/10/常山明葉
それから雨の日を除くほぼ毎日、帰り道には例の猫と遭遇した。
帰り道でなくとも、一度帰って餌を与えに行く事もある。
今日は一度家に帰ってから、俺は鮭缶を持って野良猫の所に向かった。
冬も近く、帰ってから外に出るともう夕日がでかでかと空に映っていた。
「まーおー!」
「んー?」
臆面もなく俺の名前を呼ぶ女性の声がする。
振り返ってみると、小走りで駆け寄ってくる幼馴染がいた。
私生活の範囲で俺の事を呼ぶ女子なんて和子しかいない。
「うへぇ、疲れたぁ……」
「走ってこなくてもいいのに……四足歩行とかで来いよ」
「あぁ、うん、もっと疲れる……」
リアクションが薄いあたり、本当に疲れてるらしい。
というのも、膝に手をついてぜぇぜぇと息してるから見りゃわかるが。
「はぁ……ふぅ、落ち着いたっ」
「はいはい。早く行こうぜ、陽が暮れちまう」
「そうだね~」
赤みのある空の下、住宅に囲まれた小道を並んで歩いた。
「ねぇねぇ。今日の私、どう?」
「いつも通りバカだな」
「そうじゃなくて、いや、それも嫌だけども、そうじゃなくてさ!」
「うん?」
「……もうなんでもないです」
シュンとなった和子だが、まぁ言いたい事はわかってる。
真っ赤なタートルネックにベージュ色のコートを着込み、この寒い中、意味不明にも腿が見えるミニスカートを履いている。
「可愛いぞ」
「え!?」
「そこの壁が」
「……真和、それは病院に行った方が……」
「単なる比喩表現だよ。暗にお前が可愛いっつてんの。察しろよ」
「無理だよっ!?」
元気を取り戻したのか、大袈裟に腕を振るって反抗される。
やれやれ、最近の若い奴は頭が固いな。
「まぁまぁ、ライムに癒してもらえ」
「釈然としない……ふぐぅ……」
手も頭もだらりと下げ、上半身全部でふて腐り具合を表現する和子。
逆になんで俺に可愛いと言わせたい?
俺がそんな事まともに言うわけがないだろうが。
「ん……」
「どーしたよ?」
「先客がいらっしゃる」
「あ?」
ライムの居る住宅街の一角。
確かにそこには人がいた。
餌でもやってるのか、しゃがんだ背をこちらに向けて居る。
「……飼い主?」
「って言ってもわかんないよ」
「……そうだな」
わからないものは仕方がない。
取り敢えず俺たちは近寄ってみた。
少年との間が5mほどになると、足音に気付いたのか振り返った。
前髪が目にかかっていて見るからに内気そうな少年だった。
「……君たちは、誰?」
おどおどしながら訊かれる。
誰ってそれは俺が聞きたいところだ。
「お前こそ誰?まさかとは思うが、ひょっとして飼い主さん?」
「いや、違う、けど……」
違う、という事は俺たちと同じでただ遊んで居るだけの奴だろう。
「そうか、じゃあ俺らは仲間だな」
「へ?」
「仲間だ~♪」
間抜けな声を出す少年。
そんなに俺たちの仲間というのが気に食わんか?
