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第6話 〜資本金1億の会社爆誕〜

12月22日の夜、西村に電話した。


「書類が必要だ。印鑑証明書と身分証の写し。来週中に用意できるか」


「え、もうそんな段階なの」


「優秀な人に色々お願いしてるからな」


「……わかった。急いで準備するよ」

西村が少し笑った。


「代表取締役、本当に俺でいいんだな」


「お前でいい」


「……了解。任せろ」


電話を切った。


数日後、西村から書類が届いた。

印鑑証明書、運転免許証の写し、実印。

封筒の中に

「よろしく」

とだけ書いたメモが入っていた。


それを山下に渡した。


山下が確認して

「これで進められます」

と言った。


---


法務局での設立登記は、山下がほぼ代行してくれた。


「桐島さんはサインと印鑑さえ用意していただければ、あとはこちらで進めます」

と言った通りだった。


代表取締役・西村公輝の署名と印鑑は、山下が書類を西村のもとへ持参して取り付けてくれた。


手続きが進んでいる間も、毎朝の映像は変わらず来た。



競馬、競艇、競輪。種目は日によって違うが、やることは同じだ。


朝に映像を受け取って、時計で確かめて、賭けて、帰る。

外れたことは一度もない。

会社の設立手続きをしていようと、書類に署名をしていようと、能力は一切関係なく動き続けた。


*(これで1ヶ月半になる)*


”時計を拾った日”から数えると、もう50日近く経っていた。

 

その間、映像が来た日は1度も外れていない。

外れない事実が積み重なるほど

「いつか終わる」

という不安も積み重なる。


終わらないかもしれない。

でも終わるかもしれない。

どちらの根拠もない。


*(だから、動ける間は動く)*


手続き3日目。

定款の確認を終えてアパートに帰った夜、翌朝の映像に備えて早めに寝た。


朝5時過ぎに目が覚めて時計を握ると、中山競馬場の直線映像が来た。

黒鹿毛の8番が外から突き抜ける映像だった。

 

