プロローグ 〜最低のグズの自己紹介から始めよう〜
俺の名前は桐島遊馬、28歳。
職業、無職。貯金、32,000円。
特技、負けること。
この3行で大体わかると思うが、正真正銘のクズだ。
パチンコで780万。
スロットで1,200万。
競馬で1,080万。
競艇で540万。
競輪で420万。
麻雀で300万。
合計、約4,320万円。
20歳から28歳の八年間で、それだけの金をギャンブルに溶かした。
*(……書いてみると、改めてすごい数字だな)*
まあ、才能だと思う。
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ただし1つだけ、言わせてほしいことがある。
俺はバカじゃない。
少なくとも、ずっとそう思ってきた。
数字の計算は人より速い。
確率の把握も得意だ。
負けた理由は毎回きちんと分析して、ノートに書き残してきた。
そのノートはもう十二冊ある。
それでも負け続けたのは、確実に勝てるという根拠のないまま賭け続けてきたからだ。
……と、まぁそんなものあるわけないんだが。
*(……我ながら、どうかしていると思う)*
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始まりは大学一年のときだった。
友人に誘われてパチンコ屋へ行き、初日に3万円勝った。
*(こんなに簡単に稼げるのかよ)*
翌日、2万円負けた。
翌々日、3万円負けた。
翌々々日、5万円負けた。
*(……まだだ。流れが来てないだけだ)*
やめなかった。
これが八年続いた。
パチンコで釘を学び、
スロットで設定推測を学び、
競馬でオッズ理論を学び、
競艇でモーターと選手の相性を学び、
競輪でライン読みを学んだ。
どれだけ勉強しても、どれだけノートが増えても、マイナスの数字だけが着実に育っていった。
26歳のとき、消費者金融3社から借金を作って、はじめて親に土下座した。
母親の一言が今でも頭に残っている。
「あんた、救いようがないね」
父親は長い沈黙の後、こう言った。
「……で、いくら必要なんだ」
父親が肩代わりしてくれた。
返済後、親とはほとんど話していない。
27歳で会社を辞めた。
辞めたというか、ギャンブルで頭がいっぱいで仕事のミスが重なり、居づらくなったところで自分から辞表を出した。
実態はほぼクビだった。
こうして俺は、練馬区の築28年の1Kで、貯金32,000円の完全なる無職となった。
*(自分と同い年のアパートに住んでいる。なんとなく親近感がある)*
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それでもギャンブルはやめなかった。
もはや完全に病気だと思う。
本人も認める。
ただ、こんな俺にも一つだけ、8年間ずっと曲げなかった確信がある。
*「いつか必ず勝てる日が来る」*
これだけが支えだった。
そして28歳の秋、その「勝てる日」は俺が想像していたのとまったく違う形でやってきた。
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東京競馬場、最終レース後。
第12レース「府中ステークス」、本命の三番アサヒライジングに2万円突っ込んで七着。
外れ馬券を握りしめたまま、場外のベンチに座っていた。
財布の中には6,000円しか残っていなかった。
*(今月の家賃、58,000円なんだよな)*
*(貯金32,000円。足りない)*
*(また短期バイトか)*
空を見上げて、久しぶりに本気でため息をついた。
そのとき、視線を感じた。
斜め前のベンチに、老人が座っていた。
いつからいたのか、まったく気づかなかった。
白髪頭の、小柄な老人だった。
年齢は七十か八十か、あるいはもっと上か。
皺の深い顔に、妙に澄んだ目をしている。
服装が古めかしい。
競馬場にいそうな雰囲気ではあるが、どこか場違いだった。
老人はじっと、こちらを見ていた。
何か言うでもなく、ただ静かに。
*(なんだ)*
気まずくて目を逸らした。
30秒ほどして、もう一度そちらを見ると、老人は消えていた。
ベンチの上に、何かが置かれていた。
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懐中時計だった。
手のひらに収まるくらいの大きさ。
金でも銀でもない、くすんだ翠色の金属製。
文字盤には細かい模様が刻まれていて、見たことのない様式だった。
針が、逆向きに動いていた。
*(忘れ物か?)*
周りを見回したが、老人の姿はどこにもなかった。
競馬場のスタッフに届けようかとも思ったが、なぜかその気になれなかった。
