18. 不正入学
「不正ですって? 俄かには信じられないわね」
帝国奇術学校の入学試験に不正を働く余地があるとは思えない。基準以下の者が合格するとなれば、調査員と魔力量試験をどうにかしなければならないからだ。
「まず調査員の調査報告ですが、飛鳥は偽造という手段でこれを解決しました」
「報告書をでっち上げたってこと? でもどこの誰が調査員をやるかっていうのは、非公開でしょう? それこそ不正が働かないよう、秘密にされるはず」
彼女の言うように魔術師の卵を探す調査員には、信頼のおける者が起用される。多くは地方に派遣されている神秘通信社の人間で、誰が選ばれたのか外部から知る術はない。万一見つけたとしても、担当者を買収するのは困難を極める。
だがエミリアの語る飛鳥の手口は、想像よりもずっと周到なものだった。
「飛鳥は『自分を帝国奇術学校の調査員と偽る』ことで問題をクリアしました」
入学試験を受けるには、調査員のサインが入った推薦書が必要になる。これを知った飛鳥は、全国に散る魔術の名門とされる家系を調べ上げ、なんと調査員を騙ってその家々を直接訪問したのである。
「調査員は一人の候補生に対して月単位の調査を行い、合格した子にのみ接触します。人員の関係ですぐ連絡が回る子も居れば、選考の期限ギリギリになる子も居ます」
「それは調査員だって数に限りがあるから、ある程度は仕方ないわ」
「ええ。ですが名門の家系の子に関しては、漏れなく選考の初期段階に話が持ち込まれる。これは昴さんもご存じでしょう?」
魔術は血と歴史を重んじる学問であり、名家の子であればその実力は折り紙付き。それが魔術の常識だ。簡単に言えば、魔術の腕が担保されているエリートには、調査活動を行わずに勧誘活動が行われるのだ。
「飛鳥は魔術の名家を回れば、先々で調査員の出入りを確認できると予想したんです。運が良ければ『訪れた調査員がどこの誰なのか』、その家に置いて行った名刺なんかから割り出せると考えた」
「なるほど。調査員がすでに訪問しているであろう場所を巡り、情報を集めたのね」
実際この予測は的中し、飛鳥は同胞である調査員を名乗ったことで、容易く彼らの名前と連絡先を知ることが出来たとのこと。関東地方の名家を回っただけで、数にして十二人の調査員の個人情報を得たという。
「調査員達の情報が分かれば、あとは簡単です。知り得た調査員の一人を演じ、文書を通じて学校側か他の調査員から必要な書類を融通してもらえばいい」
「……あとはそれに必要事項を書いて、提出するってわけか」
およそ良識のある人間の所業ではないが、手口そのものには感心せざるを得ない。しかし以前感じた彼の強かさというか、口の上手さを考えると不思議ではなかった。
「試験の切符を得た方法は分かったわ。でも魔力量試験はどうやって突破したの?」
実技試験は試験官の目前で、魔力が底をつくまで魔術行使させる耐久試験がある。生まれ持った魔力生成器官の強靭さを推し量り、才なき者を容易く淘汰する魔力量試験。これがある以上、口八丁でどうになかなるとは考えにくい。
「そこは自然魔術を使ったんです。飛鳥は少ない魔力量を克服するため、隠し持った宝石……これに貯蔵した魔力で保有する魔力量を笠増し、試験をパスした」
自然魔術とは、自然の神秘力を人間に作用させる魔術である。中でも宝石には星や惑星のエネルギーが伝わっていると考えられ、例えば紫水晶は運動能力の強化、緑柱石は内臓などの治癒を促す、などの効能が知られている。
「宝石魔術は魔力を貯めた電池のような使い方が出来ます。条件を満たせば、自分の魔力を使用せずに術を起動できるため、この試験には持って来いってわけですよ」
宝石に貯めておいた魔力をこっそり使い、あたかも魔力の絶対量が多いように見せかける。魔術師であれば誰でも思い付く程度のものだが、それ故に疑問も浮かんだ。
「理屈は分かる。でも試験官だって馬鹿じゃない。魔具を所持していないか確認するため、ボディチェックぐらい行うでしょう?」
「はい、仰る通りです。実際アイツが持ち込もうとした宝石は、検査の段階で没収されたらしいです。あくまで隠し持っていた分は、ですけど」
「隠し持っていた分? もしかして……」
持ち物検査に引っ掛からず宝石を使用できたとなると、強引な手段に打って出たということになる。誰もが考えて実行に移すことの出来ない、苦痛を伴う方法だ。
