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2話 刺さる棘

 静寂の後に戻ってきたのは、不安と恐怖のざわめきだった。

 身体を潰されるような圧から解放された魔術師の卵たちは、床に座り込み、またはふらつきながら立ち上がって互いに顔を見合わせる。


「魔王って何? 魔王はミウ・ナカサが封印したんでしょ?」

「どうして魔王がここに来るんだ。試験の一環だよ」

「それじゃあ、今のが実技試験か?」

「私たち、何もできなかった。もう不合格決定じゃない!!」

「でも昇位試験だからって、あんな怖い目にあう必要、ある?」


 混ざり合って講堂を埋める感情は、戸惑いや、怒りや恐怖だ。

 混乱する彼らの声は次第に大きくなり、そしてその中の誰かがマツラを指さした。


「あの子だけ有利じゃない! こんなのが昇位試験だなんて認めないわ!!」


 ひときわ鮮明に響いた声に、びくりとしてそちらを見れば、マツラよりも少し年下の少女が怒りに燃える瞳をこちらに向けていた。

 思わずたじろいだマツラに、彼女は続ける。


「あんた、五老に取り入ったんじゃないの!? 緑眼はミウ様だけの物なんだから! 本物かどうかもわからない緑眼で! そんな嘘、すぐにばれるんだからね!!」

「わ、私は…」


 唐突に向けられる純粋な怒りに、マツラはただ彼女を見る事しかできなかった。

 少女だけでなく、周囲の受験者たちの視線がマツラに集まる。

 まるで、講堂じゅうの負の感情が自分に集まっているようだった。

 恐れと不安と戸惑いに、今度は疑いの感情が混ざる。ここにマツラの味方はいないのだと言うように、「やっぱりニセモノなんだ」「嘘をついてまで何がしたいんだ」と呆れる声が聞こえてくる。

「どういうつもりなんだ」という怒鳴り声に、思わず肩がすくむ。


 ここに、味方は誰もいない。


 いつも助言を与えてくれる師匠は、控室だ。

 向けられる視線が、ナイフのように突き刺さる。とても痛くて、重くて、苦しい。

 いますぐにでも逃げ出したくなるような視線に、マツラは目を伏せて唇を噛んだ。


 嘘じゃない。

 この両目はずっとこの緑だった。

 偽物でもなければ、何かを仕組んだ訳でもない。


 言葉は、果たして彼らの耳に入るだろうか。


 五老に取り入るなんてあり得ない。

 面識もない魔術師のトップに、何をどうすれば取り入る事ができるのだろう。


 言ったところで、一蹴されるのがオチかもしれない。

 誰もがマツラを胡散臭そうに見ている中、本当の事を信じてくれる人は、いつのだろうか?

 また嘘だと言われたら…?


