第二話 告白現場と火傷②
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その後一週間、俺は悶々とした気持ちのまま日々を過ごした。
よくよく見ていれば、学校での五十嵐は、この前の仲さんの時みたいなことばっかりだった。
例えば、五十嵐はなにしろモテるやつだから、しょっちゅう女子たちから飴やらチョコやらをもらってるんだけど。「ありがとー。でも俺今、腹いっぱいなんだわ」とかなんとか言って、くれた人の目の前で、もらった物を隣の席のクラスメイトにあげちゃったりする。
そういうことをした時の周囲の微妙な空気には、あの鉄壁イケメンスマイルで即対応。「なにか、問題でも?」という雰囲気マックスで小首を傾げれば、周りはそれ以上突っ込めない――五十嵐はあくまで、「ただ鈍感なだけ」だから。
実際は、気づいていないわけがないんだけど。五十嵐が実は、すごく周りを見ていて、人の気持ちに敏感な人間だってことは、シェリーでの働き方を見ていればよくわかる。
接客業は、周りをよく見ていなければできない仕事だ。料理を運びながら、通りすがった席のお冷がなくなっていることに気づいたり。呼び鈴のないシェリーの店内で、追加注文をしたくてそわそわしているお客さんに、すぐに気づいて駆け寄ったり。
俺自身は視野が狭いから、そういうのはすごく苦手だ。だから五十嵐はすごいなって、尊敬するタイミングがたくさんある。意地悪な態度や物言いはもちろんムカつくけど、それとこれとは別。
……ってか、フツーにもったいないよな。
今日も完璧な笑顔で接客する五十嵐を盗み見ながら、俺は考える。
せっかく色々気づけるのに、色々な人の色々な気持ちと向き合うチャンスがあるのに、どうして五十嵐は見て見ぬフリをするんだろう。
「――っ!」
そんなことを考えながらナポリタンを運んでいたら、アツアツの鉄板に指が触れてしまった。
テーブルに置く直前だったから、料理をこぼしたりはしなかったけど。思わず顔をしかめた俺を見上げて、三十代くらいの女性客が心配そうな声色で「大丈夫ですか?」って聞いてくれた。
「すみません、大丈夫です……えっと、こちらがナポリタンです。食後にコーヒーお持ちしますね」
精一杯口角を上げながら、俺は丁寧にお辞儀する。くるっと踵を返してから、女性客からは見えない位置で右手をぶんぶん振ってみる。
チラッと見たら、親指の腹が赤くなっていた。もしかしたらこれ、後でけっこう水ぶくれになるかも。
ジンジンと疼くような痛みに耐えながら、俺は素早く店内に目を走らせる。日曜の昼は、一番店が混む時間帯だ。五十嵐は今テラス席で接客中で、シェリーのアルバイトは俺と五十嵐の二人だけ。
店長は厨房にかかりっきりだし、冷やしてる暇なんてないよなって、我慢して仕事を続けようと決めた時だった。
「柴本」と背後から声をかけられて、俺は反射的に「わっ」と大きな声で叫んでしまった。
「うるせえ。店では叫ぶなって、いつも言ってんだろ。……右手、どうした」
「え? あ、えっと。さっきナポリタンの鉄板触っちゃって」
「はあ? お前馬鹿か」
どんくささを馬鹿にされて、俺はむっと眉間にシワを寄せる。うるさい、仕方ないだろ。俺は五十嵐みたいに、器用に色々できるタイプじゃないんだから――心の中で文句を言いかけたところで、突然左腕を掴まれた。えっと驚いている間にあれよあれよと引っ張られ、厨房の方に連れ込まれる。
「じいちゃん、柴本が火傷した。冷やしてくる」
「おう? 大丈夫か?」
「うん。俺が看るから、店の方お願い」
「あいよ」
寸胴鍋からセットスープをよそっていた店長が、こちらを見もせずに軽い感じで応じた。
五十嵐は俺の腕を握ったまま厨房を抜けて、事務所奥の裏口から外へ出る。