昴の「本当の話か?」という問いを受け、エミリアは頷いた。
「飛鳥は全十八個の魔石を体に埋め込んだ状態で、試験に臨みました。先のボディチェックでわざと宝石を没収させることで、埋め込む過程で残ってしまった手術痕から、試験官の目を逸らしたんです」
魔力を貯め込んだ宝石を用意し、それを外科手術によって目立たない部位に埋め込む。これによって飛鳥は試験中、予備タンクの宝石から魔力を供給して乗り切ったのだ。
体に異物を突っ込んだというだけでも驚きだが、それ以上に無事に試験を終えられた事実の方がことさら昴を驚愕させた。
「体内で宝石を励起させれば、尋常ではない痛みが走るはず。宝石を電池に例えるなら、肉体は電線みたいなもの。許容量を超えた魔力を流せば、ケーブルは焼き切れる運命にある」
十八もの宝石を使ったのなら、もはや意識を保つことすら難しい。体を内から引き裂くような衝撃を受け、無事で居られるはずなどない。試験管の前で異変を悟られず、かつ五体満足な状態でやり通すことなど到底不可能だ。
「いくらなんも無茶苦茶よ! 人間に出来る芸当じゃないわ!」
「でもアイツはそれが出来た。だから才能がなくても、飛鳥なら怪盗騒ぎなんていとも簡単に出来る。私はそう感じたんです」
エミリアはこの事実を知っていたがために、リストに飛鳥の名を連ねたのである。
尋常ならざる彼の経緯を聞き、昴は思わず天井を仰ぎ見た。
生まれ持った才覚が及ばず、魔道から離れた者を幾度となく彼女は見てきた。その多くは決して努力を怠っていたわけではなかったし、同時に力を宿した自分自身を誇りに思うようにもなった。そしてそれらに恥じぬよう研鑽を積んできたはずだった。
だがエミリアの語る少年の姿はそれらとは全く異なる。まるで自ら困難に身を投げていると思えてならない程に苛烈だ。奇抜で計算高く信念に裏付けられた行動には、どんな逆境も迎え撃つという覚悟と挑戦すら覚えた。
「エミリアさん。あなたはそんな彼に惚れ込んだから、不正に目を瞑ったの?」
飛鳥が現在も帝国奇術学校に在籍している以上、不正を知っているエミリアはそれを密告しなかったことになる。彼を特別視しているのは、これまでの態度を見れば疑いようがない。
昴の言葉にわずかに反応したエミリアだったが、ゆっくりと首を横に振った。
「……アイツのことをどうも思っていないって言うと、少し嘘になるかもしれません。悪い奴ではないし、関わるとロクでもないことに巻き込まれるけど、突き放すのは何となく憚られる。そんな不思議な奴なんです」
頬を恥ずかしげに掻く様を見ると、何となくカルピスの味を思い出す。
「でも目を瞑ったのは違う理由です。飛鳥が不正をしたと見破ったのは私ではなく、立花校長です。私はあの人から聞いただけに過ぎません。飛鳥の嘘を見抜けなかった私に、それを糾弾する資格はないと思ったんです」
ここでかつての師の名が飛び出し、昴は目を瞠った。
「立花さんが、彼の不正を見逃したって言うの?」
「はい。あの人は入学試験の時に、飛鳥の不正に気付いたんだそうです。その時は試験官ではなくただの見学者だったから、わざと見逃したのだと仰っていました」
厳格な立花が、不正を許したという事実に昴は衝撃を受けた。帝国奇術学校の校長となるずっと前は軍属に身を置き、国家のために身を粉にして働いた傑物。
そんな男が何ゆえ咎めず、自分の箱庭に彼を迎えいれたのだろうか?
エミリアの話を聞いて、昴の中で新たな疑問が湧き上がりつつあった。
その最中、部屋の自動電話がベルを鳴らした。
「はい! 明智探偵事務所です!」
思い悩んでいた昴ではなく、飛鳥の連絡を待っていたエミリアが受話器を取った。交換手と一言二言話した後、電話の先の主と話を始める。
昴はエミリアの顔から生気が抜けていくのを見て、相手が彼でないことを悟った。
青ざめた表情で電話を切ったエミリアは、こちらを向いて伝言を述べた。
――西条由佳里の命が欲しくば、盗んだ原版を指定した場所へと持って来い。
「ど、どうしましょう、昴さん?」
「ついに黒幕が登場というわけね。聞き入れてやろうじゃない」
犯行グループからの要求を聞いて昴は行動を開始した。頭から離れない違和感の答えは、おそらく向かう先に転がっているはず。
偽札事件と怪盗騒ぎ。双方の本当の姿が脳裏に浮かび上がり始めていた。