その日の第10レースに14万円を突っ込んで、払い戻しは912万円になった。


帰りの電車で、山下から

「定款の認証が完了しました」

というメッセージが届いていた。


その夜、山下から短いメッセージが来た。

「今日の払い戻し、受け取りました。処理します」。


競輪場で2日間を一緒に過ごして以来、山下はこういう連絡を欠かさなかった。

感想も余計なことも言わない。

ただ、確認して、動く。


*(信用できる人間だ)*


*(会社を作りながら稼いでいる。なんか変な感じだ)*


10日間で、約3,000万円が積み上がっていた。


*(資本金の1億とは別に、もう3,000万ある)*


*(悪くない)*


登記完了の連絡が来たのは、手続きを始めてから10日後だった。

山下から封筒が届いて、中に一枚の書類が入っていた。


KY Holdings 株式会社。


資本金、一億円。


本店所在地、東京都練馬区――。


*(会社ができた)*


書類をテーブルに置いて、ポケットから時計を取り出した。

翠色の金属が、薄暗い部屋の光を鈍く反射している。

握ると、いつもの温もりがあった。


*(お前のおかげだな)*


書類を眺めながら、しばらくそのまま座っていた。


感慨みたいなものが来るかと思ったが、来なかった。


来たのは、次にやることのリストだった。


*(法人口座。西村との正式な契約。事務所)*


*(全部、早く片付けたい)*


 書類をテーブルの端に置いて、スマートフォンを開いた。


---


法人口座の開設は、山下が言っていた通り、設立登記より手間がかかった。


「正直に申し上げます」

山下が事前に言った。


「資本金1億円が短期間で積み上がった資金というのは、銀行側から見れば出所の説明がつきにくい金です。

長年の事業収益や給与の蓄積ではない。

いわゆるタンス預金のような扱いになります。

通常であれば、大手のメガバンクでの口座開設はまず通りません」


「通常であれば、というのは」


山下が少し間を置いた。


「私が顔を利かせられる先が、一行あります」


山下の「顔が利く」という言葉が、どの程度の意味を持つのか、そのときはまだよくわかっていなかった。


登記完了から3日後、山下と2人で銀行を訪ねた。

都内の大手行の、支店ではなく本店だった。


案内されたのは、一般窓口ではなくコーポレート担当のフロアだった。

専用のエレベーターがあって、エレベーターを降りると応接室に通された。

ソファが柔らかくて、テーブルに花が置いてあった。


担当者が来た。

40代後半の、落ち着いた男だった。

名刺には「法人営業部 部長代理」と書いてあった。


山下と名刺を交わして、少し世間話をして、それから本題に入った。


「ご事業の内容を改めてお聞かせください」


俺が話した。

投資業、コンサルティング、不動産業。資本金1億円での設立。

今後の事業の方向性。


担当者は途中で遮らず、最後まで聞いた。

書類を確認して、また山下と何か話した。


「資金の出所については、こちらで確認書類をご準備いただければ問題ありません」と担当者が言った。「山下先生からのご紹介ですので」


そういうことか、と思った。


手続きは1週間で完了した。


メガバンクの法人口座が、KY Holdings の名義で開いた。


*(山下さんがいなかったら、これは通らなかったな)*


山下に礼を言うと「こういうことのために人脈というものがあります」とだけ言った。


*(そういう人間を採ったのは正解だった)*


銀行を出て、2人で歩いた。

山下が「今後の資金フローの話を少し確認させてください」と切り出した。


「競馬・競輪の払い戻し現金は引き続き私が受け取って処理します。

ギャンブルの収益を法人の売上として直接計上することは、会計上正直には難しい。

ただ、現在は受け取った現金を適切な形で法人に繋げる手続きを設計中です。

詳細はお伝えしません」


「わかりました」


「事業実態を作る観点から、今後は不動産への投資を早めに進めていただけると、法人の財務構造が安定します。

競馬・競輪の収益だけが表に見えている状態より、賃料収入というわかりやすい実績がある方が、銀行との関係も長く続けやすい」


「西村が動いてます。不動産会社の人間と連絡を取り始めているはずです」


「そうですか」

山下が少し頷いた。


「では、話が出てきたら早めに私にも見せてください。

収益性と財務上の整合性を確認してから動きましょう」


「わかりました」


しばらく2人で黙って歩いた。

信号で止まった。

冬の昼の光が薄くて、影が長かった。


「山下さん」


「はい」


「前の事務所を辞めてこっちに来るの、本当に大丈夫でしたか」


山下が少し間を置いた。

「大丈夫とはどういう意味ですか」


「長年積み上げてきたものを置いてくる、という判断について」


「それは後悔しています」

山下が静かに言った。


「というのは冗談ですが」


*(冗談を言った。山下さんが冗談を言った)*


「私が判断したことです。以上です」山下がそれだけ言って、先に歩き始めた。


*(そういう人だ)*


---


法人口座が開いた翌日、西村を呼び出した。


場所は銀座の静かなカフェだった。

山下がすでに席で待っていた。


西村が入ってきた。

外のコートについた冬の空気をまだまとったまま、山下を見て少し表情が明るくなった。


「あけましておめでとうございます」西村が言った。

「山下さんにも新年のご挨拶ができてよかった」


「こちらこそ。今年からよろしくお願いします」山下が軽く頭を下げた。


「遊馬にも一応」西村が俺を見た。

「あけましておめでとう」


「あけおめ」


「タンパクな返事だな」


*(なんて言えばいいんだ)*


「今年から、本格的によろしく頼む」


「おう!」

西村が笑った。


「山下さんです」

俺が言った。


「うちの取締役兼経理を引き受けてもらいました。今日、事務所に辞表を出してきたそうです」


西村がもう一度山下を見た。


「そういう形で会社に入ってくださるんですね」


「はい。よろしくお願いします」


「西村公輝です。代表取締役をやります。よろしくお願いします」


書類に署名をして、実印を押した段階で、何かが腹に落ちたのかもしれない。


山下が封筒をテーブルに置いて、中から書類を取り出した。


「今日は雇用契約書へのご署名と、今後の役割についてご説明できればと思っています」


会社の概要、事業内容、役員の構成。

一枚ずつめくりながら説明していく。


最初のページの右上に、会社名が印字されていた。


西村がそこで手を止めた。


「……KY Holdings?」


「ああ」


「KYって……」

西村が少し考えた。


「もしかして、公輝と悠真でKYか」


「....そうだよ」


 「最高じゃん」

西村が笑った。


*(……本当は自分の名前のイニシャルを取っただけなんだが)*


「社名に俺のイニシャルが入ってるなら、もう逃げられないな」


「最初から逃げられないようにしてある」


「腹黒いな」


山下が

「続けていいですか」

と静かに言った。

 

