屠るべき魂
息を切らし、指定された倉庫前にやって来た琴羽。
「あれ…マジコ、どこにいるの?」
倉庫の周辺を見渡すが、好美の姿は見当たらない。
突然、何かが跳ねる音が聞こえた。
驚いた琴羽が音の聞こえた方を見ると、そこにはサッカーボールが。
その周りには誰もいない。
そのサッカーボールに気を取られていた時だった。
「 ーー⁉︎」
背後から地を駆ける音が聞こえ、琴羽が咄嗟に振り返ると…
目の前に両眼を白く染めた好美が迫っていた‼︎
『死ね、伏間っ‼︎』
例の複数重声を放ち、振り被っていた右手を琴羽に向かって思い切り振り下ろす。
「きゃっっ‼︎」
間一髪身を躱した琴羽だったが、左腕に4本の切り傷が生まれ血が流れ出す。
「痛ッ…!何なの、コレ⁉︎」
よく見ると好美の爪が異常な程長く伸び、まるで鋭い鉤爪のようになっていた。
その爪先から滴る鮮血。それは間違いなく自分の物だと琴羽はすぐに悟った。
「マジコ、一体どうしたの!
なんでこんな事するの⁉︎答えて‼︎」
『マジコ?フン、この女の事か。
コイツはお前と仲が良いからな。
こうやって憑依し、利用させてもらってるのさ。その理由がわかるか?』
爪に付着した血を舐める好美。
琴羽は傷を右手で抑え出血を緩和しようとするが、傷は思ったより深く、血が溢れてくる。
「そんなのわかんないよ!」
『至って単純さ。お前の身近な人間に取り憑いて襲う事で、何の関わりも無い人間と比べてより精神的苦痛を与える事が出来る…
そして反撃すらも躊躇ってしまう。
実に、人間の心理的盲点を突いた素晴らしい戦略だと思わないか?』
「何が素晴らしい、よ…!
ただのクズだわ‼︎」
長く伸びた爪を掲げて、琴羽ににじり寄る好美。
それに合わせてゆっくりと後退する琴羽。
『そう、私はクズだ。それは認める…
だが、私を見捨てて逃げたお前はそれ以上のクズなんだよ!』
急に口調を荒げる好美。
そこで、琴羽の疑念が確信に変わる。
「あなたはもしや、1週間前に亡くなった…」
『そう!あの時、お前の目の前で倒れた女子部員だよ!私は心臓発作で倒れた…心臓マッサージのおかげで一時的に持ちこたえたが、意識は戻らなかった…あのまま続けていれば蘇生出来たものを、貴様は途中で止めて逃げ出した!
つまり、お前が殺したも同然なんだよ‼︎』
「違う!私の力だけじゃどうにもならないと思って、助けを呼びに行っただけなの‼︎
その時は周りに誰もいなかったし、スマホは更衣室のロッカーに入れてたから救急車も呼べなかった…!
逃げ出したわけじゃない‼︎」
琴羽も強い口調で言い返す。
自分は決して間違った事をしたつもりはない。
だが、心に引っかかる何かがあった。
「そもそも心臓を患ってるのがわかってて、何で部活を続けてたのよ⁉︎
退部して大人しくしてれば、あんな事にはならなかったんじゃないの⁉︎」
『退部するつもりだったさ、大会が終わった後にね。私は本当にテニスが好きだったんだ…
だが、その僅かな望みさえもお前は奪い取った!
