21. 帝都一の魔術師
煌びやかなダンスホールは、立花の作り出した暗闇へと飲み込まれていた。逃れ得ないほどに膨れ上がり、何者にも防ぎえない呪いの霧は、すでに建物を異界へと変貌させていた。
「おいおい、常識破りの魔術行使だな。呪いが視認できるほどの濃度になって、おまけに建物ごと侵食する。もはや結界術みたいじゃないか」
「……気を付けて。この霧に触れれば、どんな魔術も破壊されるわ」
「術式を破壊!? じゃあどうやって戦えば良いんですか!?」
エミリアは出鱈目な効力の魔術にうろたえる。
対して昴は一度この業を見ていたためか、対抗策を用意していたようだった。
「魔術障壁を張り続ければ、多少なりともマシになるわ。この呪術は接触の原理を用いているようで、障壁を張れば侵食するまでの時間を稼げる。魔術を破壊するとはいっても、あくまで魔術の一端。である以上、対魔力を高めれば防ぎ得るわ」
昴はすでに戦闘者の顔つきになっており、この霧への対処を開始していた。肉体だけなく抜き去った刀身にも障壁を張り巡らせることで、紫電の消失を免れていた。
「エミリアさんは由佳里をお願い。あなたの術なら魔術に対してもそうだけど、物理的な防御にも応用できるはずよ」
「確かに。エミリアちゃん特製の液体金属なら、早々食い壊されないだろう」
「わ、分かったわよ! やれば良いんでしょ!」
エミリアはその場に膝づいて両手で祈りを捧げる。
すると液体へと変貌していた偽造原版が、再び形を伴いながら彼女下へと集まり始めた。
錬金術師たるエミリアは基本元素である鉛、水銀、硫黄、これに退魔の力を持つ銀を加えて錬成することで、戦闘に転用できる液体金属を創り出していた。思考に追従して形を如何ようにでも変化させる金属、それが彼女の魔道具であり魔術なのだ。
「じゃあ、すいませんけど。あとはお願いします」
エミリアは由佳里と共に、銀色の結界へと避難した。
飛鳥と昴はそれを確認し、暗闇の先の立花を見据える。
「私を相手するのは貴様ら二人だけか。安く見られたものだな」
拍子抜けしたと言わんばかりの立花だが、その反応は尤もな所であった。如何に昴が魔術師として優れ、飛鳥が戦闘者として卓越していようとも、相手は軍隊経験を持ち、さらに帝都一の魔術師と謳われる男なのだ。二対一でも決して有利だとは言えない。
「そう言わないで下さい。これでも帝都を沸かせた二人組なんですよ? 少しは期待してもらい所ですね」
調子の良い飛鳥の横で、昴は不機嫌そうに眉を吊り上げた。
「ちょっと、私を勝手に相棒みたいに言うのは止めてくれる? すごく不快だわ」
「ええ? これから足並みを揃えて戦おうっていうのに、その態度はどういうことですか? いくら自分が可愛いからって、少しは時と場所を考えてください」
「今まで剣を交えていたのに、すぐ仲良しこよしとはいかないでしょ! だいだい私、嘘つきは嫌いなの! エミリアさんから君の悪行はたっぷり聞いたわ!」
拒絶の意志を見せる昴に、飛鳥は肩を竦めた。
「自分の目でなく他人からの伝聞を真に受けるとは、名探偵の名が泣きますね。そんなんじゃ嫁の貰い手がいません。なので仕方なく僕が貰ってあげますよ」
「ふざけんな馬鹿! 何が仕方なくだ! 斬り殺すわよ、この嘘つき泥棒!」
「ほほう、やってみろ! この甘党探偵!」
怒りを浮かべる昴は、彼の首筋に日本刀の切っ先を伸ばす。
対して飛鳥は手袋をつけた手で刀身を掴み、子供みたいに舌を出して挑発する。
犬猿の仲となったご両人は、共闘することなど頭にないようだった。
「この期に及んで痴話喧嘩とはな。全くもって、貴様らには驚かされるばかりだ」
立花の笑い声が飛んだと思いきや、いがみ合う二人へと闇が迫った。
二人はそれを確認し、互いに逆方向へと弾け飛んだ。
「とにかく、ここは休戦しましょう。あなたを嫁として迎えるかは後で議論します」
「嫁入りなんぞせんわ! 絶対豚箱にぶち込んでやる!」
距離をおいた二人の間を霧の塊が走り抜け、飛鳥はそれをつぶさに観察する。呪術の波動をビンビン感じると共に、削り取った床の跡から、過分に物理エネルギーを持ち合わせていると分かった。魔術破壊を上手く凌いでも、正面から受ければ霧の物量に圧殺される羽目になる。