手に取った瞬間、じんわりと温かかった。
金属なのに、誰かの体温が残っているみたいな温度だった。
握った瞬間、胸の奥でなにかがぽっと灯るような感覚があった。
*(……なんだ、これ)*
しばらく眺めてから、ポケットに入れた。
家に帰って、飯も食わずに寝た。
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翌朝目が覚めたとき、右手に時計を握ったままだった。
ポケットから出して眺めるつもりが、そのまま眠ってしまったらしい。
手のひらの中で、翠色の金属がじんわりと温かかった。
頭の中に映像が浮かんでいた。
夢の残りかけだと思ったが、違った。
競艇場の水面。ボートの群れが飛び出していく。
その中で一艇だけ鋭いターンを描く艇体。
横のゼッケンに書かれた数字が、脳裏にくっきりと焼きついた。
6号艇。
*(……競艇? 俺、今日競艇行くの?)*
意味はわからなかった。
でも、なぜか頭から離れなかった。
手のひらの時計を、もう一度しっかり握った。
温かかった。
昨夜と同じ、じんわりした温もり。
映像がもう一度、鮮明に流れ込んできた。
*(……行くか)*
その日、多摩川競艇場に向かった。
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第3レース。出走表を広げてから、時計を握った。
温かさが、確かめるように広がった。
6号艇、松永 航。
モーター成績は並。
オッズ24.8倍。
紙の上では特に推す根拠がない。
でも、温かさは揺るがなかった。
単勝、300円。
スタートの号砲が鳴った。
松永艇が一マークで内に切り込み、先頭に立った。
最終周、追い上げる三号艇を半艇身差で抑えてゴール。
電光掲示板に「6」が光った瞬間、払い戻しは7,440円だった。
*(当たった)*
その三文字だけが、頭の中を回り続けた。
金額の問題じゃない。
300円が7,000円になったって、人生は何も変わらない。
でも胸の中で、何かが爆発していた。
手が震えていた。
*(これは、すごいものを手に入れたかもしれない)*
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ただ問題が一つあった。
ギャンブラーというのは、勝った直後に「次も賭けたくなる」生き物だ。
理性よりも体が先に動く。
八年間でそれを4,000万円分学んだはずなのに、それでも同じことをした。
第4レース。時計を握った。
温かくなかった。
さっきのあの感覚が、何もなかった。
わかっていた。わかっていたのだが。
*(まあ、一レースくらいなら)*
4号艇・中田 博の単勝に3,000円。
4号艇は第一ターンマークで膨らんで、5着だった。
3,000円が消えた。
*(……ああ、そういうことか)*
ベンチに座って、時計をもう一度握った。
やっぱり温かくなかった。
*(温かいときだけ、か)*
シンプルなルールだった。
でも体で理解するのに、1回負ける必要があった。
4,300万溶かしてきた人間が、たった3,000円でそれを学べたのは安い授業料だと思う。
その日はそれ以上、賭けなかった。
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翌朝もまた、映像が来た。
中山競馬場。
栗毛の馬体が直線を突き抜けていく映像。
鞍上の腕章に書かれた番号が「7」。
時計を握ると、温かさが静かに広がった。
第六レース「秋風特別」。
7番ミツルギフラッシュ。
単勝オッズ8.7倍。
前走は凡走で人気を落としている。
普通なら買わない。
でも時計は温かかった。
1万円、突っ込んだ。
4コーナーを回ったミツルギフラッシュが先頭に立ち、直線でそのまま押し切った瞬間、俺の喉から声が出た。
「っしゃあ!」
隣のおじさんが驚いた顔をしたが、知ったことではなかった。
87,000円。
*(頭がおかしくなりそうだ)*
全身の血が沸騰しているみたいだった。
これだ、と思った。
これが俺が八年間ずっと求めていたものだ。
勝つべくして勝つ、この感覚。
足が震えていた。
今度は怖いくらいに。
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そこから四日間、俺は検証を続けた。
毎朝来る映像に従い、時計を握って確かめ、賭け続けた。
三日目。
スロット店「スロット北斗」の23番台。
5,000円が13万円になった。
四日目。
川崎競輪場、第九レース「川崎クリスタル特別」。
地元の先行選手・浅野 翔が主導権を握ったところで、外の川久保 誠が捲りを決めて突き抜ける映像だった。
