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5話 逃がさないと人は言う

「荷物届けてやろうと思ったら、早速これだもんな。全く、油断も隙もありゃしねーな」


 部屋の中に入り呆れたような口調でそう言った少年は、大袈裟に溜息をついて見せる。

 五老の一人だとわかってはいるが、改めて顔を合わせてもマツラには生意気な子供にしか見えなかった。


「私は別に逃げるつもりなんか無かったわ!」


 言い返せば、少年は胡散臭そうにマツラを見上げる。


「どうだかね」


 むっとして口を結んだマツラを一瞥して、彼は肩に掛けていた鞄を床におろす。

 見覚えのあるそれは、受験会場に忘れてきたマツラの鞄だった。


「これ、マツラのだろ。木の五老モク様が直々に届けてやったんだから感謝しろよ?」

「…あなたが木の五老なんですね。届けてくださりありがとうございます。感謝します」


 手元にあれば、と思っていた物が届けられた事はとてもありがたい。

 だが彼の言葉は明らかに一言多い。

 マツラの感謝の言葉には隠しようのない棘が含まれていた。


「じゃ、渡すもん渡したし、俺もう行くから。逃げようとか思わずに、大人しくしとけよ?」


 モクはマツラを指さして釘を刺すと、部屋を出ようとする。


「ちょっと待って!」


 扉に手をかけた少年に、マツラは慌てて声をかけた。


「師匠はどこ? せめて師匠とくらい会わせてほしいんです」


 マツラの言葉に足を止めたモクは面倒そうに振り返ると、無駄だとばかり手を振った。


「ケムリと会って何を話すつもりだ? ニチの言った事忘れたのかよ。師匠とはいえ、ケムリには何もできないぞ」

「そんな事…実際に私が何もできない事を知ったら、五老だって考えが変わるかもしれないわ」


 いくら本当の事でも、自分でそれを言うのは悔しい。

 だが、実際にそうなのだ。

 自分の力量は自分が一番わかっている。

 たとえばこれが数年後、もっと魔術師として経験を積んで自分に自信を持てている時なら話は違ったかもしれない。

 けれど今の自分では、無理だ。

 今すぐに魔王を倒すのなら、五老はもっと知識も経験も豊富な魔術師を選ぶべきだ。


 マツラの言葉に、モクは今更だと鼻で笑う。


「知ってるよ。ケムリからマツラの技量はちゃんと聞いたから」


 木の五老の言葉にマツラは言葉を失って固まる。


「けどさ、大勢の人たちはそんな事は知らないんだよ」


 緑眼の娘は、級位など関係なく最強の魔術師だと思うだろう。

 最高の力をもつ、生まれながらの魔法使いだと信じている。

 事実、マツラが魔王を撃退したという現場にいた初級魔術師たちはそう思ったはずだ。

 自分達と同じ初級でありながら、魔王に対抗できる力をもつ魔術師だと。


「マツラ・ワカは緑眼の持ち主で、魔王に対抗できうる力を持ってるって、みんな信じてる。講堂での魔法が失敗だとは思ってないし、緑眼の娘がろくに魔法も使えないポンコツだなんて夢にも思ってないんだから」


 ポンコツ。


 モクの言葉がマツラの頭を殴った。

 反論の言葉は単語すら出てこない。

 事実マツラの魔法は不安定この上ないのだから。


「もう街の中でも魔王が現れたって噂が広まりつつあるんだ。もちろん、マツラの事だって。今はまだ下位の受験者を講堂に待機させてるけど、最初に予定してた試験終了の時間になったら解放する。そこからが、勝負だ」