だから今度は私がお前の全てを奪ってやる。親を、友を、そして、お前自身の命をな‼︎』
「お母さんに取り憑いたのもアンタなんでしょ⁉︎」
『その通り。
でもやっぱり年増女の体は言う事効かないね!取り憑いてから意識を乗っ取るまで丸一日もかかったんだから』
「じゃあ、昨日お母さんがグッタリしてたのは…⁉︎」
『そう、もうその時には既に憑いてたのさ』
「なんて奴なの…逆恨みもいいとこだわ…!」
ケラケラと不気味に笑い、さらに距離を詰める好美。
堪らず後退する琴羽だが、背中に何かがぶつかる。
もう、そこは壁だった。
『お喋りはここまでにしよう。最期に何か言い残すことは無いか?見殺し女め』
鋭い鉤爪を琴羽の喉元に突き立て、ニタリと微笑む好美。
その胸は、片方だけ不自然な巨乳。
先程琴羽が渡した小瓶が胸ポケットに入っているからだ。
反撃を受けるのを覚悟で取り上げる事も出来たが、肝心の『瓶を開ける』という事が出来なかった。
母親の時みたいにコルクに爪を突き刺させて…という方法も思いついたが、そう何度も上手くいくとは限らない。
しかも好美は両手に鉤爪を備えているのだ。例え片手の鉤爪をコルクで封じたとしても、反対側の手の鉤爪でやられるのは明白だった。
『何もないようだな。
さあ、その憎らしい顔をズタズタに引き裂いてやろうか‼︎』
「……‼︎」
鉤爪を振り上げる好美の足に何かが当たる。
好美が足元を見ると、転がるサッカーボールが目に映った。
その先には、銀髪の少女。
『キサマか…邪魔をしたのは』
互いに睨み合う少女と好美。
どうやら霊からは少女の姿は見えるらしい。
「もうこれ以上、好きにはさせないわ」
『クソガキが…伏間を殺ったら次はお前だ』
そう言い、琴羽の方に目線を戻した時には、既に彼女はいなくなっていた。
好美が少女に気を取られている隙に逃げ出したのだ。
『チッ逃げ足だけは速い奴め』
好美は両手の鉤爪をこすり合わせながら琴羽を探し始める…。
「ハァ、ハァ…
とりあえず、ここにいれば…」
体育館裏の倉庫内に逃げ込んだ琴羽は、物陰に隠れ息を整える。
少しだけ顔を覗かせ、好美が追ってこないのを確認しホッとしたその時。
「ひゃっ⁉︎」
突然背後から腕を掴まれる。
咄嗟に振り返ると、銀髪の少女が立っていた。
「あなたなの…もう、脅かさないでよね」
少し間をおき、ハッとして少女の顔を見る。
「てゆうか、何で私の居場所がわかったの?」
「霊視といって、一度記憶した人物ならどこへ移動しようが居場所を特定できるの。
これは私のみならず、霊体は全てこの能力を持ってる。
もちろん、アイツも例外じゃないわ」
「じゃあ、私がここにいるってのも…」
「全て筒抜けってわけね」
その瞬間、琴羽の顔に戦慄が走る。
この場所がバレている。隠れたつもりが、知らず知らずのうちに自分を窮地に立たせていたことに彼女は恐怖した。
「ど、どうしよう…
そうそう、塩よ!塩はまだあるの⁉︎」
「ごめんなさい、昨日あなたに渡した2つが最後だったの」
「そんな…じゃあ、マジコの服にあるのが最後の1本ってわけ⁉︎
でも迂闊に近寄れないし、奪い取るなんて無理!万事休すだよ‼︎」
頭を抱える琴羽を尻目に、少女は何かを思いついたように駆け出す。
そして、中身が入った一斗缶を持ってきた。
「それ、何?」
「床掃除用の液体洗剤よ。原液だから、このまま撒けば相当滑るはず」
「え?滑るって…一体何をするつもりなの?」
少女の思惑が感じ取れず、困惑する琴羽。
「何も奪い取る必要なんてないわ。
要するに、塩が彼女の身体にかかればいいのよ。少し怪我はさせちゃうかもしれないけどね…
でも、きっと上手くやってみせるから。
私を信じて欲しい!」
力強く頷く琴羽。
少女は一斗缶の蓋を開け、中身を床に流し始めた。
その直後に開かれる倉庫の扉。
開けたのはもちろん悪霊が憑いた好美その人である。
『おい、出てこい伏間!