 そう思うと、声を発する事がひどく難しく感じてくる。

 喉まで出てきた言葉にマツラが蓋をした時、刺さる視線から彼女を救い出すように声があがった。


「静かになさい!」


 若い魔術師たちの声を掻き消して響いたのは、女の声。

 見れば、試験官の中のひとり、長い髪の女性が講堂の中を見回していた。


「的確な術を行う上で、冷静さを欠く事は致命的な失敗を招きますよ」


 穏やかな、けれど今の講堂の混乱を非難する言葉に、マツラを指さした少女が再び声をあげる。


「じゃあ、やっぱり今のが実技試験だったって事ですか! スイ様!!」


 その言葉で、マツラはその女性試験官が水の五老、スイだったのだと知る。

 魔術師たちを束ねる指導者、五人の老魔術師、通称五老。

 それぞれ火、水、土、風、木の属性を司る五老は、年齢も性別もばらばらだと聞いていた。

 てっきり年老いた魔術師を予想していたマツラは、スイがまだ若い女性だった事に驚いて、彼女を見つめた。


「過去の事例において、五老が昇位試験の日程、内容を事前の通知なく変えた事がありましたか? 記録を見れば、簡単にわかる事よ」


 興奮している少女をしっかりと見据えて、スイは軽く腕を広げる。


「それを調べれば、今の出来事が実技でなかった事は、一目瞭然です」


 彼女の言葉は、講堂の受験者たちにとって救いの一言であり、また最悪の一言でもあった。

 昔話に出てくる魔王が。最強の魔術師に封印された存在が、今再び現れた。

 水の五老の言葉は、それを肯定しているのだ。

 我が事でなければ、これから冒険が始まる予感のする、胸躍る話だと思うかもしれない。

 けれど彼らは魔王を名乗る男の登場から、彼が去るまでの一部始終を見ていた。

 刃向かう事どころか、立ち上がる事さえ許さない圧を、まさにその身体で体感した直後だった。


「仕組まれた昇位試験だって言われたほうが、まだましだ」


 誰かがぽつりと言った言葉に触発されたように、一瞬収まったざわめきが再び大きくなる。

 どうしよう、と泣き出す受験者もいる中で、スイの横に立つ小柄な老婆が追い打ちをかけるように口を開いた。


「不安にさせた事は詫びよう。しかし、今の出来事は真実、我々の計画外の事だ。だからこそ、お前たちには落ち着いてもらわねばならないんだよ」


 今この場にいたのが、初級魔術師ばかりでなかったのなら、事態はもっと違っていただろう。

 けれど、よりにもよって、修行を始めたばかりの若い魔術師ばかりがいる場所で事は起こってしまった。

 経験の浅い魔術師たちの不安は大きく、混乱は更なる混乱を呼ぶ。


 鋭い目でマツラたちを見る老婆は、さっきマツラに「ぶっとばせ」と命令をした試験管だった。

 彼女は、威厳に満ちた声で言う。


「次の指示がくるまで、お前たちはこの講堂に待機だ。頼れる師に会いに行きたい気持ちはわかるが、今は我慢しておくれ。大丈夫、試験管はここに残すからね。彼らも上位魔術師だ。お前たちの師に負けず劣らず頼りになる」


 続けて、老婆の視線がぴたりとマツラを捕らえた。


「ただしマツラ。あんたは、あたしらとおいで。話を聞きたいからね」


 名前を呼ばれ、身体が固まる。

 ただの上位魔術師ではない。小柄な身体から漂う風格で、それだけはわかる。

 皺だらけの顔の中で、鋭い視線を放つ瞳は、彼女が長いこと第一線で戦っている魔術師なのだと伺い知ることができた。

 そしてマツラの頭に思い浮かんだのは、火の五老ニチの名前だった。

 現五老の中でもっとも年長者であるニチならば、水の五老と共にこの場を取り仕切る魔術師としてぴたりと収まる。


「返事はどうした?」


 再び投げかけられた声に、かろうじて返事をして、マツラは荷物を抱えようと足下を見た。

 しかし、あったはずの荷物は、さっきの騒動でどこかへ飛ばされ、跡形もない。

 数度瞬きをしたあと、仕方がないと息をついて、マツラは先に出ていった水の五老スイと小柄な老婆を追いかけ試験会場を後にした。


 最後の最後、ドアをくぐるその時まで、マツラに刺さる視線は変わらなかった。

 どこか遠くで聞こえた「どんな美女かと思ったら、ただの地味な田舎娘じゃないか」という言葉が思いの外胸に刺さった。


 伝説の魔術師、ミウ・ナカサは美しい緑の瞳をした美女だったらしい。

 だからといって、マツラまでが美女であるはずもない。

 ほんの短い時間だったとはいえ、好き勝手言った挙げ句、地味な田舎娘とは言ってくれる。

 緑眼というだけでその持ち主は美女だという勝手な妄想に、つきあってなどいられない。

 そうは思っていても、理解する事と受け入れる事は微妙に違うようで、どこかばかにしたような、あるいは落胆したような言葉は、あの少女の強烈な怒りに満ちた「嘘」という言葉と共に、しばらくは忘れられそうになかった。


 講堂を出て、ドアを閉める。

 耳に刺さるざわめきが消えたとたん、マツラは肩の力がすとんと抜けるのを感じた。

 ただでさえ、昇位試験だと緊張していたところにさっきの出来事だ。

 自分で思う以上に精神は張りつめていたようだと、深く息を吐く。

 老婆の意図が何であれ、あの中から出ることができたのは助かった。何より、誰も援軍がいない中、平然と講堂に残るだけの気概は持ち合わせてはいない。

 いや、援軍がいたとしても無理かもしれない。

 大勢の怒りや悪意を向けられる事が、ああも苦しいものだと知ってしまったからには耐えられそうにもなかった。

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