 試験会場で起こった事は瞬く間にダケ・コシじゅうに広まるだろう。

 マツラの存在は、魔術師たちに認知される事になる。


「五老は昇位試験の対応と、魔王討伐についての声明を発表する予定になってる」

「昇位試験! どうなるんですか? 仕切り直しはいつです!?」

「無いよ」

「え?」


 本来の目的だったものがモクの口から発せられ、勢いよく経過を訪ねたマツラに返ってきた返事はひどくあっさりしていた。


「無い…?」

「そう。今年の昇位試験は中止。できる訳ないじゃん、この状況で」


 告げられた言葉に、マツラは頭を抱えたくなる。よりにもよって、中止。

 延期ではなく、中止。

 悪い事は続くのだ。年に一度のチャンスは砕け散ってしまった。

 残念だったな、とモクは憐れむ視線を投げかける。


「まあ、悪い知らせばっかりじゃあカワイソーだから、いい知らせも教えてやるよ」

「…あるんですか、いい知らせなんて」


 ダケ・コシに来てからこっち、いい事なんて全然無かった。

 素直にモクの言葉を信じる事のできないマツラは、疑いの視線を向ける。


「あるさ。マツラやケムリにとっては良い知らせじゃないのか? ツツジが戻って来るぞ」


 前触れなく出てきた兄弟子の名前にマツラは瞬きをする。

 隣国グランディスへ長期任務で派遣されている兄弟子の任期は二年間だった。まだその任期の半分も経っていない。

 疑問を察したのか、モクは腕を組んでマツラを見上げる。


「国外で任務についている魔術師は、上位魔術師を除いて原則帰国させる事になったんだ。特に、グランディスにいる奴らはね」


 武術国と呼ばれるグランディスでは、フィラシエルを敵対視する思想が強くなっている。

 情勢を見極めるためにもと、五老はグランディス各地に魔術師を派遣して情報を集めていたが、五老は彼らをこのまま彼の地に滞在させる事は危険だと判断した。

 魔王の件が広まれば、グランディスでも何が起こるかわからない。


「まあ、実際帰国する人間のほうが少ないんだけどさ。ちょっとは元気出たか?」

「…元気、というか」


 ツツジの帰国は喜びの中で聞きたい知らせだった。

 何もかもが急すぎる。

 今ごろ、彼もきっとこの状況に混乱しているに違いない。

 唇を噛むマツラに、モクは再び溜息をつく。


「なにを思ってるかは知らないけど、数日のうちに王宮の魔術師がダケ・コシに来るはずだ。俺ら魔術師は、全力で魔王を叩く準備を始める」


 何か起こる前に。隣国からの干渉が入ってくる前に。

 混乱が生じる事は避けられないだろうが、魔王や、好戦的なグランディスの人間に好き勝手はさせない。

 魔王を叩く、その指揮をとるのは自分たち五老だ。


 子供ながらに精一杯低く出したのだと察することのできる声は、子供が口にするには不似合いなものだった。

 そのせいで、余計に生意気な少年に見えてしまう。


「めちゃくちゃだわ…その計画の中には私だって含まれてる。無理だって、言っているのに」

「無理じゃない。逆だ。マツラじゃないとできない事なんだから。そして、誰もが望んでいる事なんだ」


 マツラでないとできない。


 その言葉は呪いだ。

 マツラは似た言葉を知っている。

 ずっと前に繰り返された言葉がじわりと胸に蘇る。

 果たして、それは正しく自分の望みだったのか。今となってはわからないけれど、その言葉は良くも悪くも背中を押す力になる。


「私は…」


 知っている。

 繰り返された先にでは、楽しみすら義務に変わってしまうという事を。


 黙り込んだマツラと窓の外を見比べたモクは頷くとマツラに一歩近づく。


「修業を始めて長くないし、まだ初級だし、自信が持てないのは仕方ないよ。でも、みんなマツラに期待してるし、マツラならできるって応援してる。それを、教えてやる」


 たいして大きさの変わらない手が、マツラの手首を掴んだ。

 行くぞ、と引っ張る力は思いの他強く、驚いて踏みとどまろうとするマツラに、モクは強い調子で言い放った。


「扉の魔法は俺がいるから問題ない。行こう」

「行くって…どこに連れて行くつもり!?」

「行ったらわかる」


 抵抗しながら尋ねれば、大きな目がまっすぐにマツラを見上げた。

 小柄な少年から放たれる圧力に唾を飲む。

 いくら子供だとはいえ、目の前の相手は魔術師たちを束ねる“五老”の一人なのだ。


「い、嫌、です」

「いいから来るんだ。来なきゃいけない。じゃないと後悔する事になる」


 何か悪い予感がする。

 ここで彼のいう事を聞いてはいけないのではないか?


 しかし彼女が怯んだ隙をモクは見逃さなかった。

 いいから行くぞ、と木の五老に引き摺られるようにして、マツラは彼女を閉じこめるための客室から連れ出された。

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