ここにいるのはわかっている…
逃げられると思ったら大間違いだ‼︎』
「私はここよ‼︎」
鉤爪を鳴らしながら倉庫内に入ってくる好美の前に琴羽が現れる。
「悪いけど、アンタなんかに私は殺せない。殺せるものなら殺してみなさいよ‼︎」
『フン、ならばお望み通りにブチ殺してやるわぁ‼︎』
琴羽の挑発に乗った好美が鉤爪を構え駆け出し、床に広がった液体を踏んだその時。
『 ーー⁉︎⁉︎』
足を滑らせ、正面から床に倒れこむ好美。
好美の胸が床に押し潰された時、何かが割れる音がした。
割れたのは、御清め塩が入った例の小瓶。
その直後、胸部から飛び出した塩が好美の顔や首に付着した時。
「出たわよ!」
少女の声と共に、グッタリとした好美の身体から霧のような気体が発生する。
そう、琴羽の母親の時と同じ現象が起きたのだ。
「悪霊め、ついに正体を現したね!」
『クッ、ふざけやがって…。
まあいい、この身体は塩がかかったのでもう使い物にならん。
こうなったら、直接お前の身体に取り憑いてやる‼︎
そして適当に自殺でもすれば、結果的にお前は死ぬのだからな‼︎』
霧状の霊体になった悪霊から発される声。
それはまるで直接脳を刺すような、嫌悪感に溢れた声だった。
「コレを使って‼︎」
「え、コレって⁉︎」
少女が琴羽に棒状の物体を投げ渡す。それは、あの屠刃だった。
「どうやって使えっていうの⁉︎
だって抜刀すら出来ないのよ⁉︎」
「いいから抜くの‼︎取り憑かれたら最後、100%あなたは死ぬ‼︎
やるしかないのよ‼︎‼︎」
あたふたする琴羽に降り注ぐ少女の怒号。
悪霊は琴羽に狙いを定め、飛びかかる。
『さよならだ伏間ぁ‼︎』
「お願い、抜けて…‼︎」
歯をくいしばり力を込める琴羽。
すると、柄が鞘口からゆっくりと離れ…
白銀の刀身が露わになった!
「もういい加減に、あの世へ逝きなさい‼︎」
眼前に迫った悪霊に向かって、まるでテニスのスマッシュを放つ時のような動きで刀身を思い切り振り切る琴羽。
悪霊の霊体は真っ二つに斬り裂かれ、耳を劈くような悲鳴を上げながら消滅していった。
「や、やっ…た…?」
「お見事だわ。無事、屠霊完了ね」
一安心してへたり込んだ琴羽に、少女が小さく拍手をする。
「そうだ、マジコっ」
急いで立ち上がり倒れた好美の身体を抱き起こす琴羽。
その好美の服の胸部分には血が滲んでいた。
小瓶が割れた際に破片が刺さったのだろう。
「ごめん、ごめんね、マジコ…
あなたまで巻き込んじゃって…!」
琴羽の頰に伝わる涙。
気を失った好美の胸に耳を当てると、確かに聞こえる鼓動音。
…大丈夫、生きている。
それを確認して、安堵した琴羽はさらに嗚咽を漏らし好美の身体を強く抱き締める。
そして琴羽が気付いた時には、銀髪の少女は姿を消していた。
その日の夕方。
亡くなった女子部員の家を訪れた琴羽が、真顔で写る彼女の遺影が掲げられた仏壇に線香を供えて合掌する。
(私、あなたの分までテニス頑張るから。だから天国から見守っていてください。
私が死んだらあなたの元へ必ず謝りに行きます。そしてまた一緒にラリーしようね…!)
目を閉じ強く念じる琴羽。
そして立ち上がり、ふと遺影を見ると…
心なしか、彼女の顔が微笑んでいたような気がした…
つづく