14. 落第生
食堂での一悶着の後、予定通り由佳里に学校を案内する運びとなった。思いがけず立花が同伴を提案すると、飛鳥とエミリアが「その必要はないです」「お時間を頂くのは忍びない」などと心にもない言葉で阻止を試みたが、彼が睨みを利かせるだけで借りてきた猫のように大人しくなった。
どうにも立花蒼月という魔術師は、帝国奇術学校において恐れられているらしい。
「もともと私は陸軍に所属し、第一次世界大戦中は諜報員としての任を受けていた。一言でいえば間諜ということになる」
敷地内を歩きながら、立花は由佳里を含めた三人に話を始めた。立花は若い頃軍属につき、間諜となって敵国に潜入し、情報を本国に送っていたとのこと。言葉にするのは簡単だが、危険な任務であることは由佳里にも分かった。
「へえ、入学して一年以上になりますけど、初めて聞きますね」
「魔道を極めんとする者にはあまり意味がない話だからな。帝国奇術学校の門を潜る連中は卒業後、家督を継ぐケースが多い。もしくは帝国奇術運営局傘下の蒼銀研究所、神秘通信社に就職するのが次点といったところか」
帝国奇術運営局とは、政府と魔術の名家が共同で設立した「オカルト全般の学術研究機関」である。組織下には帝国大学と提携した魔術研究の最高峰たる蒼銀研究所、オカルト関係の事件や情報を集めている神秘通信社、そして有望な術者を集め育成する帝国奇術高等学校、これらが名を連ねている。
「確かに魔術師は国家の犬になんてならないよな」
飛鳥の言うように、魔道に通ずる者はその力を自己と血族のために使うのが常だ。他者の救済や社会貢献にあてる輩は数えるほどで、魔術は純粋な学問としての色合いが強い。
軍属を揶揄する飛鳥の口振りに、立花は同調するように鼻で笑った。
「だが中には私のような変わり種もいる。魔術師の修練を積んでいた私は、上層部の目を引くぐらいには成果を得た。無論、私以外の軍や官憲に身をやつしたイレギュラー達も同様に結果を出し、意図せず魔術師の価値を高めることに繋がった」
「それで帝国奇術学校を始めとした魔術機関が設立されたんですね」
「そうだ。近代化を推し進める政府が秘密裏とはいえ魔術という神秘を認め、活用しようと判断を下した。たとえ魔術師を軍属に組み込めなくても、協力関係を築くだけで十分利益があると考えたということになる」
「そんな経緯があって、この学校は出来たんですね。私もここでやれるかなあ……」
西洋建築を思わせる建物を眺めながら、由佳里は深く溜息をついた。聞けば聞くほど、自分とは場違いな場所であるという気がしてならない。
不安げな面持ちの由佳里に対し、飛鳥は首を傾げた。
「由佳里ちゃんの家だって、陰陽道の歴史ある家系なんでしょ? 日本古来から続く誇り高い魔術一派なんだから、そんな不安を抱く必要はないと思うけど?」
由佳里の生家は巫術を扱う、いわゆる巫女やイタコを司る家系だった。陰陽道に端を発する「いざなぎ流」という、当世風時代はおろか平安時代から現代にまで伝わった歴史ある魔術に、彼女は幼い頃から触れてきたのだ。
家の歴史を鑑みれば資格は十分と言えたが、それでも彼女の顔は晴れない。
「私、自分の力を上手く扱えないんです。陰陽道は天文を観察することで吉兆を予言できるとされ、父母もその力を持っていました。でも私はひどく不安定で、とても予言と言える代物ではないんです。きっと才能がないんだと思います」
自分の非力さを思い出した由佳里は肩を落とした。陰陽道には他にも紙や木片に命を吹き込む「式神」、凶事を避ける「祓い」、特殊な歩行で術を起動する「反閇」などの業があるが、彼女はそれらも不得手だった。故に予言は唯一の才覚だったが、そもそも難度が高い術式だけに、完全な未来予測など叶うはずもなかった。
「ま、頑張るしかないね。才能がないからって諦める必要はないでしょ」
元気のない由佳里とは対照的に、飛鳥はあっけらかんとした口調で答えた。
「アンタねえ、もう少し何かないの? 先輩としてアドバイスとか、何か助言はないの?」
「僕が助言なんて出来るわけないじゃん! 生憎、僕の魔術の才はショボくてね。非才ここに極まるってところだよ」
ハハハと笑う飛鳥であったが、由佳里は才能がないという言葉に違和感を示した。
「飛鳥さんは、凄い魔術師なんじゃないですか? 昴さんにも負けないような」
由佳里は彼が二十人殻の容疑者リストに載っていたことを思い出した。あのリストに名を連ねたのなら、才能がないなんて在り得ないはずだ。
「由佳里ちゃん、コイツは本当に才能がないのよ。それはもう、私のような天才と比べると、魔術の才能は鼠とライオンぐらいに隔たりがあるわ」
「確かに。僕が鼠というのはアレだけど、エミリアちゃんがライオンなのは間違いない。金髪だし、ビフテキに目がない肉食系女子だから――グエッ!?」
余計な言葉を添えた飛鳥が手刀で吹き飛び、校舎へと突っ込んでいった。
「ベネディクトに吹き飛ばされたあの阿呆だが、非才という言葉を宛がうのは正しい表現だろう。私の見立てでも、奴の才能が校内で最下位というのは間違いない」
「え? 本当に……飛鳥さんはそうなんですか?」
煉瓦の残骸の中でピクピクしている飛鳥を見ながら、由佳里は驚きを隠せなかった。ならどうして二十人殻の容疑者に名が挙がったのだろうか?
