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第六話 嫌じゃなかったら②


     *


「うー、おー、おおおおー。うえー、およよ、おおん」

「兄ちゃん、うるせえー。テレビ聞こえねえー」

「マジかー、マジでかー。そういう感じ? ほんとに? これほんとに現実?」

「そうやって隣でバタつかれるの、視界的にも超うるせー。これが現実のウチのリビングやべー」

「だって五十嵐が、五十嵐が俺を……? ん? 俺に……? ……俺が……? 俺が五十嵐を? ん? 俺は……俺が五十嵐?」

「は? 兄ちゃんは柴本だろ。母さーん、兄ちゃんがまた、」

 相変わらず、ウチのリビングの天井は白い。

 ソファで身悶えしながらそれを見上げる俺の隣を、弟が駆け抜けていく気配がした。

 しばらくして、上を向いたままの視界に黒いお玉が映り込む。にゅっと後を追うように般若が……もとい俺の母さんの顔が、目尻をつり上げた状態で俺を見下ろしてくる。

「昴、ぶつぶつ喋るなら……」

「はい! 自分の部屋に行きます! さっさと勉強も終わらせてきます!」

 俺は瞬時に立ち上がって背筋を伸ばし、ピシッと敬礼をして素早くリビングを後にした。

 廊下に置きっぱなしだったショルダーバッグを回収し、いつも通り電気はつけず、感覚だけで階段を上っていく。二階の自室に入って照明をつけ、扉を閉めた瞬間から、そこに背を預けてずるずるずるとしゃがみ込む。

 シェリーを出た後、俺は全力ダッシュで家まで帰ってきた。リビングでテレビでも観ていれば気持ちが落ち着くかと思ったけど、そんなことは全然なくて。

 体は熱いし、心臓はバクバクしっぱなし。あの柔らかい感触が忘れられなくて、ケチャップの甘酸っぱい味が頭から離れない。

 ぎゅっと両膝を抱え込みつつ、右の指先で自分の唇にそっと触れてみる。

 反射的に今日のキスを反芻してしまって、さらに鼓動が速くなった。

「ってか俺、初めてだったんだけど……」

 小さくつぶやいて、自分で自分のセリフが恥ずかしくなった。

 いつか普通に、付き合った女の子とするんだろうなって思ってたファーストキス。現実は、付き合ってもいない男とだった。しかもあんな、意地悪で口の悪い……。

 そこまで考えて、はたと思考を止める。

 口が悪いのは確かだけど――ぱっと見意地悪なのも、それはそうだけど。

 五十嵐は仕事に一生懸命で、頼りになって。背が高くてイケメンで、ふとした瞬間の笑顔が可愛くて。

 それで多分、すごく不器用で、意外と寂しがりやの同級生。

「……………………」

 その時俺は、もやもやグルグルしていた気持ちの輪郭が、自分の中で少しずつ形になっていくのを感じた。胸の真ん中から体全体に向かって、じわじわじわーって確かな熱が広がっていく。

 俺、五十嵐のこと好きなんだ。

 それはなんだか、自分でもすごく意外な結論だったけど。覆すことなんてできないくらい、今の俺の気持ちにしっくりくる答えだった。

 五十嵐が心から笑ってくれると、俺はすごく嬉しかった。五十嵐が照れくさそうにしていると、俺の方までくすぐったい気持ちになった。

 優しくされるとドキドキする。付き合ってもいないのに突然キスされて、でもそれが全然、嫌じゃない。

「嫌だったら忘れろ」って、五十嵐は言った。

 それはつまり、「嫌じゃなかったら覚えてていい」って解釈で、オッケー?

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