃点をずらすことで鉄の防御を少しずつ瓦解させ、同時にのたうち回るような狂人の如き叫びが木霊する。
「ぬう!? 貴様!?」
自壊することを物ともしない彼を見て、立花は初めて当惑を示す。
だがそれも無理からぬことだった。腕と掌から鮮血が散り、激痛に叫び声を上げながら、獣のように攻撃を繰り返す様は、もはや知性を持ち合わせているかも怪しかったからだ。
皮膚下の骨が見え隠れするほど強烈な拳打を打ち払うため、立花は再度呪いの奔流を放つために術を組みなおす。先ほど彼を沈黙させた、至近距離からの呪術攻撃だ。
打撃の間隙、息をつくことすらままならない刹那、両者の間に隔たりが生まれる。一秒にも満たぬ間に立花を包んだ闇が圧縮し、連撃を続けていた飛鳥へと襲い掛かる。
対して飛鳥は足掻くように、もう片方の手を立花へと伸ばす。
次の瞬間、嵐は飛鳥を吹き飛ばした。まるで焼き直した映像のようだった。
「――!!」
途端、口から血が零れた。胸郭に痛みが走る。
鈍痛の正体に立花はすぐに理解が及んだ。
口元の血を拭い、壁に叩きつけた飛鳥を睨みつける。
「どうやら手癖の悪さを失念していたようだ」
せり上がってきた血を吐き捨て、先の攻防を仔細に脳裏に甦らせる。
彼は濁流に屠られる寸前、連撃とは逆手の袖から何かを発射したのである。
「袖口銃か。間諜が用いる暗器を使うとは、いよいよもって魔術師離れしているな」
その正体は、世界大戦時に米国海軍が用いたとされる暗器だった。呪いを盾から矛へと転じたわずかな隙に、手首に忍ばせていた三十八口径の小型拳銃を撃ち放ったのである。本来は相手に押し付けて発射する機構だが、彼は任意に撃てるよう改造を施しているらしかった。
そしてもう一つ不可解な事実がある。
立花が睨み付けた視線の先。血反吐を口から零し、片目が潰れ、腕が逆を向いた飛鳥の姿があった。鳶マントは完全に削り取られ、下に着ていた学生服にも出血が確認できる。
まさに疲労困憊とも言える惨状。
しかし彼は当然と言わんばかりに直立し、立花を両眼で捉えている。
「貴様……一体、どんな術式を行使した?」
これまでの戦闘経験から逸脱する敵を前にして、焦りが生まれる。
飛鳥が抱え込んだ負傷は人間一人の活動を止めるのに十分なものだった。常人ならすでに数度は死んでいるだろうし、如何な魔術師であっても戦える状態ではない。体中の筋肉が断裂し、それを支える骨は各所粉砕され、酸素を供給する血液すらも失われている。
魔道でも覆せないはずの事象を、しかし飛鳥は物ともしていない。
「どうした? 帝都一の魔術師が何を焦っている? 俺のような三流を前に恐れおののくなんて、その名が泣くぞ?」
「戯言を。背水の陣を敷いただけの、開き直りのようなものだろう。奇術には必ずタネも仕掛けも存在するのだ」
「その通り。だがアンタに、俺の嘘が見透かせるか?」
彼が折れ曲がった腕を無理やり押し戻すと、切れた神経が行き交ったかのように、死んだはずの五指が動いた。治癒魔術の類だろうか。しかし錬金術の秘薬に代表されるような魔具は見当たらない上、昴の扱う仙術や元素魔術でもないことも分かる。
いやそんなものは問題ではない。
どんな術式だろうと霧の呪いを食らえば崩壊は免れない。次は油断せず適切に対処し、如何な魔術であろうと破壊するのみである。
懐から依代の和紙を取り出し、黒の呪いを纏ったカラスの式神を創り出す。両手の指の数を超えた下僕が闇から飛び出し、飛鳥目がけて襲い掛かった。