2人が黙った。


次のページが給与条件だった。


西村がそこで、また手を止めた。


「……山下さん、これ月給の欄なんですが」


「はい。240万円です」


「240万……」

西村がこちらを見た。


「200って言ってたじゃないか」


「200は最低ラインだ」


「最低ラインて何だよ」


「代表取締役の責任料だ」


「責任料て」


西村がしばらく書類を見つめた。

山下がペンを差し出した。


「ガチかよ」

西村が笑いながらペンを受け取った。


「わかった。やる。絶対やる」


西村がサインをした。

ペン先が走る音だけがした。

サインし終えた西村が、書類を見たままで少し静かになった。

 

数秒、何も言わなかった。


「……なんか、本当になってきた気がする」

西村がぽつりと言った。


「代表取締役」


「これからよろしくな、西村代表」


 「おう!」

西村が少し笑った。


KY Holdings の代表取締役と取締役兼経理が、正式に揃った瞬間だった。


---


カフェを出たのは夕方だった。


冬の日はすでに落ちていて、街灯が灯り始めていた。

西村と2人で駅へ向かいながら歩いた。


「なあ、遊馬」


「なんだ」


「山下さん、すごい人だな」


「だろ、仕事が早いし何でも解決してくれる」


「なんか、こう、本当にできる人って感じがする。俺みたいなのと一緒にやってくれるのか、ちょっと心配になってきた」


「心配するな。お前に山下さんと同じことをやれとは言っていない。お前はお前の仕事をすればいい」


「……そっか」

西村が少し息をついた。


「それもそうか」


少し間を置いて、西村がまた口を開いた。


「ていうか、事業の中身、俺まだちゃんと聞いてないんだけど」


「投資とコンサルティングと不動産だ。書類に書いてあった」


「そういう話じゃなくて」

西村が苦笑いした。


「実際何をするのかって話」


「おいおい話す」


「おいおいって……」


「月240万出す会社の話だ。悪い話ではないだろ」


「そりゃそうだけど」

西村が頭をかいた。


「まあ……お前が言うなら信じるか」


しばらく2人で黙って歩いた。


「遊馬」


「なんだ」


「本当にうまくいくのか、これ」


「うまくいく」


「根拠は」


「俺が稼ぎ続ける。それだけだ」


西村がしばらく黙っていた。

駅の改札が見えてきた。


「……まあ、信じるか。お前がそう言うなら」


「ああ」


改札まであと50メートルほどというところで、向かいから中年の男が歩いてきた。

スーツ姿で、首から社員証をぶら下げている。

どこかの会社の帰りらしかった。


すれ違いざま、西村がその男に声をかけた。


「あ、木村さん!」


男が足を止めた。

 

