15. 偽札製造
偽札製造についての証拠が集まり始め、警察や昴の動きが活発化し始めた。
一方、単独で情報を収集していた飛鳥は、誰よりも早く決定的な手掛かりを手に入れていた。
「さてさて、王手を掛けさせてもうらおうか」
飛鳥は夜闇に乗じて多摩川の河口近くにある、古びた倉庫地帯へとやって来ていた。そこには輸送された物品が保管される倉庫とは別に、彼が探し続けた偽札生産工場の姿もあった。
突き止めたのは偏に、彼の詐欺師たる知識と狡猾な頭脳によるものであった。
聖水が一円札紙幣に使用され、偽造紙幣にも同様の処理が施されていると看破した飛鳥は、帝都周辺を流れる河川から、その流水を片っ端から集め回ったのである。
「どうして河川の水を集めるんです?」
相棒たる鳩のPはここに至る数日前、自室で流水のサンプルを眺める飛鳥に対し、疑問の声を上げた。偽札製造の調査の一環ということは傍目にも分かったが、詳しい理由は知らされていなかった。
「紙幣の印刷工程は多いけど、特に重要なのは抄紙という工程なんだ。紙の品質を決める工程でね、非常に高度な知識、それと専用の設備が必要になる」
「しょ、しょうし……ですか? それは一体どういうものなんです?」
「大ざっぱに言うなら製紙、つまり紙を作る段階の話さ。湿潤した紙原料を網で濾過し、圧力をかけて伸ばし、最後に乾燥させる。抄紙機という機械を使用するんだ」
ホーとPは感心し、鳥らしい鳴き声を響かせた。抄紙工程は大事な工程であり、特徴として紙原料を作るのに大量の水を必要とする点が挙げられる。そのため飛鳥は、偽札工場は必ず河川の近くか伏流が得られる場所に立地している、と目星をつけていた。
「相変わらずご主人の知見の広さには、脱帽するしかありませんね。となると、水を集めているのは偽札工場と何か関係がある……ということですね?」
Pの指摘通り、河川が近いという見立ては他の可能性をも示していた。
「調査通り偽造紙幣に聖水を混入させていると考えると、工場排水にも微量だが聖水の成分が検出されるかもしれない。エミリアちゃんに聖水を感知する薬品を頼んだのは、真贋判定を行うためではなく、あくまで捜索の道具にするためだったのさ」
抄紙に限らず製造工場というものは、規模が大きくなるほど水の使用量も増加する。聖水を作成する工程がこれに加わるとなると、工場排水に聖水が混入するのは自然な話だ。もし薬品検査で聖水が含まれている河川が見つかれば、その川沿いに印刷工場はあるはず。
飛鳥は自室にて、例の薬品を水サンプルに試した。二十、三十と繰り返す中、わずかに青白い発光を見せたのが、此度やってきた多摩川河口から回収された水だったのである。
「とはいえ川を遡って調べたけど、結局ここに辿り着くまでは二日も要した。手早く証拠を掴んで、明智昴を出し抜かないとね。彼女がここに気づくのは時間の問題だ」
飛鳥はすでに学生服の上に黒の鳶を羽織っており、隠蔽術式も相まって、姿は完全に暗闇に同化していた。探索するのはこれで問題ないが、最後の難関は倉庫地帯のどこに偽札製造工場があるのか、それを調べることにある。
飛鳥は懐から剥き出しの方位磁石を取り出した。さらに持っていた小瓶の栓を抜き、前述の回収した河川の水を磁石に振りかけた。
「何をするんです?」
「今度は僕の特技である呪術を使う。P君は呪術の二大ルールは知っているよね?」
「えっと、類感呪術と感染呪術ですか?」
Pの返答に飛鳥は肯定を示した。
類感呪術は「類似の原理」に基づく呪術だ。求める結果を模倣する行為を、術者が行うことで術を起動する。代表的なのモノには雨乞いが挙げられ、儀礼的な一面の強い呪術だ。
「今回扱うのは感染呪術だ。これで聖水の大本がどこにあるのかを調べる」
飛鳥は倉庫群の物陰に移動し、流水で濡らした方位磁石を地面に置いた。そして磁石を中心に簡易的な陣を描き、魔力を注入して術を起動する。