飛鳥は脱力したように俯き、大きく息を吐いた。
「我ガ肉体ハ躍動シ、我ガ業ハ条理ヲ捻ジ曲ゲル」
呟いた後、飛来した黒カラスの群れを、隠し持っていた手投げナイフにて迎え撃った。刃を血で濡れた指の間に挟み、曲芸師を思わせるような正確さで投擲する。
式神にナイフの切っ先が突き刺さった途端、正体不明の力でカラスは溶け墜ちた。
「む!?」
立花わずかな間に動揺を押し殺し、構わず式神の連打を撃ち込む。
対して飛鳥はベルトに忍ばせた手投げナイフを次々に構え、放ち、二十三十と向かってくる黒ガラスの群れを撃ち落とす。捌き損ねた個体は手刀で貫き、同様に手の内で消失させた。
短い間に繰り広げられた攻防が、しばし小休止を見せる。
「……」
一連のやり取りを注意深く観察した立花は、ようやくタネを見破った。
魔術を瓦解させる呪い。それを打ち崩したとなると、正体は全く同種の術に他ならない、という単純な結論に至ったのだ。
「呪術。瀕死の体を駆動させる原動力は、己に向けた呪いであったか」
立花の言葉に静観していた少女達は息を呑む。
中でも一足早く理解したらしい昴は驚きの声を上げた。
「小林君、あなた自分に呪術を掛けて……無理やり身体を動かしていたの?」
彼女の視線に飛鳥は笑みで返した。
呪術には明確なルールが存在する。対象を呪うために必要な呪具、つまり呪いを成立させるには道標が必要という原則。接触の原理に準ずるなら、対象の髪の毛や血液があれば、術者はより頑強な呪いのラインを成立させられる。
だが術者と対象者が同一だった場合はどうなるだろう。
この世で自分以上に縁を持ち、共通項を抱え、同一である存在などいるはずがない。呪いを掛ける最上の相手が居るとすれば、それは己自身に他ならない。
言いかえればそれは『どんなに非才な術者でも、自分を呪うことは容易い』という事を示していた。理論的には、瀕死になった肉体を操ることなど造作もないだろう。
必要になるのは痛みに耐える精神力と、自分を呪うという強力かつ狂った念だけだ。常人なら行使することなど不可能だが、こと飛鳥においては眉唾めいた話ではない。
なにせ魔石を体内に埋め込んでもなお平然としている、筋金入りの嘘つきなのだから。
「馬鹿げた話だ」
彼は能面のような顔で述べる。
「私が突きつけた言葉通りではないか。自分自身に嘘をつき、ただひらすらに頂を目指す。まさしく呪いそのものだとな」
先ほどの語りを体現したような術に、立花は肩を竦めた。
笑い話にもなりはしない。傷ついた身体が癒されるわけでもなく、肉体を強化したわけでもなく、ただ自分を騙しているだけの低級術。見たところ痛覚を遮断することも出来ないらしく、今彼の脳髄には絶え間なく体から悲鳴が伝わっているはずだ。
「今は前を向いて歩けても、後でそのツケを支払う羽目になるぞ」
「百も承知だっつうの。嘘をつけば代償は全て自分に跳ね返る。そんな当たり前のこと、俺は十二分に知っているさ」
自分を騙し無理やり駆動させる術と看破されても、焦る様子はない。
なぜならこれは彼の人生の縮図とも言えるからだ。魔道の才が乏しいと知ってもなお諦めるどころか、これ以上ない目標を掲げ、内にある英知を結集してひたすらに邁進する。冒険に出かけた身の程知らずの愚者のようだった。
「本当に馬鹿げた話だ」
入学試験で不正を見抜き、彼と初めて対面した時のことを思い出すと、何とも言えない郷愁が空っぽの胸の内を吹き抜けた。
