第一話 アルバイト先の意地悪男子②
アルバイト先の「カフェ&雑貨 シェリー」は、俺の通う高校の裏手の住宅街にひっそりと佇んでいる。そんなに大きくはないけどテラス席があり、屋内の店舗の奥の方では、店長がこだわって仕入れた雑貨類の販売も行っている。
俺がこの店を知ったのは去年、中学三年生の時だ。入試に向けた説明会で高校を訪れ、探索と称して周囲を歩き回っていた時に偶然見つけた。
シェリーに行くまでの道のりは、駅方面から行くと少しだけ上り坂になっている。
ひよりんと別れた後、十三時からのシフトに間に合うようせかせか歩いていると、道の先に背の高い男の後ろ姿が見えた。
「げっ、」
反射的にうめいてしまって、慌てて両手で口を塞ぐ。しかし風の流れかなにかで聞こえてしまったのか、まだそれなりに距離のあるはずの背中が、気怠げにこちらを振り向いた。
「なにが『げっ』だ。失礼なやつだな」
「五十嵐……」
無造作にセットされた黒髪の男は、白いシャツに黒いスラックスという出で立ちで、右手には白いポリ袋を下げている。
「えっと、休憩?」
「買い出し。見りゃわかんだろ」
声をかけて早々、不機嫌そうに眉をひそめられて、「失礼はどっちだよ」と心の中で文句を言う。おんなじ土俵に上がりたくないから、口には出さないけど。
店に行くにはこの道を上るのが一番近くて、遅刻しないためには少し急ぎ足をする必要があるから、俺は不本意ながらも五十嵐の元に駆け寄った。
五十嵐は足が長くて歩くのも速いから、追い越して先に行くのは難しい。むしろ置いていかれそうなくらいだけど、それはなんだか悔しいので、必死に足を動かして五十嵐の隣をキープする。
「店、忙しい?」
「当たり前だろ。昼時なんだから」
「でも買い出し行ってるじゃん」
「じいちゃんが昨日忘れた分。仕方ねえだろ、もう歳なんだから」
ギロッと睨まれて、俺はすごすごと口を閉じた。五十嵐、怖すぎ。おじいちゃんのことになると特に。こういうのなんて言うんだっけ、ジジコンだっけ。
こいつ――五十嵐灯は、店長の孫で俺のアルバイトの先輩で、ついでに言うと同じ高校のクラスメイト。だからアルバイト初日はびっくりした。学年で一番目立っていたイケメンクラスメイトが、初アルバイト先のカウンター内でカフェエプロンつけて立ってたんだから。
……仲良くなれたらいいなって、思ったんだけどなあ。
俺はカウンター席の女性客にブレンドコーヒーを出しながら、雑貨スペースで商品の入れ替えをする五十嵐を盗み見た。
十四時過ぎ、お昼とおやつの間の束の間の安息時間。お客さんはカウンター席と窓際のボックス席に一人ずつしかいない。
こういう時は、なんとなくの雰囲気でそれぞれの役割が決まる。今日に関しては、俺はカウンター内でグラスを拭きながらお客さんの対応を、五十嵐は店の細々とした雑用を済ませる感じになった。
真剣な表情で小物をいじる高い鼻筋の横顔は、素直にカッコいいと思う。五十嵐は教室であまり喋らないタイプで、周りからはクールキャラ認定されていて、そして学校中の女子たちから、あり得ないくらいにモテている。
皆、騙されてますよー! って、俺は声を大にして言いたい。
だってこいつは……。
「あっ!」
ついまた声が出てしまって、カウンター席の女性客がびっくりした感じで顔を上げた。
周りをよく見たら、ボックス席のおじいちゃんも雑貨をいじっている五十嵐も、目をまん丸くしてこちらを見つめている。
「すみません、すみません……なあ、五十嵐」
俺はぺこぺこと頭を下げながら店内を歩き、小声で五十嵐に声をかけた。
「なんだよ。ってかその、急に叫ぶ癖どうにかしろ。少なくとも店ではやるな」
「それはごめん。あのさ、その絵、入れ替えちゃうの?」
作業中の五十嵐の手元を指さしながら、俺は尋ねる。長く骨ばった指先には、小さな額に入った風景画が握られている。
「そうだな。全然売れねえし」
「じゃあさ、従業員特典で俺にくれたりとかって……」
「は? 普通に考えてダメだろ」
「ですよねー」
俺は肩を落として、風景画を見つめた。
