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第九話 好きって言って④


     *


「……………………」

「……………………」

 そして、一時間後。

 まだまだ賑やかな校舎の廊下で、俺たちは呆然と立ち尽くしていた。

 通りすがる子どもたちが、こちらを振り返っては「なにあれー」と指を指して不思議そうな顔をする。「なんだろうー」「おもちゃかなー」「サンタさんみたいー」

「えっと、俺持とうか?」

 俺は隣に並ぶ五十嵐に向かって恐る恐る問いかけた。

 しかし五十嵐は首を左右に振って、「いや、いい」と俺の申し出をきっぱり断った。

「これ、意外と重いし」

 重い物を率先して持ってくれるその姿勢に、俺の心臓はもう自動的にキュンなのだけど。今に限っては申し訳なさが勝つ。「ビンゴやりたい」って言ったのは、俺なわけだし。

「まさか当たるとは……」

 げっそりとつぶやくと、五十嵐も無言でうなずいた。

 当たってしまった特賞のビッグおやつパックは、予想通りに持ち運びが大変だった――そして予想以上に、めちゃくちゃ目立つ。

「ちょっと早いけど、帰る?」と聞けば、五十嵐はまた無言でうなずいた。

 残念だけど、仕方ないよな。本当はもっと色々回りたかったけど……なんて考えている途中で、俺はひよりんのことを思い出す。

「あ、でも俺、ひよりんに会う約束してるんだ。研究室棟のマジックショーだけ行っていい?」

「……わかった」

 少しの沈黙の後、無感情な声で、五十嵐が応える。「さんきゅ」と返して俺は身を翻し、最初に上ってきた階段の方へ歩き始める。

 事前に聞いた情報によると、ひよりんは研究室棟三階の視聴覚室でマジックショーを手伝わされているらしい。

 俺たちは一階に下りて教室棟を出て、ジージーうるさい蝉の鳴き声を聞きながら中庭を横断した。

 やがてたどり着いた研究室棟の中は、敷地の北側に位置するせいもあってか、教室棟よりも涼しく感じられた。汗が引いていく心地よさを感じながら後ろの五十嵐を振り返れば、五十嵐はなんだか、むすーっと険しい顔をしている。

「え? どしたん。袋、疲れたんなら俺代わるよ?」

「いい。そういうわけじゃない」

 不機嫌そうな顔は変えず、五十嵐はむしろ、両腕に力を込めてビッグおやつパックを抱きしめた。

 子どもみたいな仕草がちょっと可愛い。

「ならいいけど」

 きゅん、としたのを誤魔化したくて、俺は早口で応じて正面に向き直った。目の前に現れた階段を上りながら、五十嵐が急に不機嫌になった理由を考える――でも駄目だ、さっぱり見当がつかない。

 視聴覚室の前にたどりつくと、扉には【準備中】の紙が貼ってあった。今は公演と公演の空き時間らしい。

 さっき送ったメッセージに【他の人今色々回ってていないから、普通に入ってきていいよ】と返信がきていたので、俺は二回ほどノックをしてから、「お邪魔しまーす」と扉を開けた。

「あ、来た来た。お疲れー……って、なに持ってんの!」

 俺に続いて中に入ってきた五十嵐を見るなり、ひよりんはぷっと勢いよく吹き出した。

 そのまま腹を抱えてくつくつと笑い、ひとしきりウケた後は「はーっ」と思い切り息を吐いて、目尻ににじんだ涙をぬぐう。

「それ、二年の先輩がやってるビンゴの特賞じゃん。マジで? マジで当たったんだ?」

「ひよりん知ってんの?」

「知ってる知ってる。サイズデカすぎて、馬鹿じゃねーのって噂になってた」

 ひよりんは五十嵐に近づき、両手を後ろで組みながら白い袋をぐるぐると眺め回した。

「君が五十嵐くん? へー、めっちゃイケメン。昴から聞いた通りだわ」

「俺、西崎日和」と自分の顔を指さしながら、ひよりんは五十嵐に向かってにこっと笑う。

 ひよりんは基本、初対面の相手には無愛想なので、こんなに愛想がいいのは実はかなり珍しい。

「……五十嵐灯です」

 それなのに、五十嵐の答えはたったそれだけだった。むすーっとした顔のままな上、同い年だってわかってるのに、謎に敬語だし。

「おい五十嵐、さっきからなんでそんな機嫌悪いの? せっかくひよりんに会ったんだから、せめてもうちょっと笑えよ」

「まあまあ、いいからいいから」

 むっと顔をしかめた俺を、ひよりんがなだめてくる。ひよりんはひよりんで、五十嵐とは逆に、今日はやけに機嫌がいいみたいだ。

「五十嵐くんは、きっと人見知りなんだよな。でも、昴が高校で仲良くしてもらってるお友だちの顔、見れてよかったわ。ありがとな、わざわざ俺のために、五十嵐くん連れてきてくれて」