滑稽である。人には向き不向きがあり、彼はやはり才能という観点において進む道を完全に間違えている。魔道を極め得る人間というのは、昴のような才能の塊を指すのである。それは疑いようのない事実。
だからこそ本当に笑い話にもなりはしない。一笑に付すことも嘲笑することもしない。
最早そんな気すら沸いてこなかった。
「まるで鏡を見ている気分だ」
「え?」
他の誰にも聞こえない小さな声で、ポツリと零した。
飛鳥は何と言ったのか聞こえなかったようだが、立花は気にせず戦う構えを見せた。
静かに両眼で詐欺師を見据える。
「貴様の嘘がどこまで通用するか、この私が見定めてやろう」
その歩みが徒労に終わるのか否か。今ここで判断する。
次こそがあらゆる意味での終着点となると予感した。
****
黒く塗りつぶされたダンスホールの空気が、比べ物にならないほど重くなった。暗い霧に壁と床が内外から押し潰され、テーブルや豪奢な椅子は黒に沈み、飛鳥達四人と濁流の中心に鎮座する立花、彼らだけがその像を浮かび上がらせている。
戦闘態勢を崩さない飛鳥であるが、由佳里たちから見ても限界だと分かった。片目は使い物にならないのか瞼を固く閉じ、皮膚が削られた両腕は震え、学生服からは赤い血の斑点模様が現れている。立っていることすら辛いのか、呼吸は不規則で異音を響かせ、両脚も痙攣を起こしている。
「さてさて、最終決戦と行きますか」
そう言って拳を握りしめる飛鳥に、彼女達は狼狽をみせた。
「飛鳥、いくら何でもその怪我じゃ……」
「ええ。次の呪術行使に移れば、あなた確実に死ぬわよ」
エミリアに続き、昴もキッパリと事実を告げた。これ以上戦いを続ければ命が危ないというのは、二人だけでなく闘いに関して門外漢の由佳里にも分かった。
「優しいですね。もしかして見惚れちゃいました?」
軽口を叩く飛鳥だが、昴は本気なのかさらにキツイ口調になった。
「ふざけないで。馬鹿な自殺志願者を止めようとしてるだけよ」
「でもあの霧を無視して攻撃するには、僕の呪術が必要でしょ? まあ呪術というより限界を無視した格闘術ですけど。もしかして立花さんを倒すのが嫌なんですか?」
「そうじゃない!! 貴方は引っ込んでろと言いたいの、私は!!」
「フン、絶対嫌だね。あの能面野郎に吠え面かかせるまで、諦めてたまるか!! トドメはあなたに譲るから、それ以外は僕にやらせてくださいよ!!」
先ほどまで鬼気迫る勢いただった飛鳥は、打って変わって子供のように駄々をこね始めた。
両手をブンブン振り回す児戯に、一同は呆れかえるばかり。
特に彼との交流が浅い昴は、珍獣でも見ている顔になった。
「一体何なのよ、あなた。子供みたいに……馬鹿じゃないの?」
「カステラで笑顔になる人がよく言うね」
「あん? 喧嘩売ってるの?」
両者の間に火花が散り始めた。
「あの、今はそんな痴話喧嘩をしている場合では……」
仲裁に入ろうとした由佳里だったが、当の昴から恐ろしい眼光が向けられる。これまで見たことがない不快感と嫌悪、怒りが入り混じった百面相の名探偵がそこにいた。
言葉を間違えたと理解し、彼女はすぐさま本題へ逃げることにした。
「一体どうするんですか? 飛鳥さん」
「僕が死ぬ気であの人の動きを止め、霧の呪いを一瞬だけ撃ち払う。昴さんはその隙に全力の雷撃をぶち込んでください。僕の事は気にせず、加減なしのキツイ一発をね」
「あ、アンタはどうなるのよ?」
心配そうな顔つきのエミリアが割って入る。ただでさえボロボロなのに立花とまた一戦交え、その上に昴の魔術を食らいでもすれば、ひとたまりもないだろう。