「五十嵐、俺はいいよ。それより店が……」
「じいちゃんのワンオペなめんな。柴本はそれより、自分の指を心配しろ。店で怪我したらすぐに報告。我慢すれば大丈夫とか、そういう馬鹿な考えは逆に迷惑」
むすっと言いながら、五十嵐が外水道の蛇口を捻る。今度は俺の右手を掴んで、さーっと出てきた水の流れに無理矢理突っ込む。
キンと冷えた流水に、親指の痛みがだんだんと引いていく。火傷に驚いて無意識のうちにバクバクしていた心臓も、それに合わせて少し落ち着いた。
……「お前馬鹿か」ってもしかして、「さっさと冷やせ、馬鹿野郎」って意味だったのかな。
俺の右手首を握ったまま、真剣な表情でうつむく五十嵐をちらりと見て、俺は思った。五十嵐は口が悪いし、人としてどうかと思う一面もあるけど、多分、根っからの嫌なやつってわけじゃない。
「五十嵐、ありがと。気づいてくれて。お前テラス席の方にいたのに」
「べつに。お前の面倒ちゃんとみろって、じいちゃんに釘さされてんだ。だからこんなの、仕方なくだ」
顔を上げもせずに放たれた返しに、胸がきゅっと冷たくなった。
仲さんの告白現場を見た時と同じモヤモヤが、じわじわと心の中に広がっていく。
「なに、その顔」
やっと顔を上げた五十嵐が、沈黙する俺に向かって怠そうに尋ねてくる。
「言いたいことあんならさっさと言えよ。今週ずっと、学校でも俺のこと見てただろ? 鬱陶しいし、もしそれ関連でぼーっとして火傷までされたんだとしたら、迷惑でしかない」
その言葉に、やっぱり五十嵐は気づいてたんだって思った。
だからこそよけいに、俺の中の「どうして」って疑問は大きくなる。
「俺は、『ありがとう』って言ったら、『どういたしまして』って返してほしい」
「は?」
「五十嵐って、人の気持ちを受け取んないよな。気づかないフリしたり誤魔化したり……そういうの、周りは普通に悲しいと思う。せっかくお前、色んな人によくしてもらえてるのに。そういうのに気づけるだけの力もあるのに」
俺が言うと、今度は五十嵐が沈黙した。初めはむっと眉間にシワを寄せて、その後、少しだけ戸惑ったような表情で黒い瞳を泳がせる。形のいい唇が一瞬、なにか言いたげに開いて、すぐに閉じて、やがて顔全体に、あの冷たくて静かな無表情がすーっと広がっていく。
「……俺はそういうの、全部いらねえ」
小さくつぶやいて、五十嵐は俺の手首をぱっと離した。「もうちょっと冷やしてから戻ってこい」と言い置いて店の中に戻っていこうとするので、俺は咄嗟に、濡れたままの右手で五十嵐のシャツを掴む。
「それってさ、すげー寂しくね?」
ぽんっと飛び出た言葉だったけど、あー、俺が一週間前、五十嵐に言ってやりたかったのはこれだったんだって、すごく腑に落ちた。
確かに俺、すんげーお節介。
だけどなんでだろう、どうしても聞きたかった。
「誰の気持ちも受け取らないとか、それって結局、誰ともつながれないってことじゃね? 五十嵐はそれで本当に――わっ」
耳元でドンっと大きな音がして、俺は押し黙る。
俺の顔のすぐ目の前に、めちゃくちゃ目尻をつり上げた五十嵐の顔がある。
「お前、マジでうるさい」
あまりの剣幕に、反射で「ひっ」と喉が鳴った。後ずさりしたいけど、背後は壁だ。
なにも言い返せず、怯えきった目で五十嵐を見つめる。しばらくその状態が続くと、やがてはっと目を見開いた五十嵐が、珍しく気まずそうに視線を逸らして身を離す。
「事務所の救急箱に絆創膏があるから、使いたきゃ使え。今日は料理は全部俺が運ぶ。柴本は注文とレジとドリンク。わかったな?」
俺の返事も聞かずに、五十嵐は店の中に戻っていってしまった。
止め損ねた水の音が、ジャージャージャーって鼓膜をひっかく。俺はちょっと、呆然としてしまって。その後はしばらく、なかなか次の行動に移ることができなかった。




