たからばこ
限りなく広い机の上には、緑色のピエロがいてその緑色のピエロは、僕は緑色のピエロですと落ち着いた声で私に言った。
私はそんなことはもう十分にわかっていたので、ちらと目を向けただけでそれを無視した。
ピエロはしばらく黙っていたが、我慢できなくなったのかもう一度だけ言った。
そしてそれはとても事務的で、笑顔を売る飲食店の接客のようにそこに感情は見られなかった。
今度は目も向けずにそれを無視すると、ピエロはそれきり何も言わなかった。
何も言わなくなった緑色のピエロは、まるでただの人形のようにすまして座っている。音楽を聴こうとラジカセに手を伸ばすと、ピエロはまた勝手に話し始めた。ピエロの話すことはいちいち要領を得ていなく、決まっていつも退屈だ。かまわず音楽を流すと、その音に乗るようにピエロはつらつらとしゃべる。小さな音で流れている外国の音楽の中で、
「牛舎が燃えている」
ピエロは言った。
二枚の食パンと少し硬くなりすぎた目玉焼きを、眠くて仕方がない頭で出されるがままに食べている。
私の胃は目の前に出されたものをすっかり吸収してしまうことに専念していた。
すでに誰かによってつけられたテレビでは、焼けてボロボロになった牛舎の映像が映されている。
通学路のまっすぐに伸びた道路から見える牛舎が、昨日の夜のうちにすっかり燃えてしまったらしい。
牛舎の持ち主である老夫婦が静かに泣いている映像がキャスターの声とともに、淡々と流れている。
キャスターによると、火事のさなかに逃げ出した牛もいたようで、牛舎のある一帯は騒然としていたらしい。火元は老朽化した電気系統のショートなよるものと見られているようだ。日に焼けすぎて、薄汚いように真っ黒になったおじいさんは、過ぎてしまったことは仕方がないです。とカメラに向かってまっすぐに言った。
学校からの帰り道、いつもの道を反れて牛舎へと向かった。
牛舎と通学路の間には、幅の広い川が音をたてて流れている。織姫と彦星のように、私と牛舎は川を隔てて別れていた。けれど七夕の伝説とは異なり、年に一度だけ架るはずの赤い橋は、ずっと昔からそこにあったはずだった。毎日橋が架っていたとしても会う気がなければ、二人が会うことは永遠にないのだ。 そんなことを考えながら錆びて赤黒くなった橋を渡ると、牛舎は見えるものの、どう行ったらそこに行けるのかわからなくなってしまった。川を隔てた向こう側から見たときには見えなかった道が何本も目の前にある。どの道が牛舎へと続く道なのだろうか。
立ちすくんでいると、緑色のピエロのか細い声がすぐそばで聞こえた気がした。一番細い道をなんとなく歩き出すと、きっとこの道であっているという気がして足を早めた。
牛舎の前に着くと、トタンで出来た赤い屋根は大きく傾いて、一部は地面に突き刺さっていた。
まだ片付けられていない焼けた牛の死体が、黒ずんだ木材の中にさらに黒々と転がっている。
ずいぶん少ないところから見ると大半は片付けられたのだろう。
焼けてしまった牛はいったいどのようにして、誰が処分したのだろうか。
近くまで行く髪の毛が焦げたときのような重い臭いが鼻を突いて吐き気がした。同じ牛なのに焼肉の臭いとはぜんぜん違う。私のほかにも野次馬らしき人が数人いて、やっぱり焼肉とは違うななどと同じようなことを話していた。見回してみたが、テレビに映っていた真っ黒に日に焼けたおじいさんは見当たらなかった。
その代わりに、おじいさんの家族なのだろうか。
まだ三十代くらいの化粧化のない女の人が、燃え残ったのであろう木材を、傾いた屋根のすぐそばで燃やしていた。女の人は積み上げられた木材の前にしゃがみこんで、パチパチと燃える火をじっと見ていた。そこからくすんだ色の煙が風のい空へまっすぐと向かっている。時々、長い木材で火をかき回したりすると、女の人の広がった袖口がゆらゆらと揺れた。
その様子は、父の墓前に線香をあげる母の姿と重なって見えた。
私の部屋にしっかり座っている緑色のピエロは、僕は緑色のピエロですとわかりきったことはもう言わなかった。
目の下に大きく涙のペイントがしてあるにもかかわらず、その表情は少し自慢げに見えた。
いつもは勝手に話すくせに、私が話しかけても緑色のピエロは何も言わなかった。
ただ広い机の上に、広さを持て余して座っているだけだ。
私はピエロに気付かれないように、本当にそっと持ち上げると、空になったお菓子の缶の中に寝かせた。緑色のピエロを入れた缶からはバターの臭いが少しだけした。それでもピエロは何も言わなかった。やっぱりいつもと違うような気がする。もう緑色のピエロは緑色のピエロなんかじゃないのかもしれない。最後にもう一度話しかけて、返事がないことを確かめると、お菓子の缶のふたを静かに閉じた。
玄関を出てすぐの、申し訳程度にある庭には猫用の缶詰が転がっていた。
きっとまた、誰がが猫に餌をあげてそのままにしているのだろう。
足の裏で柔らかい土の部分を探して、スコップを使って丁寧に掘る。
少し掘っただけで、土は固くなってしまいお菓子の缶が入るには思ったよりも時間がかかった。
その間ずっと焼けた牛の処分の仕方について考えていた。
誰かが今もこうして土の中にその肉塊を埋めているのだろう。
今あけた穴の中に緑色のピエロの入った缶を入れると、掘り返した土をもう一度、穴の中にすっかり戻した。
そうしてみると、その下に緑色のピエロがそっと寝かされているなんて、まるでわからなくなってしまった。
緑色のピエロがが本当に土の中にいるのかもう一度掘り返して確かめたくなったが、やっぱり考えてやめておいた。埋められた緑色のピエロだった人形は、また要領を得ない話を暗闇の土の中でしているのかもしれないし、もう二度としないのかもしれない。なんにせよ真っ黒に日に焼けたおじいさんが言うように、いくら考えてもすべて過ぎてしまったことで、すべてはもう仕方がないことなのだ。
初めて吸ったタバコの火は、すぐに消えて白い部分だけが残った。