それを否定することもなく飛鳥は頷いた。
「死にかけるだろうから、エミリアちゃんは僕を死ぬ気で治して。錬金術師の腕の見せ所だよ」
「はあ!? アンタ正気!?」
予想だにしない無理難題を押し付けられ、声を上げる。
「そして由佳里ちゃんは僕の応援をしてくれ。お願いできるかい?」
二人より軽いお願いに、由佳里は複雑な顔になった。自分が非力であることは理解しているが、やはり面と向かって蚊帳の外を命じられると辛いものがあった。
すると彼女の胸中を悟ったのか、彼は話を始めた。
「由佳里ちゃん。勘違いしているかもしれないから言うけど、この場で一番すごいのは君なんだよ?」
「え?」
意味の分からない彼女は疑問を示した。
「今こうしているのは、君が偽札を見破った事から始まっている。君が立花さんの手管を見破ったから、この捜査が始まったんだよね?」
「それは、そうですが……」
看破したというより、運が良かっただけというのが正直なところだ。喫茶店で紙幣を数えている時、何となく違和感のある一円札に出くわした。ただそれだけの話だ。
「でも確証もなかったですし、捜査の役に立ったこともなくて……」
「まだまだひよっ子なんだし、君はこれから精進すれば良いのさ」
明るい口調で諭し、飛鳥はまっすぐに彼女を見た。
「君の才能が、帝都一の魔術師が造った業を破ったんだ。僕には逆立ちしたって真似出来ない。僕だけじゃなく昴さんも、エミリアちゃんにだって無理だ」
確認を求めるように飛鳥は昴とエミリアを見る。
彼女達は同意するように、笑みを見せた。
「天才錬金術たる私からも礼を言わせてもらうわ。あなたのおかげよ、由佳里ちゃん」
「私は最初から言ってたけどね。あなたは私の助手なのよ? 自信を持ちなさい」
励ましと感謝の言葉だったが、由佳里はポカンとなるだけだった。嬉しいとかではなく、ひたすら実感がないのだ。手放しで笑えるほど彼女は単純ではない。
「あ、あれ……?」
俯いてしまった由佳里を見て、少女二人は戸惑いを隠せない。
自分に対してどうしても信頼を寄せることが出来ず、彼女達に笑顔を返せないのが悔しい。
矮小な己を信じる。それの何と難しいことだろうか。
すると肩をガシっと掴まれ、飛鳥の顔が間近に迫ってきた。
「由佳里ちゃんは凄いよ! 今は僕と同じで未熟だけど、いつかきっと一流の魔術師になれるさ。僕が保証するよ」
「でも、私には才能が……」
「才能なんて問題じゃない。自分を信じられれば、万事上手く行くさ」
彼はそう言って頭を振った。
そのまま暗闇の先で身構える、本物の二十人殻を見据えた。
「僕を信じて、由佳里ちゃん。以前君が僕に言ってくれたように」
背中越しの言葉に、帝国奇術学校で自分の口から出たセリフを思い出す。
小林飛鳥は必ず一流の魔術師になる。そう自然と出た言葉。
「君が信じる僕を信じてくれ。そして僕が信じる君を信じるんだ」
帝都一の嘘つきは、言葉遊びにもならない戯言を吐く。一笑に付してしまうようなキザなセリフだったが、それが如何にも彼らしい。やはりとんでもない詐欺師だ。
だけど決して笑ったりはしない。
未だ脳裏には陰惨な未来が見え隠れするが、彼女はそれを強く否定した。
だって今するべき返事は、もう決まっているのだから。
「はい。最後までちゃんと騙してくださいね」
「ああ、もちろんだよ」
大嘘つきは振り返らなかったが、きっとまたその顔に不敵な笑みを浮かべていることだろう。
由佳里は無二の信頼の下にそう思った。