3万円突っ込んで、69万円になった。
自動払戻機に車券を通した瞬間、機械の無機質な音だけが鳴った。
それでも普通に泣きそうになった。泣かなかったが。
五日目。東京競馬場「秋隅田賞」。
サクラノホマレ、5万円が43万円になった。
時計がいつもより熱かった。
他の日より、明らかに。
*(なぜこの馬だけ熱さが違うのか。わからない。でも確かに違った)*
六日目。
スロット「パーラーZEN」7番台。
2万円が28万円になった。
七日目。江戸川競艇場、第8レース。
三島 龍二の単勝。
5万円が89万円になった。
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七日間。
一度も外れなかった。
| 日 | 種目 | レース・イベント | 賭け金 | 払い戻し |
|----|------|----------------|--------|---------|
| 1日目 | 競艇 | 多摩川・第3R(松永 航)→的中 | 300円 | 7,440円 |
| 〃 | 競艇 | 多摩川・第4R(中田 博)→時計冷・外れ | 3,000円 | 0円 |
| 2日目 | 競馬 中山・秋風特別 | 10,000円 | 87,000円 |
| 3日目 | スロット | スロット北斗・23番台 | 5,000円 | 130,000円 |
| 4日目 | 競輪 | 川崎・川崎クリスタル特別(川久保 誠) | 30,000円 | 690,000円 |
| 5日目 | 競馬 東京・秋隅田賞 | 50,000円 | 430,000円 |
| 6日目 | スロット | パーラーZEN・7番台 | 20,000円 | 280,000円 |
| 7日目 | 競艇 | 江戸川・第8R(三島 龍二) | 50,000円 | 890,000円 |
元手32,000円が、
七日間で**2,380,000万円**になっていた。
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七日目の夜、アパートに帰ってベッドに倒れ込み、ノートを開いた。
七日分の記録を見直した。
的中率、100パーセント。
興奮はあった。
今でもある。
でも興奮より先に来たのは、なんというか、静かで、じんわりした感覚だった。
「おれの時代が来たか」という感覚。
八年間、俺はずっと負け続けてきた。
周りは呆れた。
親は絶望した。
会社は俺を必要としなかった。
でも、来た。
想像していた形とは全然違ったが、おれの時代が来た。
*(……本物だ)*
ポケットの翠色の時計を取り出した。
夜の薄明かりの中で、逆向きの針が静かに動いている。
こいつが何なのか、老人が何者だったのか、俺にはまだわからない。
正直、今はどうでもよかった。
ただ一つだけ確かなことがある。
*(この時計は俺の人生を救ってくれた神様だ)*
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これは、そこから始まった話だ。
32,000円と謎の時計一個から始まった、どうしようもないクズの逆転記録。
ギャンブルで金を稼いで、稼いだ金で好き勝手やって、欲しいものを全部手に入れて、行きたいところに全部行った。
友達を億万長者にして、キャバクラに通って、タワマンの最上階で寝て、ヨットで地中海を流して、世界中のカジノで無双した。
親に土下座して、消費者金融から逃げ回って、松屋の牛丼を毎日食ってた男の話が、だいたいそんな感じで終わる。
夢とか希望とか、そういう話じゃない。
ただのクズが、運よく力を手に入れて、男の妄想を片っ端から実現していく話だ。
それでよければ、最後まで付き合ってほしい。
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**── 残高メモ ──**
| 7日間の賭け金合計 | ▲168,300円 |
|:--|--:|
| 7日間の払い戻し合計 | +2,514,440円 |
| **桐島遊馬 手元現金(純利益・初期資金3万2千円含む)** | **約238万円** |
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*【第一話 へ続く】*
プロローグ読んでいただきありがとうございます。
ギャンブル描写はちゃんとリアルに書くつもりです。競馬も競輪も競艇も、それっぽく誤魔化さずに。
主人公は口数少ないですが、頭の中はずっとうるさいです。そこを楽しんでもらえると嬉しいです。
続きもぜひ。