……不名誉だな、うん。
「俺たちもそこの三毛猫に餌与えてるんだよ。お前もそうなんだろ?」
「え……うん……まぁ」
「それなら、仲間だ。俺は湖灘真和、仲良くしようぜ」
手を差し伸べる。
少年は訝しげにではあったが、握り返してくれた。
「よ、よろしく……」
少年は常山明葉というらしい。
俺たちと同じ中3だが、学校が違くて初対面だった。
彼は春あたりにライムを見つけ、それからずっと暇なときに遊んでいるという。
受験生だというのにそんな事でいいのか。
俺も同じだから俺はいいんだけどね。
「湖灘さんと遊仕さんはどういう関係なの?」
「幼馴染だなー。上下関係で言うなら和子は絶対俺を超えられない」
「明葉はそんな事訊いてるんじゃないでしょうが!あと、私の方が上だし。ぜーったい上だし」
「なんだか今日は空耳が酷いな。俺疲れてんのか……」
「ま、真和ぉお!?」
わざとらしく肩を竦めてみせる。
フッ、すぐにキレるようじゃ俺の上には立てんな。
「……仲良いね」
「真和が私の事苛めてるだけだよー……」
「それでも俺に取り付くんだから、お前も大概ドMだよな」
「私はMじゃなーーいっ!!」
「明葉、お前も和子を呼ぶときは“M子さん”でいいからな?遊仕さんは堅いだろ?」
「ウフフフフフフ……」
「な、なんか怖いから辞めとくよ……」
和子が目をギラつかせて途方もないオーラを醸し出した。
明葉も若干引いてるし、そろそろおふざけもやめよう。
「まぁ、和子は良いとして、だ」
「私が良くないんだけど!?」
「明葉、お前はライムの事なんて呼ぶんだ?」
「え?……あぁ」
俺たちの言うライム、それが三毛猫の事を指しているとはすぐにわかったらしい。
なんせ、ライムは今俺の胸元に居るから。
「普通に、猫って呼んでたよ」
「そうか……じゃあ統一性を図るためにライムって呼んでくれないか?どう?」
「……そんなことなら、勿論いいよ」
「美味そうだからって食うんじゃねぇぞ?」
「ニャッ!?」
「そんなことしないよっ……」
怯えたライムが俺の胸を飛び出し、和子の足元に収まった。
俺だって猫は食いたくない。
「気が合うな」
「え、なんで……?」
「……聞かなかったことにしてくれ」
「真和は変態だから無視していいよ。ねー?」
「ニャー♪」
「おいおい」
皆さん揃いも揃って変態扱いですか。
それなら俺にだって考えがある。
「和子。俺は変態で、本当にいいんだな?」
「え?な、なによ……」
「よし、明葉。ズボン脱がせてやる」
『!?』
皆が皆、俺から距離をとった。
なぜだ。
「……ねぇ、湖灘さん」
「うん?なんだ?」
「僕はそろそろ帰るよ」
「……んー」
気付けばもう陽が8割ぐらい落ちていた。
確かに、ここから先は夜の時間だ。
ガキは帰って寝なくては。
「じゃあ俺らも帰るよ。な?」
「うん。真和が帰るなら私も帰るよ」
「お前は俺のストーカーかよ。よし、お前は街半周して帰れ」
「やだよ~、疲れるし~」
「おぶってもらえ。ということで明葉、こいつ持って帰っていいぞ」
「い、いや、遠慮しときます……」
「真和って呼吸するように人権侵害するよねっ」
なぜか謗られつつ、俺は2人と1匹と別れる。
この日を境に、俺たち3人は親友と呼べるくらいに仲良くなった。
学校は違くとも放課後に会ったり、勉強したり、よくライムと戯れた。
「真和はどこの高校行くの?」
冬真っ盛りに3人と1匹で集まった時に明葉に尋ねられる。
名前で呼ばれるようになったあたり、信頼度が伺える。
「一番近いとこだよ。遠いのだるいし」
「そうなの?じゃあ僕もそこにするよ」
「えー!明葉頭良いじゃん!もっと上狙いなよー」
人の勝手なのに、和子が余計なおせっかいを入れる。
そんなんだからお前はいつまでも“遊仕さん”なんだ。
「んー、でも遊仕さんや真和と一緒が良いからさ。近いのも利点だし、良いんだ。それに、あそこだって中堅くらいの難しさだしね」
「うーん……でも、そっか。なんか別れなくて済むと思うと、ホッとするな~」
「え、いやぁ、そっか……あはは……」
「…………」
なんという面白くない光景であろう。
明葉がめちゃくちゃデレデレしているぞ。
もう見りゃわかるぐらいに。
ほら、俺もライムも黙ってるのに気付いてない。
「……なんか暑いな。明葉、コート貸せよ」
「え!?いや、やだよ、寒いし……」
「お前暑そうだけど?」
「そ、そんなことはないよ?」
「…………」
隠せてないぞ、盟友よ。
あーあー、いつの間に和子に惚れていたんだか俺にはまったくわかんねぇな。
しかし、“うちの娘はやらん!”って言うどこぞのお父さんの気持ちはあるな。
腐れ縁っぽいが、幼馴染だし。
「真和、なにブッスーってしてるの?眠い?」
「和子、俺は今宇宙の真理について考えているんだ。しばらく黙ってなさい」
「え……は、はい……?」
和子はそれから俺を無視し、明葉と喋ったり、さっきから無言のままのライムと遊んだりしていた。
時期、冬も過ぎるだろう。
もし明葉と和子が付き合ったりなんてしたら、俺たちはこの関係を保てるのであろうか……?
そして事件は起きる。
悪夢の始まりは、バレンタインの日からーー。
続く