すると北を示していたはずの方位磁石が、ゆっくりと何かを示すように向きを変えた。
「よし。この先に聖水を生成した設備、もしくは原材料の溶液がある」
飛鳥は確信を得た様子で、磁石の指した方角へと歩を進めた。
感染呪術は「接触の原理」に基づく呪術だ。対象を人間とする場合、爪や髪の毛など体の一部だったものを手に入れ、藁人形に釘を打ち込むというのがポピュラーだろう。ようは対象が接触していたものを道標にして、呪いを起こすのである。
「回収した水は製造工場にある聖水と元を同じにする。聖水は魔力を持っているから、道標である呪具には最適だ。ここまで対象に近づけているなら、非才な僕でも大本の工場まで呪力のラインを成立させられる」
「ははあ、魔を払うはずの聖水を呪って、逆にその在り処を割り出すとは。よく考えましたね、普通の魔術師はそんなこと思いつかないと思います」
P君の驚きように飛鳥はニヤッと笑い、先を急いだ。
方位磁石の先へと進むと、倉庫地帯を少し外れた雑木林に突き当たった。人の出入りはおろか獣道すら発見できないが、飛鳥はここに工場があると確信した。
「どうやら隠蔽か認識阻害の術式を行使しているようだけど、方位磁石は間違いなくここを指している。さてさて、噂の偽札製造工場とやらを拝見しようか」
飛鳥は恐れる様子も見せず、雑木林に一歩足を踏み入れた。
すると眼前が水面のように揺らぎ、奥に隠した本当の姿を現した。
隠蔽術式の中には真新しい倉庫が複数鎮座していた。目を凝らすと、白熱灯に照らされてせっせと生産する様が窓辺に映っている。さらに飛鳥の読み通り、紙幣制作に必要な水を溜めたプール、給水塔、浄水設備が確認できた。耳を澄ますと印刷設備の駆動音も聞こえる。
「す、スゴイ! 本当にあった! これが偽札製造工場か!」
肩に止まって驚く相棒を他所に、飛鳥は建物の一つに近づき、窓越しに中を見た。丸い大きな釜で液体を煮ており、他にもハンマーのように何かを砕く機械も確認できる。
「なるほど。ここは蒸煮、そして叩解の工程を行う建屋か。紙の原料を煮て磨り潰し、この後の抄紙工程に移送するってわけだな」
こっそりと並んでいる建屋を覗き回り、飛鳥は印刷工程を行っている場所を探す。
偽札工場を発見する目的は達成されたが、彼は生産の決定的な証拠を手に入れるため、この場から偽造紙幣の原版を盗もうと考えていた。
「よし、どうやらこの建屋みたいだな」
覗き見を続けていると、内部に間切りのない建屋を発見した。西洋トラス構造とよばれる印刷機など大型機器を置くのに適した造りで、窓越しにも輪転機が複数確認できる。どうやらここが印刷工程を行う場所のようだ。
飛鳥はそこから離れた位置にある、事務所らしき建物に足を向けた。そして何を思ったのか、裏手に設置された場内に電力を供給する動力盤を開き、中のブレーカー類を全てOFFにした。
当然の如く、偽札工場のすべての照明が落ちた。
「おい、どうした!? 一体何事だ!?」
事務所だけでなく工室からも、突然の停電に驚いた工員たちが姿を見せた。
したり顔の飛鳥は浮足立った工員たちを尻目に、暗闇に乗じることで先ほどの建屋に侵入した。停電の原因はすぐ発覚するだろうが、ここに人が戻るには十分は掛かるだろう。
飛鳥はKのルーンを使い、両眼に遠見の力を付与した。すると暗闇でも昼間のように中の様子を窺い知れた。視界に映る輪転機は大量かつ四色印刷が出来るとされたイリス式輪転機というもので、全部で五台ほど使用されているようだった。
「おお、これが偽札印刷を行った原版か。いやはや、楽に手に入ったな」
飛鳥は注意深く、セットされていた一円札の偽札原版を回収した。そして鳶マントの奥から大きめの鞄を取り出し、床に置いた。
あとはこれに詰めて持ち帰るだけだが、用心のためにもう一工夫を加えなければならない。
闇に染まった印刷工場の中で、二十人殻は悪戯っ子のような笑みを浮かべた。