「……西村くん? 久しぶりだな、どうした」


「いやー、ちょっとこっちで打ち合わせがあって。木村さんは」


「俺も取引先で。今から帰りだよ」


「そうですか。最近、うちの店閉まっちゃったんですよね」

西村がさらっと言った。


「それで実は来月から新しいことを始めるんですけど、また改めてご挨拶させてください。名刺、新しいの刷ったら送ります」


「おう、そうか。何始めるんだ」


「投資とコンサルとかですね。まあ詳しくはまた」

西村が笑った。


「ともかく木村さんとはこれからも絡ませてください。よかったら今度飲みましょう」


「ああ、いいよ。連絡くれ」


男が歩き去っていった。

10秒もかからなかった。


*(……誰だ)*


「誰だ?」


「前の店の常連さん。不動産会社の部長。顔広いんだよ」

西村が何でもない顔で言った。


*(すれ違いながら名前を呼んで、名刺を約束して、飯の約束まで取り付けた)*


「ちなみに、事務所はどこにするんだ」


「ん?これから探す」


「会長の家がまだ練馬のボロアパートなのはどうにかしろよ」


「会長だ」


「だから会長って言ってるだろ」

西村が笑った。


「ボロアパートはまずいって」


*(まあ、そうだな)*


「わかったよ。引っ越す」


「早く動けよ」

西村が笑った。


「俺、代表取締役になったんだからな。会長がボロアパートじゃ示しがつかない」


改札でSuicaをかざした。

西村と反対方向のホームだった。


「また連絡する」


「ああ。よろしく頼む、西村代表」


「その呼び方やめろ」

西村が笑いながら改札を抜けた。


「くすぐったい」


*(調子に乗るのが早い)*


でも、悪い気はしなかった。


---


駅を出てから、少し遠回りして「ふくろう」に寄った。


暖簾をくぐると、福田さんが顔を上げた。


「あ、遊馬くん。久しぶりだね」


「10日ぶりくらいですかね」


「座りな」


カウンターの端の定位置に座って、生ビールを一杯だけ頼んだ。


今日は飲みすぎないつもりだった。

福田さんが何も聞かずに小鉢を出してくれた。

大根の煮物だった。


西村と山下と3人でカフェのテーブルに並んで書類にサインした今日と、この店のカウンターが、妙に遠い場所のことのように思えた。

 

でも同じ日の出来事だ。


*(変わらないな、この店は)*


「最近、いろいろあったんですか」

福田さんがコップを拭きながら言った。


「顔がなんか、前と違うなと思って」


「起業しました」


 福田さんの手が止まった。


「……起業」


「はい」


「いつの間に」


「少し前から動いていて、今日正式に書類が揃いました」


福田さんがしばらく黙っていた。

それから、「そうか」と言った。


それだけだった。


「驚かないんですか」


「驚くけど」

福田さんが笑った。


「まあ、うまくいくといいな」

福田さんが串を手に取った。


「飯ちゃんと食えてるか」


「食えてます。最近は外食が増えました」


「ならいい。」


和代さんが奥から顔を出した。

「遊馬くん、久しぶり。何かあった?」


「会社作ったみたいだよ」

福田さんが言った。


和代さんが少し目を丸くした。

「……会社。すごいじゃない」

それだけ言って、また奥に引っ込んだ。

 

しばらくして、焼き鳥を一皿持ってきてくれた。

「お祝いね」

とだけ言った。


*(この人たちは余計なことは聞いてこない)*


それがここの好きなところだった。

詮索しない。

でも気にかけている。

ビールを一口飲んだ。


一杯だけ飲んで、店を出た。夜の練馬の空気が冷たかった。


---


その夜、アパートに帰ってベッドに寝転んだ。


会社ができた。

口座ができた。

3人が揃った。


*(事務所も決めないといけない。引っ越しも)*


*(やることがまだたくさんある)*


それでも不思議と、焦る気持ちはなかった。


ひとつひとつ片付ければいい。

3万2千円と時計一個から始まったのだから、たいていのことは何とかなる気がしていた。

根拠はないが、そう思っていた。


スマートフォンを閉じようとしたとき、西村からメッセージが入った。


「今日知り合った木村さんって人、港区に面白い物件持ってるって言ってた。紹介してもらえそうだから、明日にでも連絡してみる」


*(早い)*


*(本当に早い)*


返信した。

「任せる」


既読がついて、すぐに「任せろ」と返ってきた。


明日の朝、また映像が来る。


この時計あっての会社だ。


*(稼ぎ続ける。それがすべての土台だ)*


---


**── 残高メモ ──**


| 資本金払い込み(個人口座→払込専用口座→法人資本金) | ▲約1億円 |

|:--|--:|

| 有馬記念収益計上(12/22・山下保管後処理) | **+約2,600万円** |

| 登記申請前の収益(11/17〜12/21・35日間、山下経由で法人計上) | **+約4,700万円** |

| 登記期間中の収益(12/23〜1/3・12日間、山下処理済み) | **+約3,000万円** |

| 法人口座開設前の収益(1/4〜1/5・山下保管後処理) | ▲修正なし |

| 生活費・外食(11/17〜1/5・約7週間) | ▲約40万円 ※個人負担 |

| 前話からの繰り越し | 約1億507万円 |

| 桐島遊馬 個人資金 | **約467万円** |

| **KY Holdings 法人口座** | **約2億300万円** |


---


*【第7話 へ続く】*

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