飛鳥は距離を取りつつ南部式自動拳銃を構え、銃口を立花に向ける。
引き金を絞り放たれた弾丸は着弾するも、その全てが霧によって阻まれてしまった。彼を包んでいるより密度の濃い霧は防御にも転用できるらしい。飛鳥の銃は腔線に勝利のルーンである←を刻み、弾丸の威力を底上げしているのだが、それでもまるで効果がない。
「だめよ小林君。飛び道具はこの空間では効率が悪い。術者の手から離れた時点で術式の破壊が始まり、着弾するころには魔術の支援効果はなくなってるわ」
昴も同じく拳銃を引き抜き、紫電を轟かせて立花を射抜く。
だが助言通り、発射時に帯電していた弾丸は、空間を裂いて進むうちに光を失ってしまう。そしてむなしくも暗闇にせき止められてしまった。
「こりゃあキツイなあ。ていうか今の武器は初めて見ますね」
「市井でこんな危ない魔道具が使えるわけないでしょう。君に使うのは気にしないけど、帝都の人々や警察の方々に万一あったら不味いから」
「優しそうに見えて、僕への扱いだけは厳しいな」
憎まれ口を叩きつつも、飛鳥は次の手を考える。
どのみち魔術に頼った戦法を取る気などない。自分が信頼するのは魔術ではなく、今まで培ってきた技能と知識その全てなのだ。
彼は全身に張り巡らせた魔術障壁を解き、真っ直ぐ立花へと接近する。
昴はその様に目を丸くするが、立花本人は迎え撃つ姿勢を見せる。
「せあ!」
一瞬だけかかとを床に叩きつけると、靴のつま先から刃が飛び出した。さらに脚部の筋力を魔術で強化し、左足を軸に中段回し蹴りを放つ。一撃必殺を旨とする空手の真髄を示すように上足底に力が集約され、切っ先が黒い霧を容易く貫いた。
しかし致命打かと思われた蹴り技だったが、口元を歪めた立花を見て、それが叶わなかったことを飛鳥は悟った。
「良い体術だ。やはり魔術以外は末恐ろしい男だな」
「チ!?」
肉に到達したに見えた一撃だったが、霧の下に構えた左腕によって防がれていた。さらに足を引っ込める前に打ち払われ、空いた上体に体重の乗った掌底が迫る。
飛鳥は両腕を交差させ、すかさず防御に移る。
「――ッ!?」
だが防御したはずの両腕を抜けるようにして、胸郭にまで鋭い痛みが走った。
あまりの衝撃に堪えきれなかった飛鳥は、そのまま十メートル以上宙を舞う羽目となった。ガードを無視して衝撃が浸透する技は、中国拳法をはじめ無数に存在するが、これはそんなレベルの芸当ではない。
(陸軍に所属していた以上、武道の心得はあると考えていたが……これは!?)
苦悶を浮かべながらも受け身を取り、瞬時に体勢を立て直す。
「明智昴に方術を指導したのはアンタだったのか」
以前銀座の街角で披露していた昴の不可視の業。あの時は正体不明だったが、飛鳥は方術にという心当たりをつけていた。唯一分からなかったのは、どうやって習得したのかという過程だったが、それもようやく回答を得られた。
前羽の構えのように、両腕を差し出して構えた立花は答える。
「ご名答。国外任務に着いた時期、暇さえあればその土地の魔術や格闘術を私は学んだ。中でも中国四千年の歴史というのは奥深く、丁度良い暇つぶしになった。これはほんの一部だ」
愉快気な立花を睨みつける。冗談はよしてほしい。放たれた業は断じて暇つぶし程度ではないと、その身をもって痛感したからだ。
飛鳥は格闘術のエッセンスを空手と中国拳法から得ているため、今のは中国拳法の奥義である寸勁に近いものだと看破していた。加えて掌から方術の外気功を駆使することで、流し切れない程の威力と防ぎ得ない衝撃を併せ持った、恐るべき絶技が完成したのだ。
「舐めやがって、魔術師の癖に体術まで達人級とか。僕の専売特許だったのに」
「それはすまんな。代わりに忠告してやろう。靴に仕掛けを施すのは結構だが、もっと気を使うべきだぞ。靴音から細工に気付くことは可能だ」
「ご指導どうも。というかあなたも嘘つくのが上手いですね。どうしたんですかその足? 健康そのものみたいなんですけど」