困惑していると、立花がじっとこちらを観察していることに気づいた。
「心配せずとも君の才能は確かだ。少なくともあの間抜けよりもな。――君はどうやら、良い眼を持っているようだ」
「え?」
値踏みするような視線に、由佳里は一瞬冷たいものを感じた。
だがそれも刹那の事で、立花の気配は先ほどと同じ無へと戻っていった。
(良い眼? 私の力に気付いた? でも顔を見ただけで?)
立ち止まって考え込んだ由佳里は、先を行く立花を凝視した。杖を突いて片方の足を引きずっているが、魔術師としての腕前はピカイチだと昴から聞いたことがある。それほどの御仁になると、一瞥しただけで人の才を推し量ることが出来るのだろうか?
「どうかしたの? そんな鳩が豆鉄砲食らったような顔をして」
気づくと、校舎の壁にダイブした飛鳥が戻ってきていた。
「いえ、何でもないです? それより、さっきの話なんですけど」
「僕が才能ないって話? あれなら本当だよ。一般家庭で生まれ、特筆した魔術も培ってない凡人さ。もしかして、がっかりさせちゃった?」
「い、いえ! そうではなくて、なら飛鳥さんはどうして魔術師を志したのかなって? 一般家庭で生まれ育ったのなら、魔術の才があっても別の道に進むのでは?」
ややもすれば失礼かもしれないと思ったが、由佳里は聞かずにはいられなかった。魔術に自信を持てない彼女からすると、非才だと分かっていながら、その道を歩む飛鳥は異端に映った。どうしてあえて険しい道を選んだのか、理由が知りたかったのだ。
由佳里の真剣な表情を見て、飛鳥は少しだけ考える素振りを見せた。
「自分になら出来ると思ったから、かもね。一流の……他に並ぶものが居ない程の術者になれると、他でもない自分が思ったからかな」
「え? でも才能がないって、さっき仰ってたじゃないですか?」
才能がないのに、最高峰の魔術師になれると思った。そう返した飛鳥の論理が、由佳里には到底理解できない。
「僕は自分のことを信頼している。他の誰よりも理解して、頼りにして、そして信じている。もし僕に才能があるとすれば、それは『自分を信じること』にあると思うよ。人は騙せても、自分を騙すことは難しいからね」
自分が出来ると思えば、出来ないことはない、と彼は言った。魔術というのは血統や才能が物を言う世界であり、彼もそれを理解しているだろう。
それを踏まえた上での言葉に、由佳里は度肝を抜かれる他なかった。
「自分を信じる、ですか。私には出来そうにありません。出来もしないことを騙って無理をすれば、きっとそれは全部自分に返ってくると思います。周りを不幸にし、本人はもっと悲惨な末路を辿る。そんな気がしてなりません……」
怖いという感情で満たされる。自分の度量以上の事を望み、血の滲むような努力の末、その高みに辿り着けなかった時の徒労感、無力感。それがたまらなく恐ろしい。夢が叶わず絶望を抱くより、始めから現実と向き合う方が幸せなのではないだろうか。
それを何の事もないと述べる飛鳥は、やはり変わらず大物に見えて仕方なかった。
「私、才能がなくても……飛鳥さんなら、一流の魔術師になれると思います」
それは自然と出た言葉だった。
だが飛鳥はこれまで見たことない顔になった。飄々とした印象が鳴りを潜め、目をパチクリさせている。どうも彼に珍しく、予想もしない発言だったようだ。
「これは嬉しいこと言ってくれるね。そんなこと言われたことなかったからね。うん、由佳里ちゃんみたいな可愛い女の子にそう言われたら、何が何でもならなきゃなあ……」
彼は頭をガシガシ掻いて、明後日の方を向いてしまった。どうやら意表を突くことが出来たらしい。今まで驚かさせるばかりだったが、お返しができたと分かって顔が綻んだ。
するとエミリアが傍らで耳打ちした。
「由佳里ちゃん、コイツと関わっても良いことナシよ。嘘つき馬鹿なんだから、失望させられるだけ。付き合うだけ時間の無駄よ」
耳打ちする割には大きな声だったが、由佳里は疑問を抱いた。
「ならエミリアさんはどうして飛鳥さんと仲が良いんですか?」
「え、それは……」
「由佳里ちゃん、それは野暮ってもんだよ。どう考えても、エミリアちゃんは僕に気があるに決まってるんだから、詮索はあまりにも可哀想さ」
「水銀飲ませるぞ! あのね、私は監視してるのよ。コイツが悪さをしないようにね」
ケラケラと笑う飛鳥を尻目に、エミリアは由佳里の肩を掴んで力説した。
「あなたにもいずれ分かるわ。コイツは悪党なの。私はずっと前にコイツがどんな人間かを知って、それはもう驚愕したものよ。無論、悪い方にね」
握りこぶしを作って語る彼女の目には、ありありと嫌気が現れていた。どうやら考えるだけでも不快らしく、彼女は話を打ち切ってサッサと前に行ってしまった。
「やれやれ、嫉妬とは怖いもんだぜ」
悪びれた様子もない飛鳥は、軽い足取りでエミリアの後を追う。
やはり小林飛鳥という少年は只者ではないようだ。エミリア、立花、はてまた昴までもが彼に関心を持っていることは明らかだ。事情はそれぞれ異なるが。
そして当の由佳里も、彼に興味を持ってしまっている。彼が何をするのか、どんな人間なのか、もっと知りたくなってしまう。
彼女の両眼の魔道は、彼の波乱に満ちた未来を、朧げにだが捉えていた。