 こちらに戻ってきたひよりんが、なぜか「お友だち」や「俺のために」あたりを強調しつつ、俺の顔を覗き込んでくる。その腕はするっと自然な感じで俺の右腕に絡んできて、五十嵐の前だと思うと、俺はちょっとだけ照れくさい気持ちになった。

「いや、全然。ひよりんこそ誘ってくれてありがと……ってかさ、ずっと思ってたんだけど、衣装めっちゃ似合ってんじゃん! すげー雰囲気出てる!」

「おっ、マジで?」

「うん。わー、やっぱ俺、ショーも見ていきたいかも」

 言及するタイミングを逃してしまっていたけど、ひよりんは今日は、白いワイシャツに黒のVネックのベスト、黒のスラックスという格好だ。緩いウェーブの髪は前髪を立ち上げて額を見せていて、普段よりもぐっと大人っぽい雰囲気が出ている。

「髪も超いーじゃん。えー、カッコいい。ひよりんはマジックやんないの」

 素直にうらやましくて、俺はひよりんの前髪に手を伸ばした。

 と、指先がひよりんの髪に触れる直前、ガサッと乾いた音が聞こえて、俺は反射的に音の聞こえた方に顔を向けた。

「えーっと……五十嵐? どした?」

 来た時からずーっと入口前に突っ立ったままの五十嵐が、眉間に深いシワを寄せてこちらを見ている――見ているっていうか、睨んでる?

 だいぶ力がこもっているのか、ビッグおやつパックの袋は、五十嵐の手元のあたりがぐしゃっと凹んでいた。状況的に、さっき聞こえた音は多分、あそこから発せられたのだろう。

「……なんでもない」

「いや、なんでもなくはないじゃん。顔超こえーよ?」

 不審に思って問い詰めようとする俺の腕を、「まあまあ」とひよりんが引いてくる。

 ひよりんはそのまま、今度は俺の肩に腕を回して、五十嵐を見上げながらニヤッと唇の端をつり上げた。

「五十嵐くん、多分疲れちゃったんだよ。人も多いし。ね? そうだよね?」

「そうかもな」

「え? マジで? じゃあそろそろ帰っ……」

「あ、待って昴。ちょっと俺、見せたいものがあるんだ」

 肩に乗せた腕に力を込めて、ひよりんは俺の体を強引に引っ張った。そのまま部屋の奥に進むかと見せかけて――突然ぐっと、両手で俺の頬を引き寄せる。

 避ける間もなく口元に触れた感触に、俺は自分の思考が完全に停止するのを感じた。

 ぐしゃぐしゃぐしゃっと、さっきの比でないくらい大きな音が、部屋全体に響き渡った。

「――帰る」

 ドサッと、ビッグおやつパックの袋が投げ捨てられる。

 五十嵐はそのままさっさと踵を返して、大股で視聴覚室を出ていってしまう。

「……っ、なっ、なん! なんっ」

 呆然とそれを見送った後、ようやく思考のスイッチが戻ってきたタイミングで、俺は息を詰まらせながらひよりんに向き直った。

「なんでひよりん、五十嵐の前で、俺にあんなこと」

「だってアイツ、ムカつくし?」

 スラックスのポケットに手を突っ込んだひよりんが、ぺろっと舌先を出しながら答える。

「キスしてんのに付き合ってないとか、全然納得できない。大事なものちゃんと大事にできないやつは、俺は嫌いだし。『得意じゃない』とか言って甘やかすの、昴もやめなよ。これくらいであんなに動揺するなら、ちゃんと名前書いとけって俺は思うけど?」

 声色と同じ鋭い視線が、今度は正面から俺を射貫いた。

「好きな人がキスされて文句言えないのも、自分がキスされて文句言ってもらえないのも、俺だったら絶対嫌だけどね?」

 ひよりんが、こちらを試すように小首を傾げた――「お前はどうなんだ」と聞かれているような気持ちになって、心臓がドキリとする。

 俺は、どうかな。五十嵐がもし、俺じゃない誰かにキスされたとして……って、なんだこれ。少し想像しただけで、胃の底がひっくり返るくらいにムカムカして気持ち悪い。

 一瞬のうちに背筋がぞわぞわして、居ても立ってもいられないような気持ちになった。

 それでようやく、ひよりんの言いたいことがわかった気がして、俺は弾かれたように床を蹴り、扉に向かって一歩踏み出した。

「ごめんひよりん、また連絡する……! あっ、これあげるから、後で皆で食べていいよ!」

 去り際、ビッグおやつパックの袋に気づき、俺は慌ててひよりんに言う。

 部屋を出る時に見たひよりんは、すごく迷惑そうな感じで目を細めていた。

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