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第九話 好きって言って⑥


     *


 初めて入れてもらった五十嵐の部屋は、リビングと同じように、本当に必要最低限の物しか置かれていなかった。ベッドと、勉強机と、本棚には最低限の参考書や教科書が並んでいるだけ。

 五十嵐が勉強机の方の椅子に座ったので、俺は恐る恐るベッドに腰掛けた。好きな人の部屋の、しかもベッドの上とか、めちゃくちゃ緊張するけど。でも仕方ない。他に座る場所がないんだから、これは不可抗力、というか。

 ぶおおお、と勢いよく、エアコンから風が吹き出す。けっこう広い部屋だけど、空気は瞬く間に涼しくなっていった。多分、すごく性能のいいエアコンなんだろう。

「話ってなに」

 吹きつける風に巻き上げられた前髪を気にしていると、その風に負けないくらい冷たい声が、目の前の椅子に座る五十嵐の口から発せられた。

 ごくりとつばを飲み込んでから、俺は五十嵐の顔を見る。

「なに、っていうか。さっきも言ったけど――俺、五十嵐のこと、好きなんだ」

「で?」

「いや、『で?』って……」

 反応うっす。

 ぐぬぬ、と俺は唇を噛む。ある程度予想できていた反応とはいえ、ここまで塩だとさすがに少しイラっときた。

 最初にキスしてきたの、そっちじゃん。好きにさせたのもそっちじゃん。

 しかもさっきは、もっとちゃんと赤くなってたじゃん。

「もう一回言うけど、俺はお前のことが好きなの。付き合いたいと思ってるの」

「ふうん」

「ふうん、じゃねえ。お前はどうなんだって聞いてんだよ」

「どうって?」

「だから! 五十嵐は! 俺のことどう思ってんのって話がしたいの!」

 あまりにものらりくらりと(かわ)され続けるものだから、つい喧嘩腰で返してしまう。

「言いたいことあるならちゃんと言えって、お前よく言うだろ。今日はそれ、俺のセリフだからな。お前が本音をちゃんと話すまで、俺ぜっっっったいに帰んねえからな」

 俺はバタンと勢いよく後ろに倒れて、五十嵐のベッドの上で大きく両腕を広げた。そのまま首だけ少し持ち上げて、思いっきり五十嵐を睨みつける。

 五十嵐は、ドン引きって感じの表情をしていた。「面倒くさい」って、明らかに顔に書いてある。

「……めんどくさ」

 口に出して、今度ははっきりと言われた。でも知らない。かまうもんか。

 俺は頭の中で、五月に目撃した仲さんの告白シーンを思い出していた。あの時と同じように「なかったこと」にしようなんて、そんなの俺、絶対に許さないからな。

 バチバチと、しばらくお互いの視線がぶつかる。でも俺からは絶対、ぜっっっったいに逸らさない。

 鋼の精神で睨み続けると、先に根負けしたのは五十嵐の方だった。

 五十嵐はやがて、黒い瞳をすいっと逸らし、左手で自分の耳たぶを引っ張りながら、ものすごく嫌そうな顔で口を開いた。

「柴本は、俺のこと好きなのに、なんで俺の目の前で他人とキスすんの?」

 五十嵐の声は、明らかに拗ねていた――その響きや小さく尖った唇に、俺は一転、そわそわとくすぐったい気持ちになる。

「つまり?」

「は?」

「だからつまり? お前は? 俺のことが?」

「……………………」

 五十嵐、再び沈黙。

 貝みたいにぴったり口を閉ざして全力で目を逸らし、「俺は、これ以上は何も喋らねえ」って意思表示をする。

「っ、だあああああああ!」

 それを見た俺は思わず、大声で叫びながら上半身を起こし、五十嵐の前に立ち上がった。

 いやもう、マジでこいつなんなの。そっちがめんどくさいわ!

「あのなあ五十嵐、お前、そんなんだからひよりんに嫌がらせされるんだよ!」

 ぴしゃんと叩きつけるように言って、五十嵐の顔を見下ろす。

 呆然とこちらを見返す瞳は、よく見れば黒目が大きくて、まるで幼い子どものようだ。

「俺、キスされてない! 唇のすぐ横にふにってやられただけ!」

「……………………え、」

 長い長い沈黙の後、五十嵐が驚きの声をもらす。「マジ?」と小声で続けたので、「そう! 未遂!」と念押しして、俺は乱れた息を整えながらベッドに座り直した。

「そもそもひよりんは、俺がお前のこと好きなの知ってるし。お前がキスしてきたことも知ってるし。だけど付き合ってないって俺が話したから、『さっさと関係はっきりさせろ』って発破かけてきたの」