そこに描かれているのは、綺麗なチューリップ畑だ。水色の空に花びらの赤や黄色が映えて、ぱっきりとしたコントラストが晴れやかな雰囲気をかもし出している。見ているだけで気持ちが明るくなるような、そんな絵。
価格は意外と高くて、三万円。お年玉、とっておけばよかったなあって、俺は心の中でため息をつく。
「店に並ばなくなった商品ってどうなるの?」
「じいちゃん次第だな。っつっても在庫置いとく場所も限られてるから、大抵は同業者に売ったりフリマに出したりで長くは手元に置かない」
なに、欲しいの? と呆れ顔で言われて、俺は小さく頷いた。
「初めてこの店に来た時、この絵にすごい惹かれて。それでここでバイトしようって決めたんだ」
「ふうん」
「給料貯まったら、絶対にこの絵を最初に買おうって思ってて……」
「へえ」
「だから、その。すごく残念、っていうか?」
「そうだろうな。まあ金がないんじゃ仕方ないな」
バッサリ切り捨てて、五十嵐はしっしと右の手のひらを振って俺を追い払った。
俺はむうっと頬を膨らませつつ、ぐうの音も出ずに退散する。
ひよりんの言う通り、五十嵐の言っていることは大抵正しい――それは俺もわかっている。
だけどさ、でもさ。
そんな面倒くさそうな顔しなくてもよくない? 同じこと喋るにしても、もうちょっとこう……やんわり? っていうか? 穏やかに、っていうか?
シェリーで五十嵐と関わるようになってから、俺はわかった。
五十嵐が学校で喋らないのは、全部、ぜーんぶ面倒くさいからだ。
話しかけられるのも面倒だし、アプローチされるのも面倒だし、でも露骨に嫌な顔をするとそれはそれで反感をかって面倒だから、ギリギリ「クール」で許される範囲の塩対応で誤魔化している。
そういうの、俺は正直「どうなんだろう」って思っちゃう派。自分の本音を言わないって不誠実だし、意地悪だなって思う。口も悪いし。
悶々と考えながらカウンター内でグラスを磨いていると、ボックス席のおじいちゃんが席を立った。お会計だなって察して、俺はレジに向かう。
「ありがとうございますー。伝票お預かりします!」
しわしわの手から伝票を受け取ってバーコードをスキャンし、金額を読み上げる。
「七二◯円になります」
「ええ? なんだって?」
「あっ、えっと……ななひゃく、にじゅう、えん、です!」
「はい? 悪いね、俺は耳が遠いんだ。全然聞こえないよ」
「ええ……」
けっこう大きな声で伝えたつもりだったから、俺は「どうしよう」と戸惑ってしまう。
レジに表示された文字を指さしたけど、おじいちゃんは申し訳なさそうな顔で首を左右に振った。目も悪いから、細かい文字は読めないんだ。
「えーっと、ええーっと」
「どいて、柴本」
背後から長い腕が伸びてきて、俺はびくりと肩を跳ねさせた。
雑貨をいじっていたはずの五十嵐がいつの間にかこちらに来ていて、レジ横からメモ用紙とボールペンをさらっていく。
「おじいちゃん、これなら読める? なな、に、ゼロ」
「ああ、はい、はい。これならわかったよ。ありがとう。現金でお願いします」
おじいちゃんの隣にかがみ込んで数字を書いていた五十嵐が、立ち上がりながら俺を見る。そのまま冷たい目で顎をクイっとしゃくり、「下がってろ、役立たず」ってテレパシーを飛ばしてくる。
はいはい、すみませんね。機転が利かなくて!
ぎりぎり歯を食いしばりながら、俺は五十嵐に念じられた通りカウンター内に身を引いた。
五十嵐はレジ台から釣銭トレーを取り、それを持って再びおじいちゃんの横にしゃがみ込んで、恭しく代金を受け取って会計作業を済ませる。
「おじいちゃん、ありがとうございました。よかったらまた来てくださいね」
「はい、はい。ごちそうさま。おいしかったよ」
「嬉しいです。そうだ、今一個だけアンケートやってるんだけど、答えてくれる?」
俺とそっちの茶髪の店員さん、どっちの接客の方がよかった?
店の扉を開けてお見送りをしながら、五十嵐が問いかける声が聞こえた。
こちらを指さした時に見えた五十嵐の顔には、ぶりっ子百パーセントの完璧な笑顔が浮かんでいて――思わず「ケッ」と毒づきそうになるのを、俺は腹筋に力を込めることで必死に耐えた。