杖をつくぐらい不自由のはずの片足だが、先ほどの体術を考慮すると、まるで問題ないことが分かる。飛鳥を詐欺師だと言ったが、立花も十分その域にあるようだ。
彼は杖を弄びながら、応えるように両脚でしかと立って見せた。
「いやなに、軍を退役するために理由が必要だったのでな。面倒だから足を悪くした振りをしていたのだ。一種の余興だったが、これまで誰一人気づかなかったよ」
「人のことを不正野郎と馬鹿にしたのに、当の自分も不正してんじゃないか」
文句を並び立てるが、飛鳥はその実冷や汗をかいていた。
立花蒼月。分かっていたが並大抵の男ではない。魔術師としてもはるか先を行く化物だが、戦闘そのものにおいても舌を巻く程だ。おそらく間諜として任務を請け負った経験から、暗殺などにも詳しいはず。
(ヤバいねこれは。フル装備だけど全部役に立たないかも)
様々な隠し武器を服の下に忍ばせているが、どれも通用しない可能性がある。先ほどの仕込み刃も相当訓練したものだが、初見で見抜かれてしまった。他にも毒を塗った桐、小型ナイフをはじめ、マントには無色インキによる無色の魔方陣を仕掛けている。
しかしこれらの小細工だけでは心許ないのが、正直な感想だった。やはり昴と息を合わせないと勝機はない。
飛鳥は立花を挟んで対極に位置する昴へと、目線を投げた。
彼女はわずかに頷き、刀を引いて構える。
二人が意味深な合図を送ったのを見た立花は、ニヤリと笑みを零す。
「共同作業ということか。これは見物だな」
「ええ。相性抜群なところを見せてあげますよ」
「ちょっと、やる気を削ぐのは止めて」
すかさず不満を漏らす昴は、居合のまま床に靴底を擦るように距離を詰める。
半身の状態で警戒する立花を、微妙な距離を保ったまま静観する。すべてはタイミングだ。
二人は全く同時に床を蹴って、立花へと駆け始めた。わずかに彼を中心に角度を付け、飛鳥は立花の正面右手を、昴は背後の間合いへと迫った。
飛鳥は左の袖口から奇術師めいた早業で、Yのルーンを刻んだ羊皮紙を抜いた。エイワズ、イチイの木を示すルーンにより、死と再生の意義から転じた防御と危険回避の加護が、発光と同時に働き始める。
闇色のベールを纏う立花の徒手空拳を、ルーンによる直観強化、中国拳法の聴剄による先読みによって次々と捌く。間合いを見計い、伸びきった拳を払落とす。カウンターを入れて体の向きを制御し、触れ合った皮膚から次の動作を読み、怪物との近接格闘を維持する。躱し切れない蹴りや突きを何発か胸部と脚に貰ったが、急所を回避することで済ました。
飛鳥の離れ業を前に、さしもの立花も眉をしかめた。
目前の敵に意識を割いた隙に、背後を取った昴の一閃が奔る。彼女持つ刀身の電荷と鞘に付加した電気エネルギーが、極性を違えて反発し、文字通り光の如き速度の抜刀術を披露する。雷切丸と銘打たれた刀は、凄烈な紫電を発して撃ち出された。
打ち取った。並みの人間なら、身体を引き裂かれる程の凶撃。
囮役に徹した飛鳥だけでなく、昴すらもそう確信したに違いなかった。
「温いぞ」
嗜虐的なセリフが耳に届き、瞠目する。
立花は昴を振り返ることなく、なんと片手で刀身を鷲掴みにしていた。刃を握りしめる右手は呪いの霧に覆われながら、その下から鮮血が流れているのが分かる。
ただそれだけだ。
必殺の一撃で取ったのは、掌のわずかな支障だけだった。
愕然とした昴は即座に電撃を食らわそうとするが、すでに魔術破壊の効果が先んじて現れ、彼を感電させることは叶わない。どころか刀を退くことすら出来ない。
ルーンによる直感で危険を読んだ飛鳥は、瞬時に立花へ刃物を思わせる抜き手を放つ。
昴へと襲い掛かるはずだった呪いの濁流は、彼の咄嗟の反撃によって、彼自身へと向かうこととなった。
立花の体を纏っていた霧が、圧縮した後刹那の内に爆散し、余波が逃げ場を求めるようにして飛鳥を吹き飛ばす。爆薬の燃焼速度に匹敵するほどの衝撃によって、防弾防刃に加えて魔術処理を施した鳶マントは無残に引き裂かれ、防ぎ得なかった分の嵐が彼の身体――鍛え上げられた肉と骨をズタズタにしてしまう。
ダンスホールの壁面に叩き付けられた飛鳥は、床に転げて沈黙した。