 まあこれは、俺の推測だけど。

 でも多分、間違ってはいないと思う。

「なんだそれ。過保護すぎんだろ……」

「ひよりんは俺を心配してくれたの。ひよりんはいいやつなの」

「じゃあアイツと付き合えばいいだろ」

「おい。そういうことじゃないって、お前絶対わかってるだろ」

 俺はじっと五十嵐を見つめ返したけど、一向に視線が合わない。

 ここまで言ってるのにまだ逃げようとするとか、本当に腹が立つ。

「五十嵐、とにかく一回こっち向け」

 そう声をかけて、俺は返事を待つよりも先に、五十嵐の頬に両手を伸ばした。

 そのまま無理やりこちらを向かせて――少しだけ腰を浮かせ、固く引き結ばれた唇にそっと口づける。

「お前が、不器用だけど優しいやつだってこと、俺はちゃんと知ってる」

 唇を離しながら、小さな声で話しかける。

「大事にする方法がわかんないなら、俺が先にお前を大事にする。俺は大丈夫だから、欲しいなら欲しいって言え。……寂しいんなら、今ここで俺に、好きって言って」

 そう言った瞬間、黒い瞳が不安げに揺れるのを見て、俺は「やっぱり」って思った。

 イケメンだけど意地悪なこいつは、実は寂しがりやで、すごく優しくて、それで。

 びっくりするくらいに、臆病だから。

 五十嵐は多分、好きなものに手を伸ばすのが苦手なんだ。大事にできる自信がないから。自分のせいで、大切なものが壊れてしまうかもしれないのが怖いから。

 そんなの全然、気にしなくていいのにって思う。

 俺はお前のこと、少しも疑ってなんかいないのに。

「俺はお前が、俺以外の誰かにキスされてたらすげー嫌だ。だから今日、お前が『嫌だ』って思ってくれて嬉しかった。一緒に遊びに行けて楽しかったし、手をつないでくれたのも嬉しかった」

 そういうの、俺はこれからも、当たり前にしたいんだけど。五十嵐はそうじゃないの?

 じいっと、俺は五十嵐の顔を見つめる。

 空っぽのこいつの中に、俺の言葉と気持ちが、きちんと染み込んでいきますようにって願いながら。

「……前、柴本に『五十嵐はシェリーを大事にしてる』って言われて、すげー嬉しかった。だから、お前には少しくらい、優しくしてみようかと思って……そしたらなんか、知らねーけど、どんどんよけいに、大事になってく気がして」

 やがて、少しずつ視線を下げながら、五十嵐は話し始めた。

「他の男の話されんのマジで嫌だし、すげー可愛いし、キスしたいし、抱きしめたいし……それ以上もしたいし」

「……ん?」

 しっかり聞くモードに入っていた俺だけど、なんだかとんでもない発言を聞いてしまった気がして、自然と口から戸惑いがもれた。

 え、もしかして今こいつ、「それ以上」とか言った……?

「これ絶対、好きになっちまったってさすがにわかったけど、俺みたいな人間がちゃんと、お前を幸せにできるかって考えたら、自信とか全然ねえし」

「あ……うん。あの、五十嵐」

「そりゃ付き合えたら嬉しいし、意識されてんのもよーくわかったけど。でも万が一見当外れなこと言って、それで避けられたら耐えられねえとか考えたら、多分そんなことないだろうなってわかってても怖えし」

「いっ、五十嵐……! その、」

「傷つけたくないし、嫌われたくもないし。大事だし。ほんと、シェリーと天秤にかけても釣り合うんじゃないかってくらいで、」

「もういい。わかった。わかったから」

 だんだん耐え切れなくなってきて、俺はなんとか声を絞り出し、五十嵐の言葉を遮った。

 五十嵐が俺をどれだけ大事に思ってくれているかは、もう十分すぎるほどに伝わってきた――それはもう、恥ずかしさで体中が熱くて、本当に熱中症で倒れるんじゃないかってくらいに。

 顔ももちろん熱すぎて、五十嵐を見れない。いやこいつ、ここまで言っておいて、俺に向かってちゃんと「好き」とは言ってねえなって気づいたけど、そんなのはもうどうでもいい。突っ込む余裕なんて一ミリもない。

「柴本」

 一度静かになった五十嵐が、改めて俺を呼んで、手のひらを伸ばしてくる。

 その温もりが、膝の上に乗っている俺の手にそっと触れる。

「他人のこと、初めてこんなに、ちゃんと大事にしたいと思った。もしかしたらこれから、時々間違えるかもしれないけど……それでもよければ、俺と付き合ってほしい」

 その声は、五十嵐にしては珍しく、不安そうに揺れていた。

「わかった」と応えながら指先を握り返すと、五十嵐はちらりと視線を上げて、心底嬉しそうな顔ではにかんだ。

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